第9話 陰原園子・世羅綺羅々を猫カフェに連れて行った

 というわけで俺たち三人は放課後、猫カフェへとやってきた。

 場所はまたしても例のショッピングモールだ。正直ジンクス的にあまりよくない印象がついているがしょうがない。行ける範囲で猫カフェといえば、モール内にあるこの店しかないのだ。

 事前にコンビニのATMでお金を下ろしてきた。そしてコンビニに立ち寄ったということは、下着の交換のほうもばっちりだ。つまり連れの女子二人はちっともしょんべん臭くないってことだ。みなまでいわせんな。

 店内は外からでも見えるようガラスで仕切られている。だいたいのお客さんというか通りかかった人は、ガラス越しにかわいいにゃんこらを見て満足してるみたいだな。

 俺もそれで十分なような気がした。だが女子二人は満足できんだろう。

 こんな大勢に見られる中入るのもなぁ、と思いながらも俺は意を決して店内の敷居をまたいだのだった。

 猫カフェを利用するのは初めてだった。どういう料金システムなのかよくわからん。

 しかしそのへんは心配いらなかった。実際ににゃんこたちのいる部屋の手前、待機所なるところで店員から説明を受けられるからだ。


「ようこそー。いらっしゃいませー」

「おや、この気の抜けた声はまさか……」


 俺はその説明をしてくれる店員を見て驚いた。見覚えのある顔だったからだ。

 気の抜けた声。おっとりとした物腰柔らかそうな雰囲気。ゆるふわの茶髪。陰原よりもさらにボリュームのある胸。

 間違いねぇな。この店員さんはこのあいだモール内の女性下着屋で接客してくれたお姉さんだ。

 一回しか通わなかったが、直近のことということもあって、向こうも顔を覚えていたようだ。


「あらー。このあいだおつれの女性にプレゼントされたお客様ー。本日はプラスして三名でご来店ですかー。いいですねーハーレムですねー」

「いやまじでそんなんじゃないっすよ。こいつらはただの友達です。そんなことよりびっくりしましたよ。猫カフェのほうに転職されたんすね」

「いえー転職ではなく異動ですよー。あちらのショップもーこちらのショップもー同じ系列店なんですよー」

「そんなことある?」


 下着屋と猫カフェじゃまったく業種が違うんだが。よほど会社が手広くやってるとかか? そこらへんはまだ社会経験ないからわからん。


「それがあるんですよー。しかも聞いてくださいよー。前々から上司に異動はしたくありませんー通勤時間が延びるのはいやなのでーって伝えてたのにもかかわらず異動させられたんですよー。まったくひどいと思いませんかー?」

「ちっともひどくないだろ。たしかに異動させられたかもしれんが、ほとんど距離変わらんし。同じモール内だし。部下の意見を尊重してくれる良い会社、良い上司だと思いますけどね」

「お客様までそんなこというんですかー。ところでまたお会いしたのに名前をお訊きしないのも少しへんですねー。よろしければお伺いしてもー? 私は茶柱紗枝と申しますー。紗枝ちゃんって呼んでくださいー」

「え、このタイミングで? まぁ断るのも失礼なんでいいますけど。俺は春田で、んで後ろの暗いほうが陰原で、やかましいほうが世羅です」

「誰がやかましいですって!?」


 世羅がぎゃあぎゃあ騒いでいる。だが自己紹介が早くて助かる。

 茶柱さんにもよく伝わっていた。


「へむへむー。春田さんに陰原さんに新顔ヒロインの方が世羅さんですかー。頭にしっかり叩き込みましたー」

「だからハーレムじゃねぇってば。そこも今一度叩き込んでくださいね?」

「善処いたしますー」


 その言葉は信用ならないんだよなぁ。

 まぁそれはさておき。


「そんじゃあそろそろ説明のほうをお願いできますか。茶柱さん」

「遠慮なく、紗枝、とお呼びくださいー」

「さすがにちょっと……。年上の女性に呼び捨ては。遠慮させてもらいやす」

「あらー思っていたより律儀なんですねー。きっとそういうところがモテるんでしょうねー。私もハーレムの一員に混ぜてもらおうかしらー?」

「だからちげーって!」


 茶柱さんはうふふと口元を隠しながら笑っていた。


「冗談ですよー。それじゃあ説明のほうに移らせていただきますねー」

「まったく……」


 入店する前に疲れちまった。ここは是非ともにゃんこたちに癒やしてもらうしかねぇようだな。

 あれ、世羅たちの気持ちがちょっとだけわかったかも。

 茶柱さんが可愛らしいメニューを開いて見せてくる。


「当店は時間制となっておりますー。お時間が過ぎると延長料金がかかりますのでー、五分前の行動を心掛けるようお客様にはあらかじめお願いしておりますー。また時間内であれば店内のドリンクバー、雑誌や漫画などをご自由に利用されてもかまいませんー。そのほかに何か不明な点はございませんでしょうかー?」


