第27話 推し活者の苦悩

 夕暮れどきのライブ会場にユウタの姿があった。前の晩にユズナに何度も説教された。去り際に彼女は目を赤くしていた。

「どうなっても知らないよ、バカ」

(確かにアイツが言った通りだ。水本絵梨香は過激なストーカー女であり、常軌じょうきを逸していて、通報するべきだ。ああいう異常者を野放しにしてはいけない)

 しかし逮捕とそれに関する報道はアイドル水本絵梨香のキャリア終焉を意味することを彼は知っている。

 彼女をあがめながら推し活をしてきたユウタにとって夢と生き甲斐を失う。寒空さむぞらの下、ここに集まっている多くのファンも、失望と悲しみに暮れるだろう。


 開場時間になり、歩を進めるユウタの表情はえない。目のくまも目立つ。

 一晩中、悩んだが答えは出てこない。

 ――キラキラした推し活をとるか、安心できる平穏生活をとるか。

 彼にとっては究極の選択であり決断できない。

(いや、ここに足を運んでいる時点で……)

 ステージがライトアップする。

 大熱狂が包み込む。初の県外ライブでここまで人々が集まっている。

 ファンが飛び上がる中でユウタはサイリウムを取り出さない。ただ立ち尽くしている。

(あの女は水本絵梨香ではなく、沼崎恵梨香だ)

 いつも笑顔で優しく見守ってくれた物静かなお姉さんだった。

(そして今となっては危険なストーカーだ)

 彼は言い聞かせていた。あらゆる葛藤を抑えつける。

 しかし見上げるとステージにはまばゆいオーラを放つ女性がいる。完璧な理想の女神がそこにいる。昨晩、あんな目に遭っても夢中になってしまう。

(知らなければ良かった……水本絵梨香のことを)


         *


 ライブはスタートこそ盛大に盛り上がっていた。ただ、静観していたユウタは最初の曲の途中から異変に気がつく。

(動きがまとまっていない)

 それは集まったファン、特に前列付近の一体感がまるでなく、バラバラに動いている。そうなると、後列のファンも合わせられない。

 ――盛り上がりに欠ける。

 やはり初の県外ライブで多くの新規ファンが占めている影響なのか。


 ユウタは舌打ちをする。

(ふん、知ったことか……)

 最初の曲で失敗すると、会場の冷めた熱気を呼び戻せず、ライブの成功は難しくなる。この大型ライブで失敗すると、アイドル評論家やメディアからの評価も下がり、一気に価値が低下してオワコンになる。インディーズ時代の人気が嘘のようにメジャーデビューして、一年程度で消えるアーティストは珍しくない。

(そうなれば願ったりかなったりだ)

 フェードアウトすれば、これで推し活をする必要もなくなる。晴れてストーカー女を警察に突き出せる。ユウタはそう言い聞かせていたが、心中穏しんちゅうおだやかではない。握りこぶしを震わせている。推し活が染み付いた彼にとって、目の前にいる推しが窮地の状況で平然としていられるわけがないのだ。


 ステージ上の水本絵梨香も乗りきれない焦りを覚えている。それでもベストのパフォーマンスを発揮しようともがいている。ストーカーモードのときはぶっ飛んでいるが、アイドルモードの時の彼女は全身全霊で取り組むプロフェッショナルである。彼女の直向ひたむきで真摯しんしな姿にユウタは胸を打たれて、これまで推してきたのだ。

 ――ヤバい女には変わりがないが、アイドルとしては理想の存在と言わざるをえない。


 後ろから声が聞こえる。

「なんか、大したことないな。水本絵梨香」

 その瞬間、ユウタはザワッとして、目を見開いた。

 気がつくと、両手には光り輝くサイリウムが握られている。これが推し活者の本能であるのかも知れない。目の前の憧れの人を守ろうとする、ある種の防衛意識がトリガーとなり、近衛兵このえへいに近い使命感が突き動かす。周りの顔見知りのファンや知っている運営スタッフは「待っていた」とばかりにユウタを見る。

 ステージの水本絵梨香を見上げる彼の瞳は完全に澄んでいる。

(どんな素顔があろうとも……ライブ会場では応援に専念する)

「それだけだ」

 現地にいるのなら超絶サポートするのが真のガチ勢だ。

 ふん、と鼻をこすった。

「推し活をなめるなよ」

 つぶやくと同時に両手を広げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る