第7話 陰原園子・世羅綺羅々とカラオケした
試合で失格になった日の放課後、俺は陰原をカラオケに誘ってみた。
ジュースをおごってもらえずあんまりもしょぼくれている様子だったし、そんなにジュースが飲みたいのであればドリンクバーの付いている店で好き放題飲めばいいじゃねぇかという俺の気遣いだった。
というのはじつのところ半分で、もう半分は単純に陰原の歌声がどんなものか気になったからだ。
これまでいろんな女子とカラオケに行って、実際にいろんな女子の歌声を聴いてきたものの、陰原のようなタイプは経験なかった。
たぶん歌うのはアニソンになること必至なんだろうか、肝心の実力はいかがなもんなのかまるで想像もつかない。
音痴だったら笑えるし、意外にも甘い声で歌ったり、とんでもなく上手だったら、それはそれで面白い。つまりどっちに転んでもいいってわけだ。
てなるとこれはもう、誘わないって手はないよな。
陰原はあまり乗る気ではなかったが。
「ええーどうしてあなたとカラオケに行かなければならないんですか誰得ですか陽キャラは陽キャラらしくほかの陽キャラ女子にでも声をかけたらいいじゃないですかもしかして陽キャラというのはふかしで友だちいないんですかだとしてらごめんなさいというのは冗談でしてじつは私カラオケがあまり好きではないんですね空気悪いしうるさいし店員さんはだいたい態度悪いですし」
だが俺もだいぶ陰原の扱い方がわかってきた。こんなふうに渋るようであれば、ちょいと挑発してやればいいのだ。
「ははん、とかいってほんとは知られたくないだけなんだろ。自分が音痴だってことが」
そしたらほらな、まんまと釣れやがった。
陰原はむすっとした顔で俺を睨んでいる。
「それはちょっと聞き捨てなりませんねいっときますが私は歌には人一倍自信あるんですよテニスの件もありましたから信用に欠けるところはあると自分でも理解してますがでも今度は本当なんですよちゃんとアウトプットがありますからね毎晩お風呂に入るときは必ず歌ってますしその練習量たるや陽キャラの皆々様に決して劣るものではないと自負しておりますなのでそれを披露できる絶好の機会かもしれませんねいいでしょう春田くんの安い挑発に乗るのも業腹ですがその誘い受けて立ちましょう」
「そんじゃまぁさっそくカラオケ店に移動すっか。じつをいうと、陰原はきっとそう答えてくれるだろうと思って、すでに予約のほうは済ませてある。できる男だろ?」
そう、できる男は段取りがいいんだ。女子にモテるためには、多少面倒かもしれんが、誰よりも率先してやったほうがいいぞ。
まぁ陰原にモテたところでって話なんだが。ついつい習慣でな。
ともあれ陰原を連れ出すことに成功した俺は、高校から程近くのカラオケ店までやってきた。
うちの学校に通う生徒なら、陰原はどうかしらんが、一度は打ち上げやらなんやらで入ったことのある店で、お値段の割にサービスもなかなか充実している、若者にとって良心的なところだった。もちろんドリンクバーも完備されてある。
陰原は店先に立って、外観をたしかめている。
「なるほどここが関ヶ原ですか心の準備はすでに整いましたではこの熱々のハートが冷めてしまわないうちにいざ参らんとしましょうフォローミー」
「ちょいと待て」
俺はカタコトで横文字を並べる陰原のえり元を掴んで引き止めた。
「ぐえっ」
「言い忘れてたんだが、おまえのほかにもうひとりサプライズゲストを呼んである。もうじきこっちに着くそうだからしばし待たれよ」
「ごほごほっサプライズゲストですか急にそんな粋な計らいをして少しでもこちらの心を惑わせようという作戦のおつもりですか殿しかしそうは参りませんよたとえ誰をつれてこようと私は殿のようにご乱心しませんし風呂場で歌の練習をしたせいで寝付きが悪くなったと泣き言をいうおとっつあんのためにも採点で百点を取って見せますから」
「おまえの親父可哀想だな」
そんな悲しい事情があるなら、是非とも陰原園子に満点を取ってほしいっていう気持ちに駆られるじゃねぇかよ。