 そこで世羅が挙手した。


「はいはいはい!」

「はいー世羅さんー」


 生徒と先生みてぇだな。


「あそこにある猫ちゃんの玩具や猫ちゃん専用のアイスも、自由に使ってもいいのかしら!?」

「ああーそれは良い質問ですねー。えらいえらいー」


 だから生徒と先生かよって。

 茶柱さんはぐいっとメニューを、なぜか俺の顔に押しつけてきた。見たいけど近すぎて見えん……。


「それらはメニューにもあるように別途料金が発生してしまいますー。仕方のないことですよー。こちらも商売ですからねー」

「いやな言い方すんなぁ」


 まぁ商売なのはわかるけどさ。にしても言い方よ。


「春田、邪魔よ!」


 世羅に顔を押しのけられる。んな理不尽な……。

 メニューを見て固まっていた。


「何よこれ!? 玩具使用量五分800円、猫ちゃん大好きアイス一個1500円!? けっこうするのね!?」

「こちらも商売ですからー」

「だからその言い方よ」


 さすがに二度目は注意した。

 茶柱もちろっとお茶目に舌を覗かせて、少しは反省しているみたいだな。


「申し訳ありませんー。ですが商売以外にも、猫ちゃんをちゃんと飼育していかねばなりませんからー。ついつい強気ではっきりした物言いになってしまうんですよねー」

「そんなふうに返されると、こっちも弱っちまうな」


 下手に値下げ交渉に応じようもんなら、困るのはにゃんこたちだからな。そういった事情もわかる。

 なんだがケチつけたみたいで申し訳なくなってきたな。ここはひとつ、世羅と一緒に詫び入れとくか。


「すんません。それなら素直に払わせてもらいますよ」

「春田がね!」

「えーえー、そうしていただけると当店としても非常に助かりますー。是非とも有料ガチャに課金してー、運営会社をサポートするような気持ちでよろしくお願いしますー」

「たとえがすげーわかりやすいな」


 ユーザーは好きなキャラを手に入れたいがために金を注ぎ込む。で、運営は環境を維持し、さらにはより良くするために資金を調達する。猫カフェもそれと同じで、双方にとってWin-Winな関係が成り立っているわけだ。

 茶柱さんはにこにこ笑顔だ。


「ありがとうございますー。ではほかに何もありませんねー?」

「ないわ!」

「陰原はさっきからずっと黙りっぱなしだけど大丈夫か?」


 何もないとは思うが、いちおう水を向けておいた。

 陰原はこくりとうなずいた。

 茶柱さんの前だし、また人見知り発動かと思ったが、対峙するのも二度目とあってか、ふだんどおりのかんじでしゃべりだした。


「私が黙ってるということは何も質問することがないのだと陽キャラでしたらそのくらいすぐに察してくださいよまったく世羅さんが馬鹿みたいに玩具やアイスについて尋ねていたとき内心あきれかえってましたよ無料サービスなわけないじゃないですか茶柱さんが回答した以外にも理由はいくつかありましてそんな好き放題玩具を扱われたら猫ちゃんも疲れてしまいますしアイスも同様で無制限に与えればお腹を下しますよねそのくらい考えずともわかるでしょうもしわからないようであればいますぐUターンしたほうがいいですよどのみち猫ちゃんに好かれないでしょうし」

「あらー」

「ボロカスにいうわね!?」


 突如としたオコに、茶柱さんと世羅は戸惑いを隠せないようだ。

 だが俺はシカトしていいと思った。

 シンプルにめんどくさいし、そこまで偉そうにいっておいて、もし自分が猫ちゃんに好かれなかったらいったいどんなリアクションをしてくれるのか。見物だしな。

 俺はこの微妙な空気感を、たった一言でまとめた。


「えー、つまるところ陰原からは何もないそうです」

「まぁーそうですかー。では最後に注意事項を述べさせてもらいますよー。うちのキャストは基本的にナイーブな子が多いですからー。くれぐれもキャストのお尻を追いかけ回したり、強引にお触りするようなことは控えてくださいねー。可愛くて我慢できなくなる気持ちもわからなくもないですがー。そこは堪えて向こうから近づいてくるまで気長に待ちましょー。あまりに目の余る場合は当店出禁になってしまうこともございますー。裏から怖い人が出てくるかもしれませんよー? ぜひお気を付けくださいー」

