第22話 覚醒

 それから沼崎絵梨香は学校を退学して一人暮らしを始めた。アルバイトで生計を立てながら、一日の大半の時間をアイドルになるための時間に費やした。メイクの研究、ジムのトレーニング、ランニングが日々の日課となり、さらにカラオケで歌唱力を磨き上げていく。


 今まで外見を気にすることはなかったが、街を歩いていると、女性のメイクやスタイル、ファッションなどが自然と目につくようになる。

 カフェで空き時間に動画サイトを観て、異性をときめかせる仕草や話し方などの研究もするようにもなった。アイドル番組や恋愛バラエティショーなどを見てコミュニケーションスキルを学ぶこともある。

 ただ、それらはあくまで手法やメソッドを取り入れるのが目的なだけで、彼女自身は自分磨きや女子力アップに興味や関心もない。目指す職種のスキルアップ講座を受講する感覚だ。全てはトップアイドルになり、ユウタに振り向いてもらう目標があったからこそ、研究も苦ではなかった。


 やがて全身鏡に映る姿を見ながら、自分が変わっていくのがわかる。さながら脱皮を繰り返す蝶のように変貌を遂げていく。

「これが本当に私?」


 数ヶ月後、ヒールが音を立てていた。扉を開けると待合室がざわつく。

 一人だけ圧倒的なオーラを放っているのだ。まばゆい太陽のように光り輝くその女性、別人のように姿を変えた沼崎恵梨香は女性アイドルのオーディションを受けにきていた。

「ここに記入をお願いします」

 スタッフから用紙を配られ、プロフィールの名前を記入するときにペンが止まった。デビューの際は本名かニックネームのどちらで活動をするのかを選ばないといけない。本名の沼崎恵梨香だと、ユウタに本人だと知られてしまう。これだと綿密に計画したプランが台無しになる。

 思い浮かんだ記憶。

早く!』

 必死に叫んでいたユウタの姿だった。


 いよいよオーディションの出番がきた。

「次の方、どうぞ」

 彼女が姿を現すと面接会場が一気にどよめいた。

 沼崎恵梨香は歩き方、所作の一つ一つが完璧だった。

 驚くべきはすでにアイドルとして仕上がっていることだ。

 ユウタの書き記した『理想アイドル解体新書』は宮本武蔵著の『五輪書ごりんのしょ』のように理想的なアイドルになるための評論が記されている。

 それらはアイドルを目指す奥義書とも言え、沼崎恵梨香は修行の末に天性の才能が覚醒して、デビュー前にすでにアイドルの免許皆伝めんきょかいでんクラスに達していたのだ。

(本当に無名の新人か?)

(業界のやり手の仕掛け人がプロデュースしているんじゃないか)

 書類をめくる音が室内に響き渡る。

 その音が鳴り止むと、彼女は星屑のように瞳をキラキラと輝かせて、自己紹介をした。

「私の名前は水本絵梨香です。これからトップアイドルを目指します」


         *

 

 ホテルの最上階の夜景はどこまでも際限なく輝きを放っている。

 ガラスに映る水本絵梨香は生徒手帳から写真を抜き取ると灰皿の上に置いた。黄色い光が彼女の顔を染める。

「さようなら、昔の私」

 スマホを取り出して見つめる先にいるのはユウタただ一人。

「待っててね」

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