あと誰が殿じゃ。関ヶ原を引っ張りすぎだろ。
そうこうしているうちにサプライズゲストのお出ましだ。
「待たせたわね!」
と意気揚々と亜麻色のツインテールを弾ませながら現れたのは、つい最近陰原の友だちになったメスガキ、もとい生意気なロリかわ女子こと世羅綺羅々だった。
べつに陰原と二人でもよかったんだが、食堂で話したきり絡みがなかったので、まぁついでに懇親会でも開いてやるかという老婆心から声をかけたのだった。
そこらへんの男共は世羅とすれ違うたびに振り返っている。
だが当の本人は「ふん! こんなの日常茶飯事だわ!」といわんばかりにどこ吹く風で俺たちの前に立つ。
きっと周りが敵だらけ、おもに同性からの嫉妬やらなんやら、の世羅にとってはこうしてカラオケに誘われるだなんてよほどのことで、それが嬉しかったんだろう、メスガキらしく牙のような八重歯を口元から覗かせながら感情をあらわにしていた。
「お出迎えご苦労!」
ところが陰原の反応はというと、それはいくらなんでも可哀想だろって見ているこっちが同情しちまうほど冷めたものだった。
「帰れ~」
「冷たっ! いし、あんたにしては短いわね!?」
やはり世羅もショックを受けていた。
だがさすが? はメスガキ。立ち直りも早かった。コンクリートの地面をゲシゲシとローファーの踵で踏んづけて切れている。
「なんでよ!? いいじゃない私が来ても! あんたの歌唱力がどんなもんなのか、シンプルに気になったのよ!」
世羅、おまえも俺と同じ理由か。わかるぞ。陰原はなんかポテンシャル秘めていそうでなさそうで、どうしてもたしかめたくなっちまうんだよな。
陰原はそれをシカトした。いや、シカトすんなよ。そして俺のシャツの袖を引っ張って、咎めるような目つきで見つめてくる。
「春田くんこれはいったいどういうことですかサプライズとはいえこんなの聞いてないですよなんて矛盾してることをあえていわざるをえませんよサプライズとは本来仕掛けられる側が喜ぶようなゲストでなければ成り立ちませんよねそれなのになぜ世羅さんなんですかあきらかに役者が足りてませんよどうせ仕掛けるのであれば優里さんくらいの人気歌手を用意してくださいよ」
「たしかにドライフラワーが代表曲の優里くんなら、頼んだら来てくれそうな気はするがな」
ユーチューブでそんなような企画撮ってたしな……って妙にリアルなとこ突いてくんじゃねーよ。
「それはそうと、友だちに向かって役者不足とかいうなよ。あんまりだろうが!」
「そうよ! こんないたいけな美少女に向かって!」
いや、俺もそこまではいってない。
けれど二人で責め立てたことによって、陰原もちっとは反省の色を見せたらしい。
シャツの袖を引っ張る力も、ちっとは弱まったようだ。
「むむむたしかに少し言い過ぎましたねここに非礼を少しだけわびたいと思いますごめんなちゃいなでした何時何分何秒地球が何回まわったときに世羅さんとお友達になったのか記憶が定かではありませんがでもお友達になったという事実だけははっきりしてますし一緒にカラオケすることになんら差し障りありませんなんなら世羅さんが加わることによって春田くんが負担する料金が減りますしボランティアにでも参加したと思えば慈愛の心が満たされて一石二鳥になるやもしれませんね」
「なんでちゃかり自分は一銭も払わんつもりでいんだよ。俺じゃなきゃ見逃しちゃうねぇ」
とここで名台詞も飛び出したところで、というか予約した時間が迫ってきたから俺たちは立ち話無駄話をやめにして、目の前のカラオケ店の敷居をまたぐことにした。
俺は受付のお姉さんに話しかけた。陰原がカラオケ屋の店員はだいたい態度が悪いとかなんとか偏見をばらまいていたが、実際そんなことはなく、懇切丁寧にしかも愛想良く振る舞ってくれた。
「四時から予約してた世羅なんですが」
「なんであたしの名前なのよ!」
「お待ちしておりました。三名でご予約の世羅綺羅々様ですね」