「気をつけるけど、説明の仕方がまさに怪しいお店のそれだよな」


 やっぱり茶柱さんの言い方は誤解されてもしょうがないのかもしれんな。

 俺たちは茶柱さんからアルコール消毒をかけてもらった。そしてついに猫ちゃんのいる部屋へと通される。


「中でキャストの子たちがにゃんにゃんと甘ーい声を出して、お客様をお待ちになっておりますー。どうそぜひご入場くださいませー。三名様、にゃんにゃんハーレムへようこそー!」

「そんな店名だったんかい」


 いよいよもって誤解されるよな。

 けれどそこは安心してくれ。ちゃんと健全なお店だ。学生も気兼ねなく入れるし、もちろん風営法にも引っ掛からない。

 扉の奥にはハーレム、もといパラダイスが広がっていた。至るところに可愛らしいにゃんこの姿が見えた。

 俺は替え歌を唄っていた世羅ほど猫に詳しいわけではないが、それでもマンチカンやスコティッシュといった、いわゆる人気どころが揃っていた。

 そういう子らがお昼寝したり遊んでたりしながらも、俺たちのことを出迎えてくれた。これをパラダイスといわずしてなんという。

 思わず見惚れて目がハートになってしまった。当初気にしていた店外からの視線ももはやどうでもよくなっていた。

 そこまで人を虜にしてしまうとはな。いやはや恐ろしい生き物である。

 早くにゃんこたちと触れ合いたくなった。だがそこは我慢だ。苦しいけどこの店にはこの店のルールってもんがある。そこはきちんと守らねばならん。

 陰原と世羅も同じような心境だったんだろう。我慢して、我慢しすぎて、へんな顔になっている。

 俺は少し距離を取った。

 各自好きなドリンクを注いで、適当にあったソファに腰を下ろした。後は地道に向こうから歩み寄ってくるのを待つのみだ。

 時間内に来ればいいんだがな。ドキドキだ。

 するとコーラをがぶ飲みしていた世羅が、こんなことを言い出した。


「ねぇ勝負しない!? いちばん始めに誰のところににゃんこが来るか!?」

「まぁべつにかまわんが、何を賭けるんだ」

「そうね! みんなの課金アイテム代ってところでどうかしら!?」


 なるほど。さっき世羅が質問していた貸し出し玩具とか猫ちゃんアイスの料金ってわけか。それを勝者だけが払わんでいいと。

 だが3から2で割るとなると、それだけでもけっこうな負担になるぞ。まぁだからこそ一抜けするメリットがデカいんだろうけど。


「課金アイテム代な。にしてもすげー自信満々だな」

「当然よ! かわいいものにはかわいいものが自然と集まってくるんだから!」

「その割にはおまえいつもぼっちだけどな」


 もはやそれ以前の問題だろ。

 むきーっと世羅は歯を食いしばっている。


「うっさいわね! いいから見ときなさい! それと陰原!」


 世羅は陰原に指を突き刺した。

 陰原は迷惑そうな目でそれを見ている。


「あんたまさか逃げるつもりじゃないでしょうね!? いかにも自分は猫に好かれるみたいな物言いしておきながら! それだけは絶対許されないわよ!?」


 陰原が心外そうな表情を浮かべた。


「誰が逃げるですってそんなわけないじゃないですかいいですよこの際だからきっちりわからせてやりますよ誰がにゃんこマスターの名にふさわしいかをねついでに勝者となってその浮いたお金で豪遊してやりますよもしそうなっても恨み言はなしですからねいいですね」

「そう、じゃあ決まりね! いまさら待ったはなし! いったい誰がいちばん先に猫ちゃんを呼び寄せられるのか!? 勝負~開始!」

「テンション高いな」


 まぁそんなこんなで。おもに売り言葉に買い言葉で。

 この三人の中で誰がにゃんこマスターの名にふさわしいか。その称号と課金アイテム代を賭けた戦いが、いま火蓋を切って落とされたのだった。

 ていうかにゃんこマスターってなんだよ。ポケモンマスターみたいにいうなよ。まだイマクニネタ引っ張ってんのか?

