使い道はないはずだが

 用務員に叱られた翌日、守人は気が重いまま登校した。冴えない顔で教室に入る。


 何人かと挨拶を交わしつつ教室内を横切った守人は自分の席に座った。すると、明彦がやって来る。


「おはよう。なんだか元気がないね、守人くん」


「昨日の放課後、用務員に呼ばれただろう? あれでちょっとね」


「あれかぁ。どうしたんだい? ぼくも人ごとじゃないから気になるね」


「実は地下の廃墟に行ったことがバレてたんだ」


「ほ、本当かい? それはまずいね。でも、どうしてバレたのかな?」


「足跡だよ。俺たちも床にあった足跡で人が入ったことに気付いたけど、あの用務員も同じだったらしいんだ」


「でも、あの足跡がぼくたちのものだなんてどうやってわかったんだろう?」


「俺が呼び出されたときはまだ確定じゃなかったみたいなんだけど、誰の足跡か特定するために靴を寄越せって言われたんだ」


「つまり、ぼくたちが入ったと最初から疑っていたと。まぁ、旧北校舎から出たところを見られてたから普通はそう予想するよね」


 元気のない守人の説明を聞いた明彦は目をつむって顔を上に向けた。しかし、すぐに元に戻して守人に尋ねる。


「でも、旧北校舎に入ったことは見逃してもらえるんじゃなかったっけ?」


「俺たちが屋上に行っただけだったらそうなんだけど、地下の廃墟に行ったとわかったら話は別だって言われたんだよ」


「あそこはそんなに特別な場所だったのかい?」


「どうなんだろう。それはわからないけど、危険な場所だとは言われたな」


「まぁ、あんな状態だったしね。で、結局ぼくたちはどうなるんだい?」


「それなんだよ。実は、条件付きで見逃してもらえることになったんだ」


「ほほう、その条件とは?」


「あそこで拾った黒い個人用端末機パソデバもどきがあるだろう? あれを渡したらなかったことにしてくれるらしいんだ」


「それならぼくとしては願ったりだけど、あれって確か昨日藤山さんに貸したよね?」


「貸した。だから返してもらわないといけないんだけど、壊れてるかもって思った用務員が顔色を変えたから、あいつの扱い方によったらどうなるか」


「そ、それはまずいね。どうにか藤山さんにそのまま返してもらわないと」


「昨日のままでな」


 一旦話し終えた守人は明彦と一緒に頭を抱えた。もう一人の友人が自分たちの生命線をどのように扱っているのかは実際に現物を見ないとわからない。心臓をわしづかみにされた気分だった。


 深刻な顔をしている守人と明彦がため息をついた後、話題にしていた智代が声をかけてくる。


「おはよう! どうしたの? この世の終わりってみたいな顔をして」


「ある意味ぼくたちの世は終わるかもしれないんだ。藤山さん次第でね」


「なによそれ? 何があったの?」


「俺から話すよ。昨日の放課後に用務員に呼び出されてな、旧北校舎に入ったこと一度は見逃してもらえたんだけど蒸し返されたんだ。理由は地下の廃墟に入ったから。それで、昨日智代に貸したあの黒いやつを提出して見逃してもらうことになってるんだ」