「しかもなんでフルネームなのよ!?」
「あ、はいそうです」
「あ、はいそうです……じゃないわよ! あんた見るからに男でしょ!?」
「お部屋は2階の301号室になります」
「わかりづらいわね! ふつう20なんちゃら号室とかにするもんでしょ! 店長呼びなさいよ!」
「本日は二時間のご利用となっております。お帰りの際はそちらの消毒済みマイク二本と伝票のほうを、あちらのカウンターまでお持ちになってください」
「そちらのあちらのって、なんで客を少しでも歩かせようとしてるのよ! ほんとに店長呼びなさいよ!」
「うるさいぞ世羅」
さっきから隣で茶々を入れてくる世羅を黙らせた。
俺は受付のお姉さんの名札を指差した。
「それに店長ならずっとおまえの目の前にいるだろ」
「まさかの受付お姉さんが店長だった件について!?」
「あ、何度も来たことあるんで、場所はわかります。マイクとおしぼりあざす」
ラノベのタイトルみたいなものを口にして固まっている世羅はさておき、俺は陰原をつれて201号室へと向かった。エレベーターで。
乗り込むと、閉めるボタンを押す。
そこに自我を取り戻した世羅が、あわてて駆け込んできた。
「さらっと置いてかないでよ!」
俺たちは201号室の扉を叩いた。
そして開けてびっくり。
「何よ! これ!?」
そこにはパーティールームといったかんじの部屋が広がっていた。ギラギラとした若干昭和めいたミラーボールが回り、そしてどういう意図で設置されたかわからんビーナス像の滝が流れていた。
「ふふふ、驚いたか。じつは予約したのVIPルームなんだよ」
そうなのだ。これぞ本物のサプライズってやつだな。
じゃないと、カラオケに行くのにわざわざ予約なんてするはずないだろ。
しかも料金もさほど変わらないときた。
知る人ぞ知る、いや陽キャラぞ知る、秘密の遊び場といったところか。
「あんたもなかなかやるわね!」
あのクソ生意気な世羅も、これには素直に感心していた。
陰原もそれは同じだった。まぁ若干おかしなことをいってたが。
「さすがは陽キャラですねこんな昭和バブル期の名残みたいなところ陽キャラでもないかぎり早々キャッチできませんよやはりこういうのは人づてに聞くものなんでしょうかそれからたまに乱交パーティーを開いたりして楽しんでいるのでしょうか」
「たまにも何も、そういうのはやんねーよ馬鹿。一部のやばいやつらだけだろ。ああ、そうだよ、俺の知り合いに教えてもらったんだ」
陰原はふんふんうなずいている。
「なるへそやはりそうでしたか春田くんならやりかねないとかねがね思ってましたよはい」
「ちょい待ち。いったいどれに納得してるんだ。まさかやばいやつらってとこじゃないだろうな。まじで違うからな」
言い訳でもなんでもなく、俺はまじでノーマルだ。ノーマルな陽キャラだ。
ノーマルな陽キャラってなんだよ、自分でもそう思うが、いわんとするのは、ノリは軽いが性事情までは軽くないってことだ。わかったか。
てかなんでこんなに必死なんだよ。一方で早くも世羅はVIP気取りだってのに。
ソファにふんぞり返っている。
「春田! コーラ!」
「いや自分で取ってこいよ」
「下僕のくせに口答えする気!? 生意気ね!」
「いつからおまえの下僕になったんだよ。はぁ。まぁどうせついでだし、べつに注いできてやってもいいんだがな。むかつくけど」
「あっじゃあ申し訳ないんですが私の分もお願いしてもよろしいでしょうか私もコーラでっと合わせたいところなんですがしゅわしゅわが苦手なものでしてお手数かけますがいちごオレかそれがなければバナナオレでも一向にかまいませんので」
「どっちにしろマニアックで、たぶんないんじゃねぇかと思うが、なかったらカフェオレでもいいよな。なんかオレ系が好きそうなかんじしたし」
