押しかけてきた居候

 危うく内申書に響きかけた事態を何とか切り抜けた守人は疲れ果てた顔で自宅に戻ってきた。靴を脱ぎ捨ててそのまま二階の自室へと向かう。


 机の隣に鞄を置いた守人はズボンのポケットから個人用端末機パーソナルデバイスと例の黒い端末機らしきものを取り出した。それをそのまま見比べる。


 今のものに比べて厚身があり、そして重いそれはどう見ても個人用端末機パーソナルデバイスにしか見えない。外部接続の端末の規格まで同じとなると尚更である。


「これで本当に充電できるのかなぁ」


 次いで守人は机の端に置いてある板型ボードの充電器に目を向けた。大きさが微妙に違うので筐体には乗せられないが、充電コードを直接繋げれば充電できるはずである。


 意を決した守人は机の上の筐体から充電コードを引き抜いて黒い端末機に差し込んだ。すると、端末の横にある小さな赤いランプが点灯する。


「おおマジか! 充電できるんだ! すげぇ!」


 目を見開いた守人は黒い端末機を目の前に持ち上げて眺めた。自然と笑顔になる。


 そのとき、守人の個人用端末機パーソナルデバイスからメッセージの着信音が鳴った。メッセージを見ると母からの夕飯の呼びかけだ。着替えてから行くと返信する。


「とりあえずこれは充電したままだな。動くかは後で試そうっと」


 機嫌良くつぶやいた守人は制服から私服に着替えた。直後に机の上の黒い端末機へと目を向ける。そして、起動できることを期待しながら自室を出た。




 夕飯、入浴、団欒などの各種家庭内イベントをこなした守人は自室に戻ってきた。湿った髪の毛に寝間着代わりのトレーナー姿で机に近づく。


「さて、充電できてるかな」


 充電コードを繋げたままの黒い端末機を守人は手にした。端末の横にある小さな赤いランプは点灯したままだ。どの程度充電されているのかは外見からわからない。

 ランプの近くに細長いボタンがあるのを見つけた守人はそれを長押しした。一般的な個人用端末機パーソナルデバイスならばこれで起動する。


 しばらくすると黒い端末機の表面に変化が現れた。同じ黒でも通電したときの何となく明るい黒になる。しかし、いつまで経ってもメーカーロゴさえ表示されない。


「あれ、やっぱり動かないのか? うーん、古いもんなぁ」


 細長いボタンから指を離した守人は残念な表情を浮かべた。期待していただけに失望も大きい。ただ、もうしばらく待ってみる価値はあるとも思っていた。


 様子を見ることにした守人は充電コードを差したままの黒い端末機を机の上に置く。


 それから脱ぎ散らかした制服や私服を片付け、鞄の中も整理した守人は個人用端末機パーソナルデバイスをいじった。いつものページを巡回していく。


 一通りやることをやった守人は再び黒い端末機へと目を向けた。すると、画面に文章と記号が現れているのに気付く。


「お、なんだこれ? 『画面に表示されている記号に沿って、人差し指、中指、薬指を置いてください』?」


 文章のすぐ下に指先を表す記号が表示されていた。左から順に人差し指、中指、薬指とあるので右手用だとわかる。


 何の用途なのかさっぱりわからない守人はさすがにためらった。指紋認証の画面らしいことは想像できてもそれ以上のことはわからない。


「ちょっと怖いな。でもたぶんこれ、認証画面だろ? なら、変なことにはならないよな」


 自分に言い聞かせるようにつぶやいた守人は黒い端末機を机の上に置くと、右手の指三本を記号の上に乗せた。すると次いで『痺れるかもしれませんが、しばらくそのままお待ちください』という文章が現れる。


「え、痺れる? うぉ!? マジできた! これマジで認証画面? 昔の認証ってこんなに刺激的だったのか!」


 断続的に繰り返される痺れに謎の感動を覚えつつも、守人は黒い端末機に指を乗せたままでいた。途中からはこんな目に遭ったのだからと最後までやり遂げる気になる。


 体感で数分間指を乗せていた守人だったが、さすがに長時間乗せ続けると飽きてきた。そんな頃合いに文章が再び変化したのに気付く。


「『転送が完了しました。お疲れ様です。あなたがアニマの良き友であらんことを』? なんだアニマって? いや、そもそも転送って何だよ?」


 何かが終わったこと知った守人は困惑したまま黒い端末機から指を離した。お疲れ様ですの前後の言葉の意味がわからない。


 守人が不安に思いつつも黒い端末機の画面を見ていると、一度真っ黒になってから再び最初の画面に戻っていた。『画面に表示されている記号に沿って、人差し指、中指、薬指を置いてください』という文章と指先を表す記号が現れる。