「え? あなたたち、勝手に入ったことばれてたの? バカじゃない?」


「うっ、そんなはっきり言われると腹立つけど、何も言い返せないな」


「そうだね。ぼくもさすがに見つかったのはないなって思ってるし」


 正直な感想で智代に心を刺された守人と明彦は肩を落とした。どちらも情けない顔を浮かべて黙ってしまう。


 しばらく呆れた顔で友人二人を見ていた智代はため息をついた。片手でこめかみを押さえながら口を開く。


「ちょっと分解しようかなって思ってたけど、やらなくて正解だったみたいね」


「おお、マジでその自制には助かった! あの用務員、なんか分解するのかって怒ってたから心配してたんだ」


「単に返せばいいだけじゃないの?」


「盗った物を壊して返された誰だって怒るだろう?」


「廃墟から盗ってきて動くかどうかなんてわからない代物なんだし、最悪壊しても元々動きませんでしたって言っちゃえばいいんじゃない?」


「ああなるほど? でも、そんな言い訳通用するのかなぁ」


「それは言ってみないとわからないわね。ともかく、返しておくわよ」


 スカートのポケットから取り出した黒い電子施錠端末機キーデバイスを智代は守人に手渡した。


 守人は手にしたそれの電源を入れる。しばらくすると認証画面が表示された。手を添えるとエラー表示が画面に現れる。


「おー、ちゃんと動く。良かったぁ。これであの用務員に怒られずに済む」


「そうだね。これで見逃してもらえるんじゃないかな、守人くん」


「だと思う。後は渡すだけか」


 安堵のため息を大きくつくと守人は手にした電子施錠端末機キーデバイスを鞄にしまった。


 同じように全身の緊張を解いた明彦が智代に顔を向ける。


「ところで、これの中を調べてどうだったのかな? 何か面白いものでもあったかい?」


「別にこれといってなかったわね。古いOSといくつかのアプリケーションがあるだけだったわ。細々としたファイルもあったけど、さすがに全部を調べる気にはなれなかったかな」