「いえそれでしたらカフェオレではなくカフェラテのほうでお願いします春田くんはご存じかどうか知りませんがオレとラテは抽出方法が違うんですよドリップコーヒーを使うオレに対しラテではエスプレッソを使いますそちらのほうがカフェイン含有量が少なくて済みますし私のように夕方以降はカフェインを控えめにしたいという健康志向タイプにとってありがたい飲み物なんですよ砂糖やミルクも入れる必要ありませんしねといっても私は少々入れる派なんですがミルクはなし砂糖は三分の一ほどの量にしてください」
「ここにも女王様気取りがいたか。ラテがいいのはわかった。だが砂糖くらい自分で入れろ」
俺は世話の焼ける二人を残し、VIPルームを後にした。
ドリンクバーは不親切にも、一階にしかない。こんなことならエレベータで上がる前に持ってくれば二度手間にならずに済んだのにな、と愚痴りつつ来た道を戻る。
ドリンクバーはファミレスやらネカフェやらにある一般的なものだった。予想どおりある程度かぎられたものしかなく、選択肢にいちごオレとバナナオレはなかった。
かろうじてカフェラテはあった。それを抽出しているあいだ、俺と世羅の分のドリンクを用意する。
俺も世羅と同じコーラにした。特にこだわりはなかった。
三人分のドリンクを器用に抱えて、再びVIPルームに戻ったとき、ソファでふんぞり返っているやつがまたひとり増えていた。
「遅かったわね!」
「ほんと待ちくたびれましたよすでに私の喉はからからでこのままでは歌声に支障をきたしてしまいますよまったく召使いなら行って帰ってくるまで三分以内に済まさなきゃダメじゃないですかこれは後で教育指導のほうが必要ですかね」
「だから女王様かて」
俺はコップを乱暴にテーブルの上に置いた。
ここまで長かったような、そうでもなかったような気もするが、ともあれカラオケが始まった。
俺は受電機スタンドからデンモクを引き抜いた。
「まず最初は誰からいく?」
「あたしは二番目がいいわね! カラオケあんま来たことないし、いまいち勝手がわからないから!」
「りょうかい。そんじゃあ陰原からいくか?」
陰原はカフェラテに、きっちり三分の一の量の砂糖を流し込んでいる。
「いえ遠慮しておきます高貴なる私は華麗にラストを飾りたいと思いますそうですね私をショートケーキでたとえるとすればいちばんてっぺんに乗ったいちごです特別かつとっておきの存在なんですなので春田くんからどうぞ」
「自分を高く買い被りだし、自分からハードルをがんがん上げにいってほんと大丈夫かよってのはさておき、俺も男だしな。ここは場を馴れさせるためにも、一番槍を引き受けてやっかな」
俺は手に持っていたデンモクを操作して、選んだ曲を送信した。
選曲したのはFLOWのDAYSだ。アニソンでないものを選んだらオタクである陰原にしらけた目で見られそうだったし、かといってあんまりにもオタクオタクした曲を歌うのもなんだったので、空気を読みつつもぶなんでそれなりに有名どころをと考えた結果、DAYSに落ち着いたのだった。
オープニングが流れたとき、陰原が唸った。
「ほほうDAYSですか交響詩篇エウレカセブンのテーマソングにもなった神曲を選ぶとは春田くんにしてはなかなか良い線ついてくるじゃないですか感心しましたにしてもFLOWというバンドはすごいですねエウレカのほかにもナルトやギアスといった神アニメにも携わってますし何より曲自体が素晴らしいですよね高まります」
「うんわかったから少し黙ってもらってもいいかな。もうAメロ始まっちまってるからな」
気を取り直して俺は歌い出した。
とはいえ俺の歌声に触れても、そこまで需要はないだろう。
ひとついえるのは、自分でいうのもなんだが、そこそこうまいってことだ。
特別練習したわけじゃないが、友だちとカラオケに通っているうちに自然と上達してきた。何も胡散臭そうなボーカルレッスンを受講しなくても、そうなるもんだ。要は反復が大事ってわけだな。
カラオケをよく利用する陽キャラの中で、よほど音痴なのってほとんど見かけんし。
「心を~吹き抜ける空の~色香る風~」
その甲斐あってか、締めに行われる精密採点では90点という、なかなかの数字を叩き出すことができたのだった。