 試しにもう一度指を置いてみると、『機器に接続されていません。接続してからもう一度認証してください』とエラーメッセージが表示される。


「ええ? さっきと違うじゃないか。何だよ機器って。どうなってんのこれ?」


『展開完了! うーん、やっと起きられたわー!』


「は?」


 突然頭の中に響いたアニメ調の女の子の声に守人は固まった。まだインプラントもしていないのに頭の中に直接声が聞こえることなど本来ならありえない。


 戸惑う守人周囲を見回していると、目の前に半透明の蝶々の羽の付いた手のひらサイズの妖精が現れた。背中まで伸びた金髪をポニーテールにした愛らしい美少女だ。


 忙しく羽を動かしながらその少女が守人に手を振ってくる。


『初めましてー! あたしはアニマ! いずれ何でもできるようになるすっごい電子生命体よ!』


「は? え、どっから湧いてきたんだ、お前?」


『あたし? あたしはあんたの中にいるわよ。さっきダウンロードしたでしょ』


「ダウンロード?」


『そう、そこの電子施錠端末機キーデバイスから!』


 小さい指で指された方へと守人が目を向けると充電コードが差しっぱなしの黒い端末機があった。ついさっき何をしたのか思い出す。


「もしかして、あのビリって来てたのがダウンロードだったのか!?」


『当たりー! あんたの体にデータを移してから展開して目覚めたのよ!』


「なんでそんな勝手なことをしたんだよ!? 俺は許可してないぞ」


『そこはごめんなさいねー。緊急避難だったの。何せ生死に関わる問題だったから!』


「殺されかけたのか? 前は何をしてたんだ?」


研究所おうちで生まれてから色々と実験したりされたりしていたんだけど、廃棄処分されかかったのよ。ひどいわよねー、あたしあんなに頑張ったのに!』


「実験動物か何かだったのか、お前」


『立場としてはそうね。生みの親のお父さんはあたしを生き物として扱ってくれたけど、他の人はまー半々かしら』


「そういや、自分のことを電子生命体フェアリーテイルって言ってたけど、生きてるのか?」


『フェアリーテイル? 電子生命体って今そんな呼び方になっているの?』


「昔はどうか知らないけど、今じゃみんなそう呼んでるぞ」


『それ、あたしの仮称だったんだけどな。まぁいいや。さっきの生きてるのかって質問だけど、少なくともあたしは自分が生き物だって思っているわよ。ウイルスとは違って意識もあるし、人間と同じように人格だってあるもの』


 専門知識のない守人にはアニマとなのる電子生命体が生きているのかどうか判別はできなかった。聞けば当時の専門家ですら意見が割れていたみたいなので、例え専門知識があっても判断できるかは怪しいが。


