第35話 闇ツアー

 蒼色に染まった住宅街を歩いていく。夕暮れから夜に差し掛かるその時間帯、ユウタは立ち止まっていた。奇妙な気配を感じたが、どうも女が手招てまねいているのがわかる。

 人がいない幼稚園の遊具はどこか懐古させる印象を与え、不気味な輝きを放つ。ジャングルジムは影が伸びているが、その先に赤いヒール、さらにスカートが揺れている。

 水本絵梨花だ。彼女は背景に溶け込まず、鮮やかなその色彩は浮いており、表情はどこか暗く感じさせる。ユウタは息を飲んでいた。

「こっちに来て」

 無言で従い、敷地の中に入る。恐らくは明らかな不法侵入であろう。そうして彼女の後を歩くと、ガラガラと引き戸が開いた。室内はエプロンや子供用の食器が散らばっている。壁には年季の古いカレンダーが飾られている。数年前に廃園になったのだとユウタは察すると、鳥肌が立った。

 灯りのない室内はガラスを通して夜の光が差し込んでいる。

「そろそろ用件を聞こうか」

 ユウタは問いかけるが、水本絵梨花は黙っている。

 やはり、この前とは様子が違う。


 数時間前、授業が終わると同時に裏アカにDMがきた。

 水本絵梨花は「重要な話があるの」と伝えてきた。

「話すことはない」とユウタは拒否をした。

 すると、こんな返信が返ってきた。

「だったら、私はこの世から消える」

「なんだよ、それ」

 結局、呼び出されてしまったわけだ。


 薄暗い闇の中でユウタは目を光らせて「ああいうおどしは冗談でも気分悪い」と伝えた。

 すると水本絵梨香はそばに近づいた。僅かに差し込む灯りが顔を明るくする。

「でも、来てくれた」

「来るに決まって……」

「でしょ?」

 見上げる彼女の表情は青い光を受けてより一層美しく見える。自分が推している人の見たこともない美しさにユウタは平常心を失いかけている。

 ――またペースに飲まれている。

「最近、つらいの」

「つらい?」

「私からあなたが離れていく気がして」

 そでを掴まれたユウタは黙っている。まだ浅い河川に足を浸けたままだが、いつ鉄砲水てっぽうみずとなり急流に飲み込まれるのかわからない。

「私のこと嫌いになった?」

 水本絵梨花はユウタに背を向けた。そうして食事の準備のためか、カセットコンロのスイッチを押して青いバーナーが鍋を炙り出した。


 椅子に座らされたユウタは背を向けて作業をする絵梨香を見つめている。

「これはやみツアーなの」

 絵梨香の切り出した言葉に憂いのある表情で聞き返した。

「闇ツアー?」

んでる私にとって、病みツアーともいうけれど」

 ユウタは生唾なまつばを飲んだ。

「うふふ、ほら。人って悲しさや切なさを愛する人と共有したいじゃない」

 ユウタは黙っている。彼女の真意を探っている。

「私はもっと絆を深めたいの。わかる? 病みを共有するの。お互いに辛い感情や不安を共有して理解を深める」

 ユウタは黙っている。

「さあ、これを見て」

 振り返った絵梨香は両手で抱えた木の椅子を床に置いた。椅子の上に猫のぬいぐるみがあり、白装束が着せられている。

「私達にはリリという存在がいる。リリが私たちを繋げてくれた」

 ユウタは真上を見上げた。

(完全に狂っている)

「恵梨香さん。……俺たちは前を向くべきじゃないかな」

 語りかけるのは水本絵梨花ではなく、沼崎恵梨香に対してだ。これ以上、あの人のこんな姿を見たくない。

「過去に縛られていることをリリは望んでいるのか」

 ユウタは歩み寄って彼女のてのひらを握りしめた。

「リリが最後にあなたの手のひらをなめたのは、前に進んで欲しいと願ったからだよ」

 長い沈黙のあとに、か細い声が室内に響いた。

「そうよ。リリは私たち二人を前に進めと言っているの」

 そのまま、ユウタと自分の手を手錠を繋いだ。

「えっ?」

 ヤカンが沸騰して音を立てている。ユウタはその方向を向くと、彼女と目が合う。その目は不敵に笑っている。

「同じ痛みをこれから感じる。そうすると、私たちは一心同体になれる」

 明らかに普通の思考ではない。

「やめてくれ」

 絶望的な恐怖から悲鳴を上げた。

 彼女はやかんを手に持った。注ぎ口を繋がれた二人の手に向けたその瞬間にユウタは叫んだ。

「マイクを持てなくなるぞ!」

 その瞬間、水本絵梨花は止まった。

「それは困るわね」

 ユウタはほっとしたが、絵梨香はあごに人差し指を当てて、考え込んでいる。

 そしてアハハと笑って、黒色の装置を取り出した。

「じゃあこういうのはどうかしら」

 その瞬間、スタンガンだとユウタは直感で気がついた。同時に電流が二人を貫いた。もつれ合いながら倒れ込む。

 二人は衝撃と痛みで気絶寸前になり痙攣けいれんしている。すぐ近くに下から見つめる絵梨香の顔がある。その表情は苦痛に耐えつつも笑顔である。

(この女は本気でヤバい)

 ユウタはよろよろと上体を起こしながら、繋がれあう女に吐き捨てる。

「……なんでこんなことをする?!」

「フフフッ」

 この場面でも水本絵梨花は笑いを隠しきれない。痛みよりも喜びが勝っている。ユウタと同じ感情を共にしていることが至福なのだ。

「最高よ、あなたと私、いま同じなの。素晴らしいことよ」

「嫌だ、もうやめて」

 ユウタは振り上げられたスタンガンに叫ぶ。

「あなたも求めてここにやってきたんでしょ」

「うわあああ」

 

 数時間後、外から駆けつける足音。

 ドアが開く。呼吸音が近づく。

 到着したのはユズナだ。俯いて座るユウタの顔を起こすと、生気を失った青白い表情である。

「ユウタ、どうしてこんなことに……」

 付近には開錠かいじょうされた手錠が転がっている。メッセージで地図の位置情報を知らされて嫌な予感がしたが、あまりにも想像を絶する光景だ。ユズナはボロボロになったユウタを見て泣き出す。

「許さない水本絵梨花。ユウタは私が守る」

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