俺はテーブルの上にマイクを置いた。
「どうだ。俺もなかなかのもんだろ」
「ふん! あたしには及ばないけどね!」
「たしかに馴れてるだけあってそれなりに歌えてはいますが頭の音程が半音の半音ほどずれる傾向が時折見られたりまた長音を正確に捉えずいい加減なところで切ってしまう悪癖がついてたりとまだまだ改善の余地はありそうですねよろしければ今日気づいたところをPDFでまとめて後でご自宅のパソコンのほうまでお送りしましょうか」
なんか思っていた反応とは違った。90点だし、もっと素直に褒めてくれるもんだとばかり。
べつにこいつらに褒められたいとか、俺のプライドが傷付いたとか、そういうのはいっさいなかったが、けれどあんまり面白くないのも事実だ。
そっちがそういう出方なら、こっちも辛口で評価してやろうじゃねぇか。
俺は二番手の世羅にマイクを回した。
「次はおまえの番だろ。あくしろよ……」
それで多少言い方が高圧的になってしまったのも、まぁしょうがないってもんだ。
「ちょっと待ちなさいよ! いま真剣に探してるんだから!」
世羅は慣れない手つきでデンモクを操作している。
「あくしろよ……」
「ここで口を挟むのもなんですが時間を無駄にしないためにもいっておきますと春田くんが空気を読んでいたようにアニソン以外の曲を入れるのはここでは御法度ですからねカラオケとはあくまでアニソンを楽しむ場なのですそのお客さんのおおよそ九割方はアニソンしか選びませんし選ばれません」
「そうなの!?」
陰原は力強くうなずいている。
だがそれは思い切り偏見だった。たしかにアニソンを歌う層は今日日増えているような気もするが、それでも一般の歌謡曲を楽しむ層のほうがまだまだ多くて、つうかろくにカラオケしたことないくせによくもまぁそんな堂々と言い切れるな。あとアニソンに選ばれるってなんだよ。陰原の中でアニソンは神的立ち位置にあんのかよ。
世羅は目を回しながらあわあわしている。
「い、いきなりアニソン縛りされても参ったわね! せっかく十八番のキャッチザモーメント入れようとしたところだったのに!」
「それってLISAの曲だよな」
「違うわ! 正しくはLiSAの曲よ!」
「よくもまぁ口頭でいっただけなのに、細かい誤字に気づいたな。まぁわかる俺も俺なんだが。ともあれー」
陰原が話を引き継ぐ。
「そうですね世羅さんが歌おうとしているキャッチザモーメントという曲は立派なアニソンですね劇場版SAOの主題歌にもなった神曲ですそんなこともご存じなかったんですかこのにわかめ歌手のLiSAさんはレコード大賞を取るほどの実力者で世間一般にも広く知られてるわけですがれっきとしたアニソン歌手なんですよお恥ずかしながら確証はないのですがおそらくKeyアニメのエンジェルビーツに抜擢されたのが伝説の始まりだったように記憶しておりますですのでいまこの場でキャッチザモーメントを選曲しようとなんら問題もないわけです」
世羅がテーブルから身を乗り出した。
「なんか途中でしれっと罵られたような気もするけど! それはそうと、すごいわね! LISA!」
「さっき指摘した本人が間違うなよ。LiSAなんだろ」
まぁそのことに気づく俺も俺なんだがな。
世羅がマイクを握った。
「ともあれ! これで心置きなく歌えるわね! いいかしら!? 耳をかっぽじってようく聴きなさい! ミュージックスタート! カモン!」
「テンション高いな」
まもなくイントロが流れ始める。オシャレかつロックなギターのフレーズが、室内に大音量で響き渡った。
世羅は揺れるポニーテールでリズムを取りながら、やる気満々の様子だ。自信に満ち溢れているかのようにも見えた。
ほほう。ならばこっちも期待させてもらおうか。俺は碇ゲンドウよろしくテーブルの上に肘を突いた。
そして歌い出しが始まった。
「まぁいうてサビしか知らないんだけどね!」
「十八番じゃなかったんかい!」
ずっこけ。
悲しく流れるAメロのガイドメロディー。
