空になった端末機の扱い

 三時限目終了のチャイムが鳴ると教室内の張り詰めた空気がなくなった。それまで生徒全員が学業用端末機スクールタブレットに向けていた顔を緩める。


 小テストを終えた守人も例外ではなかった。学業用端末機スクールタブレットを片付けもせずに机に突っ伏す。


「終わったぁ」


『正に力尽きているわね。まぁ一応全部記入できたんだし、いいんじゃない?』


 アニマの声が頭の中に響くが守人は反応できなかった。直前の授業でテスト勉強を内職し、そのまま小テストに臨んだせいで力尽きている。


 そんな守人のところへ、弁当とパンを持って智代と明彦がやって来た。その顔はとても晴れやかだ。


「守人くん、精も根も尽き果ててるわね。さっきの小テスト、そんなに悪かったの?」


「いや、そこまで悪くないよ。ただ、テスト勉強とテスト自体で疲れてるだけ」


「ご飯を食べよう。ぼくはもうお腹が空いて大変だよ」


 パンの入ったビニール袋を持ち上げた明彦が守人の前の席に座った。一方、横の席に座った智代は弁当を広げる。


 ようやく上半身を起こした守人は鞄から弁当を取り出した。それを広げながら二人に話しかける。


「二人はテストの出来ってどうだった?」


「私はいつも通りかな。満点かどうかはわからないけど、九割はあるはずよ」


「ぼくもあんなものかな。八割くらいいってたらいい方だと思う」


「結構取れてるじゃないか。いいなぁ、俺なんて六割あるのを祈るばかりなのに」


「大変ね。でも直前での詰め込みだけならそんなものかしら」


「点数のお裾分けなんてできたら良かったんだけどね」


 それぞれが自分の昼食を口にしながら三時限目の小テストの結果について口にした。終わってしまえば雑談のネタである。


 騒がしい教室の中、三人も同じように喋りながら昼食を食べていたが、ここで明彦が話題を変えてきた。守人へと向き直る。


「ところで守人くん、昨日持ち出したアレ、どうだったんだい? 動いたかな?」


「ああ。ちゃんと充電できて起動もできた」


「本当かい? 今持ってきてる?」


「持ってきてる。充電もしてあるから動くよ」


「ねぇちょっと、アレって何よ?」


「昨日旧北校舎に行ったんだけど、あそこの地下に通じる階段を見つけたんだ。試しに下りてみたら廃墟になった地下施設があって、そこを探検してたら個人用端末機パソデバみたいなものを見つけて」


「二人ともなんて所に行ってるのよ。絶対危ないところじゃない。で、達川くんに今渡したやつが見つけた物?」


「そうだよ」


 鞄から黒い電子施錠端末機キーデバイスを取り出した守人は明彦に手渡した。


 目を見開いた明彦は興味深そうに黒いそれをしばらく眺め、守人が教えた通りに細長いボタンを長押しする。すると、画面が単なる黒から通電したときの明るい黒に変化した。それを機に細長いボタンを離すと同時に文章と記号が画面に現れる。


「『画面に表示されている記号に沿って、人差し指、中指、薬指を置いてください』?」


「何かの認証画面みたいね。その個人用端末機パソデバにログインするためのものなの?」


 弁当に箸を置いた智代が立ち上がって黒い電子施錠端末機キーデバイスの画面を覗き込んだ。


 二人ともわからないといった表情を浮かべた顔を守人に向ける。


「たぶん違うと思うんだけど、はっきりとは俺もわからないんだ。試しに右手の三本の指を置いたんだけどエラー表示で先に進めなかったし」


「ほほう。む、確かに」


 画面に表示されている指先の記号に合わせて明彦が右手の指を押しつけた。すると、『機器に接続されていません。接続してからもう一度認証してください』とエラーメッセージが表示される。


 しばらく智代と明彦は画面の文字をじっと見つめていた。それから明彦が顔を上げて守人に目を向ける。


「機器に接続されてないって表示されてることは、何かに繋げなきゃいけないんだね?」


「たぶん。それが何か俺もわからないけど」


 すました顔をして守人は返答した。しかし、実はアニマからこれが何であるか聞いているので知っている。昨日入った地下施設にある金庫室の鍵だと教えられていたのだ。アニマの存在を当面秘匿する以上、余計な情報は伝えないようお願いされたのである。