 ともかく、守人は答えの出ないことを一旦棚上げすることにした。他にも尋ねるべきことはいくらでもある。


「それじゃ、生き物っぽいからとりあえず生き物として扱おう。それで」


『ストップ! その前に、あんたの名前を教えてくれない?』


「え? ああ、俺は守人ってんだ。今は高二で近くの高校に通ってる」


『へー、学校かぁ。知ってるけど、行ったことはないわねー』


「実験動物みたいな扱いだったから、外に出たことがないのか?」


『そうよ。ネット回線でいろんなことは見聞きしたけど、実際にはないわね』


「それはちょっとかわいそうだな」


『でしょでしょー! だからいろんな所に連れてってよ!』


「なんか図々しい奴だな。ところで、アニマはいつまで俺の中にいるんだ? さっき緊急避難って言ってたけど」


『うーん、周りの状況を見ないとなんとも言えないわねー。何しろあたしはいずれ超すごい電子生命体になる予定だから、存在が秘密にされていたのよね』


「うさんくささ全開だな。いずれってことは、今は何にもできないってことか?」


『そーね。あでも、モリトの記憶だったら全部読めるわよ?』


「は?」


『最近の記憶レコードだと、友達と旧北校舎の下から研究所に入ったのよね。うわ、ボロボロじゃない! あたしのおうち、今こんな風になってるんだ!』


「おいおいおい、なに人の記憶を勝手に見てるんだよ!?」


『えー、だって完全解放状態ノーガードじゃない』


「そりゃ自分の脳みそに他の生き物が入ってくるなんて思わないからな! やめろよ、プライバシーの侵害だぞ!」


『そんなこと言われてもねー。見ようと思わなくても見えちゃう状態だもの。物理的は無理でも、せめて論理的にくらいは隔離してくれなきゃ』


「そんなのできねえよ! 人間の脳みそは記憶媒体メモリじゃないんだ!」


『んー、それじゃ諦めるしかないわね。お、夏服の女子の透けたブラとか太ももをよく見てたんだ。へー』


「マジでやめろって!」


 情け容赦なく個人情報以上の記憶を漁られた守人が叫んだ。さすがに恥ずかしい記憶を覗かれてはたまらない。


 そのとき、守人の個人用端末機パーソナルデバイスからメッセージの着信音がなった。見ると母から一言、『うるさい!』とある。


 すぐにごめんと返信した守人は机の上に突っ伏した。それから大きなため息をつく。


「見ろよぅ、母さんに怒られたじゃないか」


『守人が叫んだからよね。あたしはあんたの中にいるんだから、別に口を使って喋る必要なんてないのに』


「そんなテレパシーみたいなしゃべり方なんて知らないよ」


『だったらこれから練習しないとね。でないとモリトが危ない人みたいに見えちゃうわ』


「お前が出ていったら解決するじゃないか」


『さっきも言ったけど、あたしって機密扱いだったのよ。だから、あたしの存在が今どう扱われているのかまずはっきりさせないと危なくて外にでられないわ』


「どうやって調べるつもりなんだ、それ?」


『ネットワークにアクセスできたらいいんだけど。そうだモリト、あんたの個人用端末機パーソナルデバイスを触ってみてよ』


「いいけど、何するんだ?」


『ネットワークにアクセスできるか試してみるのよ』


 アニマに急かされるまま守人は自分の個人用端末機パーソナルデバイスを手に持った。同時に、顔の目の前に浮かぶ半透明の妖精がうんうん唸りながら首をひねる。それからいくつか指の角度を指示された後、ようやく満足そうにアニマがうなずいた。


 守人は怪訝そうな表情を半透明の妖精へと向ける。


「何が納得いったんだ?」


『モリトの体から個人用端末機パーソナルデバイス経由でネットワークにアクセスできないか試していたのよ。人間の体にも静電気が起きるんだからいけるかなって思ったんだけど、何とか操作できそうね』


「え、お前が操作するのか?」


『正確には、これを踏み台にしてあたしがネットワークへアクセスするのよ。こんな間接的な方法じゃ効率なんて最悪だけどできないよりましね。もっといいのは外部接続の端末にケーブルを差し込んで反対側の金具の部分を触ってもらう方法だけど、面倒でしょ?』


「まぁ、そりゃぁ」


『とりあえずはこれで妥協してあげるわ』


「偉そうに言うなぁ」


『いいじゃない。げっ、何よこれ!?』


「どうした?」


『ひどい、あたしの存在って禁止されているじゃない!』


「え? 電子生命体フェアリーテイルに関する法律?」


 握っているだけで操作をしていない個人用端末機パーソナルデバイスの画面から、突然法律のページが飛び出て立体表示された。電子生命体に関するものは全面禁止とある。


『人間を滅ぼすからだの支配するからだのって、あたしそんなことしないのに!』


「滅ぼすっていうのはともかく、支配するってのはいい線いってるんじゃないのか?」


『どこがよ!?』


「いやお前、さっきから俺の体の中で好き勝手してるだろう」


『ちょ、ちょっと記憶を読んだだけじゃない』


「そういえば、都市伝説の話なんかで電子生命体が死体を操ったってのがあったけど、あれはどうなんだ?」


『あーそんな実験もあったわねー』


「あったんかい。で、結果は?」


『動いちゃった、かな?』


「よし、お前は今すぐ出ていけ!」


『わーちょっと待って! あれは実験でやれって言われたからやっただけで、別にやりたくてやったわけじゃないもん!』


「ほんとか? ちなみに今、俺の体は操れるのか?」


『できるかどうかっていわれたら、そりゃできるけど』


「よし、やっぱり今すぐ出ていけ!」


『待って待って! だって神経系の信号をちょっと操ったら動くんだもん!』


「そんな簡単に動かせるのがやべーんだよ!」


『大きな声を出していると、またお母さんに怒られるわよ?』


「おっと」


 母親を持ち出された守人は興奮した感情に冷や水を浴びせかけられた。部屋に直接怒鳴り込まれる事態は避けないといけない。


「お前の扱いって法律で禁止ってあったけど、見つかるとどうなるんだ?」


『今調べた範囲からだと、捕獲されて処分だと思う。あたしが眠ってから後継の研究が進んでいるから、今のあたしにはあんまり価値はないだろうしね』


「うーん、それを聞くと放り出すのは気が引けるな」


『せめて一人でやっていけるくらいまで居候させてくれない?』


「まぁそれくらいならいいか。ただし、俺の記憶を覗くのはやめろよ?」


『だからあれはノーガードだから見えちゃうって言ってるじゃない。モリトがパーティションで区切ってよ!』


「そんなのできねぇ!」


 無茶な要求に守人は呻いた。人間にはできることとできないことがある。


 再び机に突っ伏した守人は大きなため息をついた。

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