第34話 バッカじゃないの

 朝、靴箱の前で動かないのはユウタだ。他の生徒達が迷惑そうに後ろを通っても、スマホを凝視して立ち続けている。彼が知ったニュースは衝撃的であった。

『水本絵梨花、初の音楽番組出演に意気込み』

 地上波の音楽番組の出演決定は推し活者にとっても最大級の喜びだ。ガチ勢のユウタも興奮するのは当たり前のこと。

(いよいよきたか。テレビでライブ映像が流れることはあったが、番組のステージで歌うのは初めてだ)

 フーンフーン。鼻音がいつものように鳴る。

 MCとのトークやテレビ専用の演出などを考えるだけでワクワクが止まらない。番組表からHDD録画を確実にして、円盤に永久保存するのも確定だ。こうなると、60型以上のテレビも欲しくなる。バイトの量を増やすしかない。

 頭に衝撃が走る。振り返ると、ユズナの姿。カバンをぶつけてきたようだ。

「バッカじゃないの」

 テレビ出演はユズナも驚いたが、ユウタが想像通りのリアクションをしていたことが無性に腹が立つ。

「うるせーな」

 ユウタはバツが悪そうにようやく上履きに履き替えて舌打ちをする。


 階段を上りながら、ユズナは呆れた声を出した。

「あんたの脳の回路いかれてるよね。あんな目にあったのに、何浮かれてるんだか」

「ふん」

(そんなのわかってんだよ)

 ユウタは自分がどれだけ葛藤や悩みを抱いているのか知らない幼馴染に苛立っていた。

「回路は至って正常だ。推し活はとは別件なんだよ」

(そう言い聞かせるしかない。しばらくは……)

「はい、そーですか。男って本当に単純すぎる」

 と、言いつつもユズナは絵梨香との温泉旅を思い出していた。彼女の魅力に取りかれる人達を全否定はできない。

(むしろ……私自身も惹かれていたのかも知れない)

 でもそれはあの日の空気や雰囲気がそうさせた。冷静に振り返ると、あの日はどうかしていた気がする。


 教室でユウタはじっくりとテレビ出演関連のニュースを読んでいたが、新たな速報に指先が止まった。

『妹分アイドルのオーディションを開催』の文字。

 同時に、立ち上がりガッツポーズをした。周りのクラスメイトは一瞬だけ彼を見るが、その後は何事もないように元に戻った。彼が推し活にハマっていることは周知しゅうちであり、もはや急なリアクションやつぶやきは見慣れた光景である。

「妹分アイドルか、マジやべえなあ」

 水本絵梨花に派生するアイドルとの共演などを想像すると夢がふくららんでいく。

 久しぶりに喜ぶユウタにリトルユウタもご満悦の表情だ。

「独り言を平気で話せるのが真の使徒たるゆえんだよなあ」

 テレビ出演と妹分アイドルの登場は未知の世界であり、興奮してワクワクする。夢中になるユウタを斜め前の席からユズナは頬杖ほおづえをついて睨みつける。

(妹分アイドルが何よ)

 先日の水本絵梨花の誘いを断ったユズナは余計に苛立いらだっていた。ユウタはユズナと目を合わせる。彼女の顔をじっと見つめる。

「なによ」

「いや、別に」

(なんで、アイツに少しドキドキしてるんだ?)


 教室の中で数秒、見つめ合う二人の間に小さな円盤が浮かんでいる。

 それは教室の窓の外に確かに浮いていた。高性能ドローンが望遠レンズでユウタとユズナを撮影している。その主は公園の木々の間に立ち尽くしているが、連写された写真の中でアップされたユウタの表情を見逃さない。

(この純粋無垢な表情は見覚えがある)

 操作していた水本絵梨花は無言でタブレットを地面に叩き落とした。ヒールで画面を踏み潰す姿に子連れの主婦は驚いて声を上げた。

(あの視線を独り占めできるのは私だけよ)

「絶対に許さない」

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