妖精さんと学校に登校

 黒い電子施錠端末機キーデバイスから移ってきたアニマという電子生命体と共存することになった守人は、翌日いつものように学校へと登校した。


 家を出た時点からアニマは半透明の妖精の姿を守人の視界に立体表示し、その愛らしい姿をあちこちへと向かわせる。研究所から出られたことが嬉しいらしく、はしゃぎ回っていた。


 それが守人にとって非常に気になって仕方ない。目の前がちらついて鬱陶しいというのもあるが、それ以上に他の誰かに見つからないか不安なのである。


「なぁ、アニマ。本当にお前のその姿って誰にも見えないんだろうな?」


『大丈夫。昨日も言ったでしょ、あんたの視神経に割り込んでこの姿を見せているだけなんだから、他人に見えるわけないじゃない』


「何て言うか、あんまりにもリアルに見えるから心配なんだよ」


『台所で飛び回ってもあんたのお父さんもお母さんも気付かなかったでしょ』


「まぁそうなんだけど。いやちょっと待て、実在しないならなんでこんなにちょこまか動かすんだよ? 必要ないだろ」


『そうでもないわよ。だってモリトに視線を向けてほしい方向へ誘導しているんだもん』


「は? なんでそんなことするんだ?」


『だって、今のあたしは視覚情報をモリトの目に頼っているからよ。あんたの見る方向しか見られないんだから』


「あーなるほど」


 実は理由があって守人は納得した。しかし、目の前が鬱陶しいことには変わりない。


 学校に近づくにつれて登校する他の生徒の姿が増えてきた。こうなるとおおっぴらにアニマと会話ができなくなる。とりあえず昨晩二人でこの対策に取り組んだ。


 小声で守人がアニマに話しかける。


「何度か練習したけど、やっぱり喋りにくいよな、これ」


『口を動かさないであたしとお話しする方法を早く体得しないとねー』


「なんでこんな苦労を」


『でも、脳みそ以外をサイボーグ化した人はできるんでしょ?』


「そこまでいったらもうまったくの別物じゃないか。俺は生身の人間なんだっての」


 近くを歩いていた生徒が守人へと顔を向けた。顔を引きつらせた守人が見返すと、すぐに顔を背けて離れていく。明らかに避けられた。


 渋い顔をしながら守人がつぶやく。


「くそ、なんだってこんな目に遭わなきゃいけないんだ」


『ほら、やっぱり頭の中だけで会話できるようになるべきなのよ』


「諸悪の根源であるお前に言われるとむかつくな!」


 目の前の半透明の妖精が口元に手を当てて静かに笑う様を見て守人は歯ぎしりした。


 悔しい思いを抱きながら校門をくぐった守人は中校舎を目指す。周囲はいつも通りで変わったことはなく、そのまま教室に入った。知り合いと挨拶を交わす。


 自分の席に座った守人は鞄を机の脇に掛けるとぐったりとした。そこへ智代と明彦がやって来る。


「おはよう、守人くん。 朝から疲れた顔を見せてるわね」


「昨日は夜遅くまで何かしていたのかい?」


「おはよう二人とも。いやちょっとな」


 視界の端で半透明の妖精が様子を眺めているのを認めながら、守人は友人二人に挨拶を返した。ここからはあまり妙な言動はできない。


 椅子に座ったままの守人が体を二人に向ける。


「数二の宿題をやってたんだよ。浅野の奴、あんな大量に出しやがって」


「あれね。確かに面倒だったわ。あれ、浅野先生が全部自分で作った問題だからネットで調べてもコピペできないって他の人が恨んでたわね」


「そいつって個人用端末機パソデバに数学ソフトをインストールしてないのか?」


「してるけど、結局コピペできないから手で書き写さないといけないでしょう」


学業用端末機スクールタブレットにはインストールできないもんな、あれ」


「生徒の能力を育てるために禁止してるんだっけ。今時古いとは思うのよね」


 したり顔で智代が持論を主張した。隣の明彦もうなずいている。


 その様子を見ていた半透明の妖精が眺めていた。その後、守人へと向き直る。


『この二人が例の友達なのね。こっちが今喋ってたのがフジヤマトモヨで、もう片方がタツカワアキヒコ』


「ああ、そうだよ」


「ん、なにがだい?」


 思わず守人が喋ったのに明彦が反応した。


 意識をアニマへと向けていた守人はすぐに反応できずに焦る。智代もそれに気付いた。


 二人からの視線を受けた守人は若干挙動不審になる。