「結局あの個人用端末機パソデバもどきが何かはわかったのかな?」


「たぶん、何かに取り付けて使う指紋認証型の電子施錠端末機キーデバイスだと思う。扉か何かかな? 当てずっぽうの推測だけど」


『おお、いい線突いてくるじゃない、トモヨって子』


 それまで黙っていたアニマが守人の頭の中で感心した。同意見の守人もうなずく。


 うなずいていたのは明彦も同じだ。ただし、こちらは智代の説明に対してである。


「ほほう、電子施錠端末機キーデバイスか。ぱっと思い付くところだと、金庫とか超重要な施設とかで使いそうだね」


「そうね。それより、なんでそんなものが稼働可能状態で地下の廃墟にあった方が不思議だけど。最近誰かがこっそり置いたって言われたら私は信じるわよ?」


「でも、これが入っていたプラスチックのパッケージに付いた埃の積もり具合は、周りと変わらなかったんだよねぇ」


「その廃墟が使われなくなったときと同じときに捨てられたものってこと? 廃墟のどこにあったのよ?」


「仮眠室みたいなところの机の引き出しだったよ」


「なんでそんな重要そうなものがそんなところにあるの?」


「知らないよ。ぼくが捨てたんじゃないし」


「そりゃそっか。うーん、不思議ねぇ」


 肩をすくめた智代はそれで黙った。明彦は難しい顔をしている。


 三人の間に沈黙が訪れた。それを守人が破る。


「もうその辺はなんだっていいや。とにかくこれを用務員に渡したら全部終わるんだから」


「それもそうだね。いつ渡しにいくつもりなんだい?」


「昼休みになったらパパッと渡しに行こうと思ってる。放課後だと余計な説教が長くなりそうだし」


「いい考えだね。昼休みなら用務員さんも休みたいだろうから小言も少なくなるはず」


「そうそう! もうあんな所に行くつもりなんてないから、説教も手短にしてもらいたいよ。だるすぎる」


 気だるそうにした守人が首を横に振った。確かにあのとき冒険したいとは思ったが、自分の内申書を賭けるような危険までは望んでいない。


 朝から疲れた様子の守人に智代が提案する。


「今日の放課後って時間空いてる? カラオケに行かない?」


「カラオケかぁ。最近行ってないな」


「ぼくもだね。今日は空いてるから賛成かな。実は持ちネタが増えてね、披露したいんだ」


「明彦お前、アニソンがまた増えたのか。特撮系とかか?」


「守人くん、特撮系だとアニソンじゃないじゃないか。きみは前からその辺がいい加減だったね。そろそろしっかり教育しておくべきかな?」


「なんでそんなことで俺が教育を受けなきゃいけないんだよ。どうでもいいだろう」


「あー守人くん、いけない。その発言はいけない。きみはルビコン川を越えてしまった」


「越えてないよ。っていうか、どこにある川なんだ、それ?」


「本物の川はイタリア半島にあるよ」


「マジで答えやがった、こいつ」


 とてもかわいそうな生き物を見る目を明彦から向けられた守人は顔を引きつらせた。たまに自分の趣味の知識を教育してこようとするところが少し厄介だ。


 二人の話を呆れながら聞いていた智代がそこに口を挟む。


「で、守人くん。カラオケには行くの?」


「え? ああ、行くよ。俺もあの電子施錠端末機キーデバイスの件をさっさと終わらせて憂さ晴らししたいし」


「それじゃ決まりね! 私も新曲があるから楽しみにしていなさいよ!」


「またあれが増えるのか」


「いいじゃないのよ、好きなんだから! 守人くんだって歌えばいいのよ!」


「あーうん、わかった。だから落ち着け」


 両手を握って力説してくる智代に守人は腰が引けながら言葉を返した。


 そのときチャイムが鳴り、同時に小柄で可愛らしい顔の教師が入ってくる。


「はーい、みんな座ってー! 藤山智代さーん、号令よろしくー!」


「あ、常磐先生!」


 担任教師に呼ばれて慌てた智代と同時に明彦も自分の席に戻っていった。


 智代の号令で生徒全員が立って常磐教諭に礼をして守人は着席する。今日の昼休みのことはできるだけ意識の外に放り出して放課後のことだけを考えた。




 昼休みになった。智代から返してもらった黒い電子施錠端末機キーデバイスを用務員に渡さないといけない。


 チャイムが鳴り終わると守人はすぐに立ち上がった。昼食を食べてからにしようかとも考えたが、嫌なことを先に済ませてしまおうと教室を出る。


 必要だと思いつつも気が進まないまま、守人は倉庫の北面にある用務員小屋へと向かった。スライド式の扉の横にあるインターホンを押す。


「二年B組の裏神守人です」


『どうぞ、入ってください』


 許可を得た守人は扉を開けて中に入った。色々な物がありながらも整頓された室内の奥で用務員が椅子に座っている。その表情は昨日と同じく穏やかだ。


 その近くまで寄った守人は用務員の前に立つ。


「待っていたよ。持ってきてくれたかい?」


「はい、これです」


 アニマの許しを得た守人はズボンのポケットから電子施錠端末機キーデバイスを取り出した。それを用務員に差し出す。


 それを受け取った用務員はしばらくあちこちを眺めていた。次いで色々と触り始める。


『どうもあれを起動させたいみたいね』


『なんで、だろう?』


『さぁ? あれの使い道って分厚い金庫扉を開けるだけなんだけどなー』


『あの、地下に、ある?』


『そうよ。今はどうなっているかわからないけれど。それよりモリト、あんたの個人用端末機パーソナルデバイスを触ってくれない?』


『どうして?』


『この用務員小屋に何があるのか見てみたいのよ。授業中に学校のネットワーク回線から入ろうとしたんだけど妙にガードが堅かったから、ここからなら入れるかなーって』


『おい、やめろ!』


『えーなんでー? なんか怪しそうじゃない? 絶対何かあるわよ!』


『俺の、内申書が、危ない!』


『あーそういえばそんなのあったわね。いーでしょ、今回は引き下がってあげるわ。真面目にネットワーク回線からちまちま入ってみるわ』


『だから!』


『あ、起動したわよ、モリト!』


 しばらく電子施錠端末機キーデバイスを触っていた用務員が細長いボタンを長押しした。それからしばらくして認証画面が表示される。


 正常に動作することを確認した用務員は安堵のため息を漏らした。明らかに機嫌が良くなった顔を守人に見せる。


「他人に貸したと聞いたときは驚いたけど、ちゃんと動くようだね」


「これって動いた方が良かったんですか?」


「ん? まぁそうだね。別に壊れていても構わなかったんだけど、どうせなら動いた方がいいかな」


「何に使うやつなんですか?」


「僕にもわからないよ。調べてみないことにはね。気になるのかい?」


「まぁ、あんなところにあったやつですから。しかもこれだけ動きますし」


「確かにね。ただ、今は何とも言えないな」


 アニマから本来はもう使い道のない道具だと聞いている守人としては、用務員の様子が何となく腑に落ちなかった。しかし、追及するほどの疑問かと問われるとそこまでではない。特に首根っこを捕まえられている今は尚更だ。


 電子施錠端末機キーデバイスを机の上に置いた用務員が守人に告げる。


「ありがとう。穏便にことを済ませられて良かったよ。知らないかもしれないけど、例え廃墟の中のガラクタであっても、所有権が放棄されていなければそれは誰かのものなんだ」


「ということは、それも誰かのものなんですか」


「その通りだよ。まぁガラクタなんて誰も欲しがらないだろうけど、たまに面倒なことになるからね。他には何か盗ってきたものはあるかい?」


「いえ、それ以外は何も盗ってません」


「だったら構わないよ。この件はこれでおしまいだ。帰っていいよ」


「ありがとうございます。失礼しました」


 全身の力を抜いた守人は大きな息を吐き出しながら用務員に礼を述べた。大きな危機を脱したのだ。喜びよりも疲労が大きい。


 空腹であることを思い出した守人は踵を返して用務員小屋から去った。

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