 そうして各々は猫ちゃんを自分の元に呼び寄せようと、様々な作戦に出る。

 世羅は手を叩いたり、恥や外聞を捨ててまるで自分も大きな猫であるといわんばかりに「にゃーにゃー!」と鳴き真似をして、少しでもにゃんこの気を引こうと頑張っていた。傍から見りゃ逆効果にしか思えんが。

 世羅はもうほっといても大丈夫だろう。

 で強敵でありそうな陰原はっていうと。

 世羅ほどじゃなかったが、あまりいいとは思えん方法をとっていた。

 気を引こうとするのは同じだ。だが物の通じない動物相手に何を思ったか、自分のところにくるといかにメリットがあるか、それをいつもの調子で長々と説いているのであった。

 そんなんじゃただの不審者だ。にゃんこじゃなくても警戒されて当然だわな。

 実際に一匹たりとも近づこうとする気配なかったし。てなるともう俺は特別何かせんでも勝てるだろう。

 おとなしく漫画でも読みながら待ってるか。

 俺はソファを立った。


「春にゃん、余裕にゃんね!?」

「不覚にもちょっとかわいいと思っちまったじゃねぇか」


 世羅のなりすまし猫も、人間相手にはある程度の効力を発揮するらしい。いやだぶん並の男子だったらイチコロだったろう。

 柄にもなく俺は「もうちょい世羅の猫語聞いてみてぇな」なんて後ろ髪を引かれつつも、本棚の前までやってくる。

 本棚の前でサボ……にこにこ笑顔で突っ立っていた茶柱さんにおすすめを訊いてみた。暇……ちょうど手が空いてそうだったからな。


「あーそれでしたらーよつばとの新刊が出てますねー。癒やされますよー」

「おやいつの間に」


 なかなか続きが発売されない漫画って、ふだんはチェックしないせいか、ふと忘れた頃に出てたりするよな。んで見つけたらラッキーだなんて思う。あれ何なんだろな。

 いっそのことほかの漫画もゲリラ的に発表したほうが、かえって売り上げ伸びるんじゃねぇかって思わされる。ま、実際はそんなことないんだろうが。

 それはいいとして。


「茶柱さんもよつばと読んでるんすね」

「もちろん読んでますよー。ちなみにーいちばんお気に入りのキャラはヤンダですー」

「けっこう意外ですね」


 てっきり風香あたりを挙げてくるかと思った。どことなく抜けてるかんじからして。

 まぁ自分の性質がそうだからといって、キャラに投影するとはかぎらんのだがな。ただの偏見だった。


「逆にー春田くんは誰がお気に入りなんですー?」

「うーん、ひとりに絞るとなると難しいけど、あれすかね、とーちゃんの妹。ほらミニクーパー譲ってくれた」

「ああーなるほど、わかりましたー。あの妙に理屈っぽいー。春田くん好きそうなかんじしますよねー」

「えっ、そうすかね」


 自分ではわからん。タイプも真逆なような気もするし。

 茶柱さんはにこにこ笑顔で、実際によつばとを手にとって(たぶんとーちゃんの妹登場回)ぱらぱらとめくっていた。

 頁を繰る手が止まった。そして再確認するかのようにうんうんうなずいている。


「こうして改めて見ますとー。若干お連れの方に似てますよねー」

「まさかとは思うけど陰原のこといってますか」

「そうですーそうですー」


 はっ。思わず笑っちまった。


「たしかに理屈っぽさでいうと共通項はあるかもしれんけど、それでもまったく似て非なるものだろ。だいたい陰原はとーちゃんの妹ほど美人じゃない」

「あれーそうですかねー? ぴぴぴ。ぴぴぴっと、私のスカウターを通せばなかなかの戦闘力なんですけどねー? とーちゃんの妹をもっと幼くしたかんじでしょうかー? 地味かわ系女子とたとえるのがもっとも適切かもしれませんー」