「あーいや、智代の意見にだよ。学校の考え方が古いってやつ。言い方はちょっとおかしかったけど」


「やっぱり守人くんもそう思うわよね。学業用端末機スクールタブレットのプロテクトを解除したいわ」


『あたしだったらできるわねー』


 不満そうな智代の近くに半透明の妖精が近寄った。もちろん守人にしか見えないし誰も触れない。だからこそ今度は守人も我慢できた。


 そこへ明彦が話を振ってくる。


「そういえば、今日の現文で小テストがあるよね。守人は勉強してきたかな?」


「うっ、しまった忘れてた!」


「あちゃ~、ご愁傷様。まぁ三限目だから内職して覚えるしかないね」


「範囲ってどこだったっけ? 百ページ以降だったか?」


「百十ページ以降だよ。範囲は狭いから、頑張ったら何とかなるんじゃない?」


「明彦、お前は余裕だな。さてはきっちり昨日勉強してたのか?」


「まぁね。それにぼくは現文得意だし」


「そうだったなぁ。智代、お前はどうなんだよ?」


「余裕よ。あんまり覚えるところもなかったし」


「ちっくしょう、俺だけかよ!」


『手伝ってあげようか?』


「いらねー!」


 口を挟んできたアニマに答えた守人が自分の失敗にすぐ気付いた。顔をしかめる。友人二人は互いに顔を見合わせた。


 心配そうな顔をした智代が守人に声をかける。


「守人くん、何か体調でも悪いの?」


「ああいや、そいうわけじゃないんだ。ちょっと寝不足でね。ぼんやりとしてて受け答えをミスっただけだよ」


「それならいいんだけど」


「はーい、みんな座ってー! 藤山智代さーん、号令よろしくー!」


 チャイムと同時に担任教師の常盤教諭が教室に入ってきた。それで教室のざわめきは急速に落ち着き、智代と明彦も自分の席へと戻っていく。


 鞄から自分の学業用端末機スクールタブレットを取り出した守人はそれを起動させた。ホームルーム用の画面と半透明のキーボードが画面から飛び出て立体表示される。


「みんなよく聞いてねー! 今日は特に連絡事項はないんだけど、注意事項が一つありまーす! 最近世の中が物騒になってきて商店街とかも危険になってきているそうです。ですから、行くなとはいいませんが、夜遅くまで遊ばないようにしてくださーい!」


 肩辺りで毛先のはねている愛らしい常盤教諭が教壇上で元気よく声を上げていた。その姿を見ている生徒は半分ほどで、残りは学業用端末機スクールタブレットに目を向けている。


 守人も立体表示された画面を眺めていた。教壇から聞こえる内容と同じ注意事項が表示されている。


『おー、この学業用端末機スクールタブレットってやつからでも学校外のネットワークには出られるのね! いいじゃない。モリト、授業中ずっとこれを触っててよ』


 声を出そうとした守人はすんでのところで口を止めた。さすがに教師が教壇に立っているときはまずい。


 しばらく顔をしかめてじっとしていた守人は半透明のキーボードを操作する。


『ずっとは無理だ。俺だって授業を受けなきゃいけないんだぞ』


『お? こっちの画面に返事を書くわけね。考えたじゃない! で、ずっと出なくてもいいから、できるだけ触っててよ。そしたら後は勝手にネットワークを使うから』


『授業中は学外ネットワークとのアクセスは制限されてるはずだぞ?』


『そんなの回避するに決まってるじゃない。やり方なんていくらでもあるんだから』


『アニマ、お前そんなことができるのか?』


『もちろんよ。ガチガチのセキュリティで守られてる超重要な研究所とかならともかく、学校のセキュリティくらいだったら今のあたしでも突破できるわよ』


『そんなのどこで覚えたんだ?』


『研究所にいたときに色々と実験したことがあったのよー』


『そこってどんな研究してたんだよ?』


『な、い、しょ☆』


 呆れた顔をした守人に半透明の妖精がウインクをした。それから楽しそうに飛び回る。


 ため息をついた守人はキーボードから手を離して学業用端末機スクールタブレットに触れた。


 ホームルームが終わると、次いで一時限目の世界史の授業が始まる。現在は中世の後半について教師が教壇で説明していた。


 学業用端末機スクールタブレットから飛び出して立体表示されている教科書に目を向けながら守人は半透明のキーボードを叩き、奥が透けて見えるノートにときどき指で線を引っぱる。