 黒い電子施錠端末機キーデバイスを色々といじっていた明彦だったが、それ以上変化しないと知ると智代に手渡した。智代は同じように一通り触ると守人に返す。


「興味深いけど、これ以上変化しないならどうしようもないわね」


「これ、どうしよう? ずっと持っておくってのもさすがになぁ」


「ぼくもそこまで考えていなかったなぁ。藤山さんはどう思う?」


「売ったらどうかしら」


 あっさりと言ってのけた智代の言葉に守人と明彦が顔を見合わせた。


 戸惑いながら守人が口を開く。


「売る? これを? ていうか売れるのか、これ? 正体不明すぎるだろう」


「そういうのでも欲しがる人はいるわよ。ネットオークションに出してみたら? ジャンク品を買いあさってる人が買うかもしれないわよ」


「智代はやったことあるのか?」


「あるわよ。ちょっと手間をかけたらいくらかになるから便利なのよね」


 おかずを飲み込んだ智代が楽しそうに守人へとネットオークションを紹介した。聞いている明彦も小さくうなずいている。


 話を聞いた守人はどうしたものかと首をひねった。そこへアニマが口を挟んでくる。


『ネットに流すのはやめてよ。それって見る人が見たらわかるから。処分するなら完全に物理的に破壊してほしいわ』


 電子施錠端末機キーデバイスについての扱いに注文をつけてきたアニマに、守人は何とか頭の中だけで返答しようとした。場合によってはこの黒い端末機を引き取る主張をしないといけなくなるからだ。


『なん、で?』


『お、単語だけなら返事ができそう? いいわね。えっとそれでね、理由はあたしのデータファイルを完全に削除したいからよ。一応ソフトウェア的にも処理したけど、やっぱり記憶媒体メモリを物理的に破壊するのが一番確実だから』


『わか、った』「智代、明彦、それじゃ俺がこれをどうにかしておくぞ?」


「いいんじゃない?」


「ぼくもいいよ。充分見たからね」


『モリト、ありがとー!』


 喜ぶアニマの声を聞きながら守人は電子施錠端末機キーデバイスを鞄にしまった。


 それから話題は別のものへと移る。いつも通り三人は雑談にふけりながら楽しい昼休みを過ごした。




 この日もすべての授業が終わった。六時限目のチャイムが鳴り終わると教室内が一気に騒がしくなる。教壇の教師が去るとそれは一層大きくなった。


 守人が鞄に荷物を入れていると智代が近づいてくる。


「守人くん。ちょっといいかしら? 昼休みに見せてくれたアレについてなんだけど」


「どうかしたのか?」


「アレの記憶媒体メモリの中は覗いた?」


「え? いや、見てないけど」


「それじゃ私に一晩貸してくれない? 持って帰って調べてみたいのよ」


「あー、お前そういうの好きだったなぁ」


「そうなのよ。一度授業中に気になったら覗きたくなっちゃって!」


『システムファイル以外はほぼ何もないわよ。あたしのデータファイルはもう削除しちゃったし、今はただの電子施錠端末機キーデバイスね』


『マジ、で?』


『防犯対策でちょこっといじったけど、それだけよ。中を覗く分には問題ないわ』


 頭の中に響いたアニマの声に守人は曖昧にうなずいた。今の状況ではまともな会話はできない。


 受け取った黒いそれを手にした守人はしばらくそれを眺めていた。それから智代に差し出す。


「あーうん、わかった。いいよ」


「ありがとう! それじゃ早速帰って調べてみるわね!」


 喜んで黒い電子施錠端末機キーデバイスを受け取った智代がそれを鞄にしまうと教室から出て行った。


 次いで明彦がやって来る。


「守人くん。商店街に行こうじゃないか」


「明彦、ごめん今日は無理だ。今から用務員室に行かないといけないんだよ」


「用務員室? 呼び出しかい?」


「ああ。六時限目の授業中に呼び出しメッセージを受けたんだ。帰る用意ができたら寄るようにって。お前にメッセージは来てないのかよ?」


「来てないね」


 問い返された明彦は首を横に振った。


 どちらも用務員に呼び出される理由ならばある。だから守人が呼び出されること事態に驚きはない。しかし、守人一人だけというのは理由がわからなかった。


 不安そうに二人は黙る。いくら考えてもわからない。


 大きくため息をついた守人が口を開く。


「あー、くそ。なんで俺だけなんだよ。嫌だなぁ」


「ぼくたちも付いていった方がいいかな? どんな理由で呼び出されたのかわからないけど、あそこに入ったのはぼくたち二人だからね」


「いや、とりあえず俺一人で行く。あの件で何か言われるようなら、たぶん後で二人も呼び出されると思うから」


「見逃してもらえたと思ってたんだけどねぇ」


「意外と話がわかると思ってたんだけどな、あの用務員。何の用だろう?」


「今のぼくは祈るしかできないなぁ」


「まぁいいや。とりあえず行ってくる」


 明彦の声を背に守人は鞄を持って教室を出た。




 この月野瀬高等学校には厳密に用務員室というものはない。中校舎の西側、プールの南側に倉庫があるのだが、その北面に張り付くように小屋が建っている。これを生徒は用務員室と呼んでいるのだ。


