第26話 ムード

 ガチャ。すぐにドアは開いた。

 ユズナはドアの隙間から顔を出した女と目を合わせていた。

「水本絵梨香っ……!」

「ここまでくるなんてね」

 部屋の中にいるユウタは彼女達の会話を聞きながら気が気ではない。

 ドアが閉まると「きゃっ!」とユズナが部屋の中に倒れこんだ。

「ユズナ!」

「ユウタ……!」

 目を合わせたユズナは心配げな表情だ。縛られているのを見て、振り返り声を荒げる。

「あんた、ユウタに何やってんのよ!」

 水本絵梨香は微笑を浮かべたままつぶやく。

「ふふっ。仲良しなのね」

「何なの、あんた……」

 ユズナは見上げた相手の異常な姿に絶句している。まるで食事を邪魔された蛇のような冷淡な表情で見つめられていた。そのまま起き上がりユウタに駆け寄る。

「大丈夫? ユウタ」

「ああ……」

 すぐに後ろ手のロープを解いた。同時に叫んだ。

「この変態女!」

 ユズナは宿敵と対峙するように睨みつける。ユウタを守るためでもあり、バイト先でめられかけた個人的な憎悪もある。

「可愛い」

「は?」

「好きよ、そういう表情」

「マジキモっ」

 ユウタは二人の会話に入ることができず、放心状態になっている。

 水本絵梨花は歩み寄って、ユズナに顔を近づける。

「ふーん」

 ユズナは気味悪そうな表情を露骨にしながら横目で睨みつける。

「なによ」

 両者とも目を離さない。

 息が詰まるような沈黙が続いていた。

「あーもう、ムードが台無しね」

 水本絵梨香は手を叩いた。

 壁のスイッチを押すと蛍光灯が部屋全体を明るくした。

「じゃあ、私は帰るわ」

 水本絵梨香はコートを羽織はおると、何事もなかったように去ろうとする。

「ちょっと待ちなさいよ! 警察に今から通報するからね」

 ユズナはスマホを取り出した。

「やめろ!」

 声を出したのはユウタだ。

「ユウタ……」

「フフッ」

「ちょっと、待ちなさいよ!」

 耳に入っていないのか絵梨香はその場を立ち去ろうとするが、ドアの前で思いついたように振り返る。

「明日のライブ応援にきてね」

 ウインクしてユウタと目を合わせる表情は優しい笑顔だ。どこか懐かしく、記憶をくすぐられる表情。

(沼崎恵梨香……。あの頃の笑顔)

 彼女はそのまま会釈をして部屋から出ていった。

 ユウタは頭を抱えて項垂うなだれている。その姿をユズナは見つめている。

「なんで、止めたのよ。……どうしたの、ユウタ」

 彼は黙したまま一点だけを見続けている。

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