 はっ。陰原がなかなかの戦闘力を秘めてる? そして地味かわ系女子だって? そんなのあるわっきゃねぇ。あってたまるか。

 申し訳ないが、茶柱さんの評価で合ってのは地味ってところだけだな。さすがにかわはないだろ、かわは。

 またいうまでもなくポテンシャルを秘めてるなんてこともない。

 陰原はただの陰キャラで。しかしそれとはちょっと変わっていて、それがまたちょっと癖になって面白いのだ。

 もう俺としてはそれだけで十分というか、十分すぎるのだった。

 なのにこれ以上「じつは美人でしたー」とか隠し球を持ってこられたら、俺の頭がこんがらがっちまう。

 思い込みやてめぇの都合上等だよ。

 誰に何いわれようと、俺はそうやって理性を保つんだ。

 茶柱さんのスカウター、それの正確さは、前回陰原のカップ数を見抜いたときに実証されている。

 それでも俺は負けじと、気丈に振る舞った。


「きっとそのスカウター壊れてますよ。修理にでも出したほうがいんじゃないっすか」

「あらーほんとですかー? でもいったいどちらのお店に出せばいいんでしょうー?」

「逆にこっちが訊きてぇくらいだわ。ともかく、陰原の正しい戦闘力は2ってことで。FA」

「FAですかー。それはまた結果が気になりますねー。もしもスカウターが直る前にわかりましたら私にも教えてくださいよー?」

「まぁ機会があれば」


 とだけいまは答えておいた。


「それはそうとよつばとの新刊渡してくれませんかね」

「これはまだ貸せませんよー。ちょうど読もうとしてたところなんですからー」

「いや仕事しろよ」


 自分でも至極真っ当な返しだと思った。

 だが最後まで茶柱さんはいやいやを貫き通し、新刊を譲ってはくれなかった。それを容認してしまう店も店だったが、客とはいえまだ学生の立場である俺がそのことにクレームをつける気にもならず、しょうがなく既刊(とーちゃんの妹が登場する回)を手にして、元いたところまで戻ったのだった。


「春にゃん、遅かったにゃんね!?」

「思いのほか話し込んじまってな」


 世羅はまだやっていた。ずいぶんアドバンテージを与えちまったなと思っていたが、このぶんだと全然支障なさげだな。

 そして陰原にも同じことがいえた。やはりにゃんこらの目からしても陰原は不気味に見えるらしく、あきらかにどん引きしていた。

 こんなやつが戦闘力高いわけねぇよな、とまたもや思い込みが発動しそうになったが、しかしいまは勝負に集中しなければならんのでひとまずそれは抑えた。

 俺はようやく反撃に転じる。つっても漫画を読んで待つだけなんだけどな。

 ソファにもたれかかって頁を開いた。内容はすでに知っているので、ざっくりと読み進めていく。

 にしても漫画って不思議だな。ラノベもそうだと思うが。何度読み返しても新たな発見が見つかるというか。なかなか飽きやしない。

 気づけば真剣になって読み耽っていた。正直勝負のこともすっかり頭になかっただろう。

 そんなかんじだったにもかかわらず。ふと現実に戻ったときは、俺のところににゃんこが数匹集まってきていた。

 つまるところ俺の勝ちってわけだな。

 傍らにいる女子二人は、これまで見てきた中でいちばん悔しそうな顔をしていた。ハンカチが手元にあったら、食いちぎって飲み込んでしまうほどの勢いだった。いやまじで言い過ぎなんかじゃなくて。


「納得いかないにゃん! このあたしが春にゃんに遅れをとるにゃんてね!」

「まったく同感ですよお馬鹿な世羅さんはさておき私はこんなにも全力を尽くしてきたのにいったい何がまずかったのでしょうかこれでも言葉が足らなかったのでしょうかあるいは猫ちゃんに対するメリットが弱いと感じられてしまったのでしょうか」

「むしろ頑張ろうといたのがあだとなったんだよ。よけいなことせんで、俺みたく漫画を読んだりじっとしてたらよかったんだ」


 陰原は腑に落ちない様子だった。


「やはりどうにも理解できませんね百歩いや千歩譲って頑張りが裏目に出たという意見は真摯に受け止めましょうしかし女子小学生の立ち絵に鼻の下を伸ばしている春田くんが猫ちゃんに好かれるとはこれいかがなものでしょうか」

「鼻の下伸ばしてなんかねぇし、そもそもそういう目線でよつばと読んでねぇよ。いっさい邪念のないほのぼのした気分だったわ」

「果たしてそれを真に受けていいものか判断に迷いますねなんせ先程世羅さんに春にゃんと呼ばれたときまんざらでもなさそうな顔をしてましたからねそういった趣味いわゆるロリータコンプレックスなるものを多少なりとも裡に秘めてるのではないかとどうしても疑ってしまいます」


