第17話 あの女は危険だ

 ――遠征、それは推し活有志の崇高すうこうな儀式であり栄誉と言える。

 夕日が沈む時刻、ユウタは急行列車の発車前にそう思った。

 一人前になった男が初めて村を旅立つとする。そのとき村人達は代々受け継がれる伝統的なならわしで見送ったはずだ。

 胸に手を置いて目を閉じる。

(この日がついにきたか)

 推し活はその性質上、身を粉にするほど得られる充足感じゅうそくかんは大きくなるため、とりわけ見知らぬ地にアウェーで乗り込むのは、熱烈サポートをしている自分に存分に酔いしれることができる。しかも前乗り、つまりライブ前日から現地入りとなればこれ以上の誇りはない。

(こんな絶好の機会はないな)

 まさに今回の初遠征はユウタ本人にとって、神聖で大切な門出かどでと言えるはずだ。


 プルルルルという駅特有の発車ベルが響く。ああ、この瞬間だ。手元にある温かいホットココアを口に含む。ありがとう故郷。慣れ親しんだホームを眺めながら涙を浮かべた。

 頬杖ほおづえをついて窓ガラスを眺めていた。

「今、お前は誰を思い浮かべた」

 リトルユウタは四人掛け席の目の前に座っている。

(関係ないだろ)

「メスだな、お前は正直すぎる」

(ふん)

「救世主よりもメスの方を愛しているのか」

(いい加減、メスという呼び方をやめろ)

 珍しくユウタは苛立っている。

 リトルユウタは驚いた顔をしている。それから拍手をした。

「本来はつかえるはずの使徒が救世主ではなく、あの女に惚れているのか」

(何言ってやがる)

「では聞く。水本絵梨香とユズナ……」

(お前が聞きたいことはわかる。どっちが大切かってことだろ)

(それはな……)

 言いかけたときだった、ユウタは驚いた表情をした。

 見上げた先に立っているのは知り合いだ。いや、知り合いどころの話ではない。目を合わせるだけであらゆる記憶で満たされる。

 ――武本隆たけもとたかし

「タカシ……」

「よう、ユウタ」

 中学時代の親友と偶然の再会。ただ微妙な空気が流れる。

 二人はすでにかつての仲ではない。あれほど意気投合した間柄あいだがらだったのが、すでに訣別に近い関係になっていた。

 リトルユウタは彼を見ながら言う。

「おい、ユウタ。このタカシって何者だ」

(そうか、お前は知らなかったか)

 親友を失ってその心を埋めたのがリトルユウタだったから、当然とも言える。

 過去の記憶――初めて会話したのは中二の昼休みだった。

 中古店で買ったボロラジオをドライバーで直していたら「お前すげーな」と廊下から顔を出してきた少年がいた。身を乗り出しすぎて床に落っこちた。

 それが別のクラスからやってきた武本隆だ。お互い機械いじりが好きで話があった。

(簡単に言えばトイレットペーパーだ)

「トイレットペーパー?」

(残りわずかしかない。そのときタカシはたった三巻きで手渡してくれる。そういう奴なんだよ)

「良い奴なんだな」

(ああ。……昔はそうだった)

 過去の出来事を思い返していた。二人で電気屋や中古屋に行ったりメカを共作したり、完成したドローンで遊んだり。思い出は尽きない。

 どれだけ二人で馬鹿なことをしたり夢を語り合ったかわからない。

 久しぶりの再会でユウタはぎこちなく近況をうかがう。

「車の整備士になったって、マジか?」

「そうだ」

 タカシは前の席、つまりリトルユウタがいる席に座り込んだ。

「そんなことより、お前に話がある」

 ユウタはジッと見つめている。疎遠そえんになった奴が何の用なのか見当もつかない。

「水本絵梨香についてだ」

「えっ」

 ユウタは驚いた。

「あの女には気をつけた方がいい」


         *


 ガタンゴトン。車窓から見える景色は夕闇に染まり、列車の中は蛍光灯の光が広がっている。

「SNSであの女のライブにお前が参加している映像を見たんだ」

「ああ、あの時の」

 ユウタは頷く。伝説のライブ映像か。あのライブで彼女は世間的にも知られるようになった。

「あの女は危険だ。お前が思っているような人ではない」

「何でそんなことが言える。……まさか知り合いなのか?」

 その言葉にタカシは驚いた。

「そうか。おまえは気がついてすらなかったんだな」

 列車が止まるブレーキ音が鳴る。同時にタカシは立ち上がった。

「駅前でさっきお前を見かけて慌てて電車に乗り込んだ。忠告をしたからおれはこの駅で降りる」

「おい、話がまだ終わってない」

 ユウタは立ち上がり彼を追う。ホームに降り立ったタカシは振り返った。

「ユウタ、これだけ言っておく」

「何だ」

「リリを思い出せ」

 ドアが閉まった。

 同時にタカシは叫んだ。

「本当はお前を裏切りたくなかったんだ」

 ホームにいるかつての旧友が遠くになるのを眺めながらユウタは記憶を思い返していた。

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