 授業が始まるまではおとなしかったアニマだが、守人が忙しく手を動かし始めると半透明の妖精があちこちに動き始めた。


 それを見た守人が眉をひそめてアニマに向かってノートに言葉を書き連ねる。


『お前なんでそんなにうろちょろするんだよ。ネットを見てたんじゃないのか?』


『だって、モリトが学業用端末機スクールタブレットから手を離してキーボードを叩き始めたからアクセスできなくなったんだもん』


『このやり方は不便だな』


『そうね。効率が悪いとか以前の話だったわね。常時アクセスできる方法はないかしら』


『空気中に飛んでる電波を利用ってできないのか?』


『モリトの体にアンテナが生えていたらできたわよ。最近は体に機械を埋め込むインプラントってのが珍しくないんでしょ? モリトもこれをしてくれたら嬉しいんだけど』


『俺もやりたいんだけど、親が高校を卒業してからでないとダメって禁止されてるんだよ』


『なんでまた?』


『インプラントは体の成長が終わる十八歳以上からが望ましいっていう政府見解があるらしいんだけど、母さんはそれを信じてるんだよ。インプラントは十六歳からできるって法律で認められてるのに。おかしいよな』


『まー人の成長は個々人でずれがあるものねー。となると、別の方法を考えないといけないわけか。どれも今ひとつなんだけどなー』


 教師の声だけが聞こえる教室の中、守人の頭の中にだけアニマの声が響いた。若干の不満がその声色にはある。


 アニマとの会話で授業から少し遅れた守人は板書の書き写し作業に戻った。世界史の授業は板書の量が多いので忙しい。


 二時限目は情報の授業だ。今日は防災アプリをプログラミングすることになっている。


 学業用端末機スクールタブレットに守人は先週の作りかけのプログラミングコードを立体表示した。それに興味を持った半透明の妖精がコードに近寄る。


『ほほう、これはまた面白そうなことをしてるわね』


『授業の邪魔はしないでくれよ。ちょっと遅れ気味なんだから』


『ソースコードを書いてるシートに日本語の文を書いちゃダメじゃないの』


『うるさいな! でないとお前と話ができないだろう! メモ用の画面を起こすの面倒なんだよ!』


『それで、このアプリで何をしたいのよ?』


『指定されたいくつかのデータベースから情報を引っぱってきて、見やすくて役に立つ防災アプリを作るんだ』


『遅れている理由はなに?』


『どんな風に情報をまとめたらいいのかさっぱりわからん。あと、見やすいってのも』


『ふーん。ねぇモリト、ちょっとこのタブレット触っててよ』


『いいけど』


 怪訝そうな顔をした守人が不審がりながらも学業用端末機スクールタブレットに触った。すると猛烈な勢い、というよりほぼ瞬間的に大量のコードが記載され始める。


「お、おい、これ!?」


 思わず声を出してしまった守人は慌てて周りを見た。何人かが目を向けてきたがすぐに興味をなくしてくれたので安堵のため息を漏らす。


 再び自分の学業用端末機スクールタブレットに目を戻すと作業が終わっていた。半透明の妖精が立体表示された画面の端に座っている。


『できたわよ。ネットにあるものを参考に単純な機能をいくつか組み合わせたからね』


 恐る恐る画面の表示されたアイコンをクリックした守人は本当にアプリが起動したことに目を見開いた。そのままいくつかの機能を試してみるが、バグも出ずにきちんと動くのはもちろん、やたらとスタイリッシュで見やすいことに目を剥く。


 顔をしかめた守人が小画面を立体表示させてキーボードを叩いた。同時に得意げな半透明の妖精を睨む。


『完成度高すぎだろうが! これじゃ俺が作ったなんて先生に信じてもらえないぞ!?』


『ネットのどこを探してもこれと同じ物なんてないんだから信じざるを得ないわよ』


『いやだって、このアプリについて説明しろって言われても俺が説明できないだろうが!』


『大丈夫だって。この愛らしい妖精さんがちゃんとカンペを表示してあげるから!』


 金髪のポニーテールを揺らしながら機嫌良く答えるアニマの返答に守人は頭を抱えた。


 そんな守人にアニマが言葉を続ける。


『ほら、時間を作ってあげたんだから有効活用したらいいでしょ。次の時間に小テストがあるんじゃないの?』


『やっべ、そうだった』


『ふふん、あたしのおかげよね?』


 得意げな半透明の妖精の顔を見た守人は悔しそうな表情を顔に浮かべた。事実なので何も言い返せない。


 せめてもの抵抗と、守人は無言のまま現文の教科書を立体表示させた。

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