 ちっ。まさか聞かれていたとはな。

 たしかにお馬鹿な世羅ににゃんにゃんされたときは、不覚にもほんのわずかにときめいちまった。

 でもだからといって、ロリコンだと決めつけられんのはいささか早計だし、何より陽キャラとしてそんな不名誉を認めるわけにはいかんだろ。

 俺は頑として首を振った。


「人聞きわりぃこというなよ。あのときはただこいつアホだなーって冷めた目で見てただけだ」

「アホとは何にゃ!?」

「まぁどうであれ勝ちは勝ちだ。約束どおり課金アイテム代は払わんからな。二人で仲良くワリカンでもするんだな」

「にゃ~悔しいにゃ~!」

「だからいい加減猫になりきらんでもいいんだぞ」

「いやにゃ! 意地でも払いたくないにゃん!」


 わがままを言い出したと思えば、突然新しいルールを追加し始めた。

 世羅……いや綺羅々にゃんは、びしっと陰原に指を突き刺す。


「こうなったらドベが全額支払うってことでどうにゃん!?」


 ふふふ……と陰原は不気味な笑みを浮かべてやがる。たぶんこんな痛い子相手だったらさすがに負けねぇだろ、とか考えてるんだろうなぁ。

 俺としてはどっこいどっこいなんだがな。


「いいでしょうその勝負受けて立ちましょうとも私としてもこのまま中途半端に終わるのは気持ち悪いですし何より猫ちゃんに好かれないのではという疑念を抱かれるのはプライドが許せませんしこれはそうお金がどうこうというより猫好きとしてのプライドとプライドを賭けた戦いなのですなので決して間に入って邪魔をしようだなんて思わないことですね」

「べつに思わねーよ。おまえらの気が済むまでやればいいだろ。俺は漫画でも読みながらここで傍観させてもらうから」

「いまから目の前でメス同士がキャットファイトを繰り広げようとしてるのにそれを無視して読書にいそしもうとはいささか薄情ではありませんか決して読書が悪いとはいいませんよ特によつばとは面白いですし続きが気になるのも無理ありませんがしかしそうはいってもいまこの瞬間にしかできないことはありますからねなので是非とも春田くんにはこの勝負の行く末を熱心に見守っていてほしいところです」

「うわー、人を巻き込むのめんどくせー」


 俺はもう関係ねぇし、さっさとしてくれよってかんじなんだが。

 とはいえこの続きは茶柱さんによってキープされちまってるし、もう一回読み返そうにも、さすがにある程度の時間を空けないとあまり楽しめそうもないのもまた事実だった。

 渋々このくだらん茶番に付き合うことにする。

 俺は適当に合図を出した。


「はーい、そんじゃあ勝負再開ー」


 先に動いたのは世羅だ。やつは頑としてなりすまし作戦を最後まで貫き通すようだ。

 だが今回はちったあ頭を働かせたようだな。さすがはいちおう人の子といったところか(褒めてない)。いちおうはここの店員である茶柱さんを召集し、先に助言をもらうことにしたらしい。


「さっきから一生懸命にゃーにゃー叫び続けてるけどダメみたいなの! いったいどうすればいいのかしら!?」

「うーん、まずはそれをやめましょうねー」


 茶柱さんにしてはすげー的確なことをいってるな。にゃんこはうるさいの苦手だもんな。だからガキには寄りつかんってなんかで聞いたことある。


「もっと猫の気持ちになって考えましょー。刺激を与えずー敵意を伝えずー。君たちのお友達だよーってことをアピールしましょー」

「具体的には!?」

「そうですねー、ごろーんとお腹を見せて寝っ転がるのがいちばん手っ取り早いかもですー」

「それはちょっと恥ずかしいわね!」


 何をいまさらだろ。おまえはすでに恥ずかしいよ。

 そして世羅は茶柱さんに無茶振りしている。


「先にやるのも都合悪いし! お手本見せてちょうだい!」

「あらー仕方ありませんねー」


 てっきり断るかと思っていたが、そろそろ仕事しようという気になったのか、それともこんなの朝飯前なのかどうかしらんけど、茶柱さんはあっさりとその場で横になった。

「ごろにゃーんごろにゃーん」といって甘いようなリラックスしたような声を出している。

 人前でそれをやれる度胸がすごかったし、それよりも何よりも、仰向けになることでひときわ主張されるふたこぶ山のほうのインパクトが凄まじかった。さ、さすがはGだぜ……。

