第16話 疑惑

 リビングのソファーでコーラを飲みながらユウタはスマホを操作している。頭をかきながら「やっと終わった」とつぶやいた。

 チケット受付け完了の画面に安堵する。

「ギリギリ間に合った」

 水本絵梨香スーパードリームライブ。この日の午前中に公式オフィシャルが大々的に初の県外公演を発表した。同時に販売方式がネット限定販売が告げられ、サーバーが一時ダウン。チケット争奪は熾烈しれつを極めたがユウタは渾身こんしんの粘り強さでゲットした。ただ掲示板やSNSを見ると古参でも行けない人が大勢いる。

「チケットを取れなかった人のためにも」

 その責任の重要性は誰よりも知る男だ。

 初の遠征。それでも彼は抜かりはない。いま現在、近辺きんぺんのホテルは全て予約済みになっている。彼ほどの強者になると、あらゆるシミュレーションをしているため、タブレットとスマホの二刀流でチケット取り=ホテル予約も同時に行っていた。タオルマフラーもクリーニング済み。サイリウムのストックも欠かさない。全てをとどこおりなく完璧に行う。

 気掛かりなのはユズナもどうせ行きたがると思い「チケットどうする?」と連絡をしたが「NO」のスタンプのみ。今回はやる気がないのか忙しいのか帯同しなくていいのだな、と拍子抜けした。孤高のソロ活アーティストのユウタにとってはありがたいことのはずが、どこか寂しく感じる。

 それと、もう一つ気になるのは――。

「最近、付きまといがなくなったな」

 女があの時、告げた通り、ここしばらくは音沙汰がない。あの女は一体何者なのだろうと考える。どこかで会ったような気もする。

 同時に通知がある。クリックすると、スマホの画面には大きく水本絵梨香県外ライブの特設ページが表示された。記念ポスターやグッズなどの紹介もあるため推し活者には必見である。点滅するライブのキャッチコピーを眺めていた。

『イン・ザ・ナイト!(今夜こそ私をつかまえて)』

「私をつかまえてか……」

 突如とつじょ、フラッシュバックする。


 闇夜で一瞬だけ、ストーカー女と目が合った記憶。

 カラオケボックスで水本絵梨香と見つめ合った記憶。

 まず、それらが重なり合った。

 あの夜の女の匂いと握手会の香水の匂いも同じだった。

 ささやかれた言葉。

 ――でも、あなたは絶対に私を追いかけてくれる。


 その瞬間にユウタは「うわっ!」と飛び上がりソファーに背中をぶつけた。飲みかけのコーラがポタポタと落ちて、ソファーのラバーに水滴が転がっている。全身の毛が逆立っている。

(まさか、そんなわけがない)

 ティッシュで拭きながら動きを止めた。

「水本絵梨香がおれのストーカーなんて、あるわけがないだろ」

 するとまたスマホに通知がきた。

「チケット取れて良かったね」

 今度はSNSの裏アカにDMがきていた。心を揺さぶられユウタは小さなパニックを起こしている。今度はあの女からだ。どうしてチケットを取れたことを知っている。

(まさか、本当に水本絵梨香が)

 同時に思い出した。

「あ、忘れていた! ライブ実況が始まる!」


        *


 すぐにスマホで動画アプリを起動した。SNSで告知していた通り、水本絵梨香が公式チャンネルでライブ実況をしている。この日はホラーゲームの実況でファンも大多数が視聴している。ユウタの視線はワイプ画面に釘付けになり、彼女はコントローラを握りしめて「怖いよー」と叫んでいる。配信から三十分が経過していた。

「つまり、さっきのDMは送ることはできない」

 わずかに抱いた疑惑が晴れていく。

 一方で水本絵梨香はコントローラーをカチャカチャさせながら視線は膝の上に乗せたタブレットを見ている。マルチ画面でユウタの姿を捉え、音声でAIに指示を出している。

「DM送って。『ユウタ、愛してる』」

 同時にユウタのSNSにDMが届く。ユウタはビクッと震えるが、これで疑いの目は彼女には向かなくなる。

(やはりゲーム実況をしている絵梨香がストーカーではないのは明らかだ。他の何者かが犯人だ……)

 配信画面は実に巧妙であった。水本絵梨香はゲームのモニターとタブレットを交互に見るが、ライブ実況で配信者がコメントを読むのは普通のことであり何の違和感もない。またゲームのマイク音はオフにして、あらかじめ録音した自分の声と動作音をPC上で再生しているため、観ている人は誰も彼女の奇声には気がつかない。

 コントローラーをカチャカチャ操作しながら「ユウタアー、愛してる」と何度も叫んでいた。画面からは「怖いよー、助けて」と再生されているため、口の動きと言葉が合っていない。ただそれも音ズレと思い込んだファンからは「今日は遅延ちえんが酷いなあ」「ズレてて面白すぎる」というコメントが並んでいた。

 裏アカのメッセージウインドウに吹き出しがどんどん追加されていく。ユウタは次々に届くDMの嵐に絶句していた。一体、誰がこんなことをしているのか。彼はいまだに見当けんとうもつかない。ただ水本絵梨香を見つめながら、ようやく心の片隅でかすかに違和感を抱き始めていた。

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