 中校舎の西側から外に出た守人は目の前に見えた小屋の前に立った。スライド式の扉の横にあるインターホンを押す。


「二年B組の裏神守人です」


『どうぞ、入ってください』


 許可を得た守人は扉を開けて中に入った。色々な物がありながらも整頓された室内の奥で用務員が椅子に座っている。その表情は穏やかだ。


 その近くまで寄った守人は用務員の前に立つ。


「早く帰りたいだろうに呼び出して悪いね」


「いえ。それで、どんな用なんでしょうか?」


「前に君たち二人が旧北校舎に入っただろう? あの件で再確認したいことがあるんだ」


「再確認ですか?」


「そう。手短に言うとだね、昨日あの校舎から地下に下りて行ったって疑っているんだよ」


 目を見開いて守人は固まった。旧北校舎に入ったことはともかく、地下に下りたことは気付かれていないと思い込んでいたからだ。


 顔を強ばらせた守人が何も言い返せずにいると用務員が言葉を続ける。


「僕が持っている証拠を示そう。二日前の日曜日に僕はあの地下施設に一度下りて調査をしていたんだ。そして、昨日の夕方君たちがあの校舎から出てきたことを見咎めて、その後にまたあの地下に下りた。すると足跡が二人分増えているじゃないか」


「それが、俺たちのものだと?」


「僕以外の誰かがあの地下に入ったことが確実で、状況的には君たち二人以外にはありえないんだ。けど、それでもあくまでも状況的にすぎない。そこで、物的証拠を押さえるため、君の靴を借りたいんだ。その靴底と足跡が一致するか確認したい」


 話を聞きながら守人はかつて見た動画を思い出していた。あれは探偵がその技術を披露するというもので、その中に足跡を特定するというものがあったのだ。


 頭が真っ白な守人は呻くように尋ねる。


「見逃してもらえるんじゃなかったんですか?」


「屋上に行ってるだけだったらそのつもりだったんだけどね。地下だとそういうわけにはいかないんだ。学校が管理している場所でもあそこは危険な所だからね」


「そんな」


「ただ、前にも言ったように僕も好きでこんなことをしているわけじゃない。事を公にすると僕も厄介なことになるからね。そこで一つ、君たちがあそこから持ち出した物を渡してもらえないだろうか。それでこの件はなかったことにしよう」


「え?」


「あれだけ派手に足跡を付けていろんな所を回っていたんだ。バレないとでも思っていたのかい?」


 返す言葉もなく守人は黙った。確かに自分たちでさえ足跡に気付いたのだ。地下に下りた用務員が気付かないはずがない。


 ただ、あの電子施錠端末機キーデバイスを差し出すのは迷った。アニマに破壊すると約束しているからだ。もちろん自分の身の危険とは比べるべくもないのだが、それでも簡単に差し出せるわけではなかった。


 しかし、黙っているとアニマが声をかけてくる。


『んー仕方ないわね。あれ、渡しちゃいましょ』


『いい、のか?』


『少なくともデータファイルをかなり破損させているから、引き上げられても部分的にしか見ることはできないわ。だから、モリトの人生を賭けるほどこだわる必要はないわよ』


「わかりました。けど、明日にしてもらえますか? 今手元にないんで」


「どこにあるんだい?」


「実は中を見てみたいっていう友達に貸しちゃって」


 愛想笑いを浮かべた守人がたどたどしい言い訳をすると、用務員の血相が変わった。食い入るように顔を突き出して睨んでくる。


端末機ハードをバラす、いや分解するってことかい!?」


「いや、そうじゃなくて、記憶媒体メモリに何があるのか知りたいって言ってたんですよ。だから分解するとかじゃないです、たぶん」


「誰に貸したんだい?」


「同じクラスの女子です。藤山智代っていう」


「いつ返してもらえるのかな?」


「一晩だけって言ってましたから、明日には返してもらえるはずです」


「はぁ、困ったことをしてくれるねぇ。まぁないものは仕方ない。明日、返してもらったらすぐに僕へと届けてくれ」


「わかりました。すいません」


「もういいよ。帰ってくれ」


「はい。失礼しました」


 随分と迫力のあった用務員の気迫が消えると、守人は全身の力を抜いた。まさかの事態に疲労が大きい。


 踵を返した守人はふらつく足を動かして用務員小屋から去った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る