 その場に居合わせたありとあらゆるオスの視線を奪い去っていく。店員も客も通行人も。そしてにゃんこも例外じゃなかった。

 店内にいたすべてのオス猫が、尻尾をぴーんと立てて茶柱さんのもとへすり寄っていった。ひ、卑猥な意味じゃないからな。たんに喜びの表現だからな。

 お山に頭をこすりつける子、肉球でふみふみする子、さらには大胆にも爪で引っ掻いたりする子もいた。

 だが一様にいえるのは、どのにゃんこも恍惚とした表情を浮かべていたってことだな。

 この光景には世羅も面食らったようだった。

 そしてその顔はみるみる勝利の確信へと近づいていき、いざ手中に収めんといわんばかりに、恥も何もかもを捨てて、茶柱さんの隣に横たわった。


「はい、ごろにゃーん、ごろにゃーん!」


 へそをチラ見せしながら、甘いようなリラックス? するような声を上げている。

 ところが予期せぬ事態発生。

 待てども待てども、オス猫たちはいっさい見向きもしないのだ。

 あいかわらずひしめき合いながら、茶柱さんのお山に関心を示し続けている。

 まるでおまえの盆地には興味ないにゃんといわんばかりに。

 これには世羅も涙目。両足をばたつかせて悔しさを表現している。


「こんなのおかしいでしょー!?」


 うっ……可哀想だ。

 だがすまんな。俺にはなんて声かければいいかわかんねぇ。

 需要ってものがあんだよと正直にいうわけにもいくまいし、かといってたまたまじゃね? なんて気休めいったところでしょうがねぇからな。

 だからせめてそっとしてやることしかできなかった。

 世羅のターン終了。てなるとここで攻守交代だな。

 陰原もさすがに学習したらしく、にゃんこらに向かって長々と説いてもしょうがないと気づいたようで、俺にどうしたらいいかアドバイスを求めてきた。

 たぶん俺を頼ったのはほかに選択肢がなかったからだろう。人見知りっぽいし、唯一声かけられそうな茶柱さんもあんなかんじだし。

 だが急に振られてもな。何かないか考えてみた。

 そこで思いついたのは、この流れを生かさない手はないってことだ。えー、つまり世羅では役不足だったとしても、陰原ならワンチャンいけるんじゃねぇかと思ったんだ。たしかFだのなんだのいってたしな。

 べつに邪な気持ちがあるわけじゃねぇぞ。そこは勘違いしないでくれ。合理的に考えてそれがもっとも有効だと判断したまでだ。

 当の本人には物の見事に警戒されちまったが。

 陰原はさっと胸元を隠して、軽蔑の視線を寄越してくる。


「えっなんですかセクハラですかふだん陰キャラには目もくれない態度をとってるくせしてこういうときは都合良いように扱うんですね己の性の捌け口になるのであれば誰だっていいんですかまったく見境ないったらありゃしませんしかしまぁどうしてもやれと命じられるのであればいいでしょう勝利をつかみ取るためにその辱めを受けて差し上げましょうただし本当にお手つきするのは厳禁ですからね春田くんが春にゃんになりきって私を好き放題しようとはゆめゆめ思わないでくださいよ」

「そこまで信用ないのかよ俺。だが安心しろ。おまえを襲おうだなんてこれっぽちも考えてねーから」


 それでもまだ陰原は俺のことを疑っていた。いやなんでだよ。

 だがほかに良い案があるかっていうとやっぱ思いつかないわけで。渋々俺のアドバイスどおりにしていた。

 川の字になるように。陰原、世羅、茶柱さんといった並びで寝そべっている。

 傍からすればどういった光景に見えるだろうか。微笑ましい? ちょっぴりえっちな?

 少なくとも俺の目には奇妙に映った。あるいはシュール。

 茶柱さんの人気はいまだ衰えを知らない。順番待ちしているオスにゃんこもいるほどだ。

 陰原でもダメだったか。

 と、あきらめかけたそのときだ。

 そのうちの一匹がこちらのお山に気づいた。そして尻尾をぴんと立て、「おや? こちらのお山がすごいのはもちろんにゃが、あちらのお山もなかなかのものにゃぞ?」と関心を示したのだった。

