第25話 誘惑

 あの日を再現しようとでも言うのか。暗がりの中、キャンドルの灯りが二人の影を大きくする。

「私のためにライブにきた」

「……そうだ」

 後ろ手を縛られたユウタは胡座あぐらをかいた状態でうなずく。水本絵梨花はベッドに腰掛けたまま、ポンポンと隣のスペースを叩く。

(ここに座れと言うことか)

 二人は並び立つように座る。すると絵梨香はユウタの肩にほおを寄せてもたれかかる。

「ありがとう」

「……」

 あの水本絵梨香がすぐそばにいる。これが長年の推し活の習性のせいなのか、本性を知った今でさえ胸のドキドキを抑えられない。

 彼は首を振る。

(いや、沼崎恵梨香だ)

 あの人に対してはときめくような感情はなかった。

(本当にそうか?)

 ユウタは思い返している。

(タカシより早く基地に向かおうとしたのは、彼女と話したかったからじゃなかったか?)

(リリを失って泣いていた彼女に胸を打たれて寄り添ったあの瞬間も……)

 当時、ひそかに恋を抱いていた人が理想のアイドルになり、自分を愛してくれる。隣の水本絵梨香を見つめる。彼女は笑みを浮かべている。

(これが目的か……)

 ユウタは声を低くしてささやいた。

「無理だよ。おれはあんたの思い通りにはならない」にらみつけながら吐き捨てる。「あんたは異常者だ」

 水本絵梨花は自分のあごに指先を当てながら「ふうん」と天井を見上げる。

「どうかしら」

 言いながらため息をつく。

「じゃあ、推しはやめる?」

「それは……」

 ――やめるしかないに決まっている。普通に考えて当たり前のことだ。だが……。

 サイリウムを振り回す日々はユウタにとってかけがえのない青春だった。ステージ上で輝く水本絵梨香の姿も目に焼き付いて離れない。あの会場の熱気と興奮を捨てることができるのか。何よりも推してきた彼女がどこまで高みにいけるのか、それを日々の楽しみにしていた。

(クソッ)

 縛られた手を握りしめる。こんなときに限ってリトルユウタは出てこない。

 ――推している唯一無二の存在が自分のストーカーだった。

 この現実に向き合い、解決すべきはおのれしかいないのだ。

 するとユウタの背中を回る両手、彼女の長い髪が頬をかすめた。抱きつかれていた。


 耳元で囁かれる甘い声。

「もっと、素直になれば良いのよ」

 時間が止まった気がした。


 そのとき音がした。

 コンコンコン! 

「ユウタ! 大丈夫?」

 ユズナの声だ。

 その瞬間、水本絵梨香の顔色が変わった。彼女の動きは素早い。

「くるな! ユズナ!」

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