 それはほかのオスにゃんこにも連鎖した。やがて楔が解かれるように次々とクライマー、いやクライニャーたちがこちらのお山のほうへと雪崩れ込んできた。

 ぴょーん、ぴょーん、と中間地点にあるほぼ盆地を飛び越して。


「もう! ほんと何なのよ!?」


 それからは以下同文だ。陰原も茶柱さんと同じように、やりたい放題やられている。

 どうやら勝負あったみたいだな。

 これから使うであろう課金アイテムのお代はすべて世羅持ちだ。

 女としてのプライドを傷付けられたうえ、お代まで払わされるだなんてほんと踏んだり蹴ったりだな。

 けれど勝負は勝負。賭けは賭け。

 半端な情けをかけたりはしない。三人分の課金アイテム代、きっちり耳をそろえて出してもらおうじゃねぇか。

 再び起き上がったところで、俺は茶柱さんに注文を入れた。


「すみません、そろそろにゃんこたちにアイスでも舐めさせてあげたいんで、三人分いっすか」

「かしこまりましたー。三つで4500円になりますー毎度ありですー。にしても太っ腹ですねー。いきなり三つもいっちゃうなんてー」

「ぜんぶ世羅の奢りなんでね」

「人のお金だと思って!?」


 世羅は泣く泣く財布のひもを解いている。

 だがそれを見ても遠慮しようとはいっさい思わん。へんに遠慮してもしらけるだけだしな。

 とはいえ全財産以上のものを要求しようとも思わん。まぁそのへんは臨機応変に。

 茶柱さんがアイスを持ってきてくれた。


「はいーどうぞー」


 俺たちはそれをひとつずつ受け取った。

 にゃんこをかたどった可愛らしいキャンディーアイスだった。アイスといってもたぶん人間の食べるそれとは別物なんだろう。甘いおやつというよりかは、どちらかっつうとちゅーるに近いおやつみたいな。まぁわざわざ舐めてたしかめようとまではせんが。

 世羅はアイスを手にして、またもや号泣している。


「1500円~! こんなちっこいのが一個で1500円~!」

「泣くな。しょっぱいのがアイスに移ったらどうすんだ。もとからしょっぱいのかもしれんが」

「そうですよー。それにいまならもれなく三つまとめてお買いいただくとー、おまけでひとつついてきますからー。お得なんですよー?」


 よく見ると、茶柱さんの手にもアイスが握られている。


「それをあんたがやってどうするよ。ってそのやり口前にも受けた気がするな気のせいか」


 ひとまずそういうことにしておくか。

 いまはそれどころじゃない。早くアイスをにゃめさせろといわんばかりの猛烈な勢いで、にゃんこたちが食いついてくる。

 ここでへんに焦らすようなことはしないな。陰原や世羅だったらそんな意地悪もありだが、今回の相手は可愛いかわいいにゃんこだ。素直に与えることにした。


「ほーら、アイスだぞー。腹冷えるからちょっとずつ食べろよなー」


 しかしそんな忠告は無意味だった。

 にゃんこたちはさっきも十分すごかったが、それの比じゃないくらいの熱量でがっついていった。

 もはやそこにオスもメスも関係なかった。またくれる相手がまな板であろうとメロンであろうとどうでもよかったらしい。

 ぺろぺろぺろぺろ……! と舌を高速回転させながら綺麗に舐め取っていく。

 少しの食べ残しも許してたまるものかの精神だった。そのせいでアイスどころか、まったく関係のない範囲にまでぺろぺろ攻撃は及んだ。

 そんな攻撃にひたすら耐えていた俺たちだったが、とうとうそのうちのひとり、世羅が限界を迎えちまったようだ。

 嬉しさと苦しさが入り交じったかのような声で、ひゃひゃひゃと笑いだした。


「ちょっともうっ! そんなとこまでぺろぺろしなーいの! くすぐったいでしょ!? ひゃひゃひゃ!」


 俺はそんなやりとりを見て、つい口元がほころんでしまった。プライドをずたぼろにされたり、代金を支払わされたりとさんざんだったが、最後の最後でしあわせそうで何よりだ。

 これで当初の目的だった癒やしが達成できたといってもいいよな。そしたら俺も今日ここにつれてきた甲斐があったってもんだ。

 といいかんじに話を締めようと思ったのに、陰原からよけいな茶々が入った。


「何にやにやとそんないやらしい顔で世羅さんを見つめてるんですかけだものまさか世羅さんをえっちな同人誌に度々登場する女騎士に見立ててそんな自尊心の高い彼女がいいように舐め回されてるところを想像して興奮したわけじゃないでしょうねこのへんたいですがこれ以上私もとやかくいいたくはないのです人の性癖は千差万別ともいいますしある程度許容してあげないとただただ息苦しい社会になってしまいますからねそこらへんきちんと弁えているのですあくまでここで伝えたいのは何も公衆の面前でやらなくてもということですそういった卑猥な想像をしたいのであればひとりきりのときにでもやればいいじゃないですかもっと節操を持ってくださいよ頼みますよそれとこんなこといちいちいわせないでください春田くんももう高校生なんですから……」


 ほんとおまえってやつは……。

 俺はクソデカため息をついたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る