そのあいだも採点されているだろうし、もうその時点で勝負あったと思うんだが。
これには当然、アニオタである陰原も憤りを隠せないみたいだな。
「まったく信じられませんよいますぐLiSAさんと彼女のファン並びに関係者様各位に対して謝罪を要求します曲に対しても同様ですこんなの冒涜以外考えられませんよぷんぷん」
世羅がマイクを使ってレスポンスした。
「うっさいわね! いいから黙って待ってなさいよ! あたしレベルになるとサビだけでも十分わからしてやれるんだからね! あっそろそろじゃない!? あたしの美声にひれ伏しなさい! 行くわよ! せーの!」
世羅がマイクを強く握り締めた。
そしてとうとうその瞬間が来た。
大きく口を開けてシャウトする。それがこちら。
「僕の声が! 響いた! 瞬間に! 始まる命の! リミット! 心臓が! カウントしてる!」
うん、決して間違っちゃいない。
短いフレーズが続くところだし、LiSAもそんなような歌い方してるし。
だがそれとは似て非なるものというべきか、世羅の歌い方はあまりにもはきはきと区切りすぎて、傍から聴いてるとたんに歌詞を叫んでいるだけのように思えるのだった。
「キャッチ! ザ! モーメン!」
一回目のサビが歌い終わると、世羅はこっちを振り向いて、ドヤ顔しながらどうよといわんばかりに称賛の言葉を待っていた。
とはいえこっちも嘘はつけんし、何より辛口でいくと決めたんだ。
俺は首を横に振った。
「はぁ!? あんた耳がおかしいんじゃないの!?」
世羅は唾をまき散らしながら怒っている。あたしの素晴らしい歌声にケチつけてんじゃないわよっていわんばかりに。
だが数も揃えば正義にもなるし、発言の勝者ともなる。そういった意味では民主主義って最高だよな。
陰原もナッシングの意見に票を入れたのだ。それだけに留まらず、やはり陰原らしく相手をボロカスに叩いていた。
「本当に酷いもんですよ皆々様に失礼極まりありませんこの歌っている姿を動画に収めてSNSに拡散して一度けちょんけちょんにされたほうがいいかもしれませんねあなたの今後のためにも最悪それに対する謝罪動画も挙げざるえなくなるやもしれません非常にいい気味だと後ろ指を差して嘲笑いたいですが自覚はないでしょうが世羅さんはそれだけのことをしたのです」
「なんで自分の首を絞めるようなことしなきゃいけないのよ!? 百歩譲って、あたしが下手くそなのは認めるわ! 多数決だし! だけどね、そんな大口叩けるだけの実力があるんでしょうね!?」
陰原は目を閉じて、ゆっくりとカフェラテを味わっている。
「当たり前じゃないですかあんまり陰キャラだと思って侮ってもらっては困りますこんななりなので町中でスカウトされることはまずありませんがのど自慢大会に出場しようものなら優勝すること間違いありませんしメジャーデビューだって実現不可能ではないと自負しておりますよ」
世羅が陰原の前にマイクを叩きつけた。おいそんな乱雑に扱うなよ。壊れたらどうすんだよと焦ったが、しかしさすがはVIP御用達のSMごっぱちだ。そんなのものともしなかった。
「へえ! いってくれるじゃない! これは見物ね!」
陰原はデンモクをいじり始めた。いったいあの陰原がどんな曲、いやアニソンを選択するのか、もはやそこからが注目だった。
俺でも知ってるような有名曲か、はたまたそんなのよっぽどのマニアじゃないと知らねぇだろ、と突っ込まざるをえないようなマイナー曲か。たとえばキャラソンとか。
そこで陰原の手が止まった。どうやら決まったらしい。
カラオケの本体に向けて送信する。
そしてモニターに映し出されたタイトルは、おおそうきたか~と若干不意を突かれるようなものだった。
同じくLiSAで、炎(ほむら)。
レコード大賞を取った、いまや彼女の代表曲ともいえるものだ。
ここはあえて先発の世羅に合わせるといったところが、なんとも負けず嫌いな陰原らしいな。
しかしだからといって俺は忖度したりはしない。陰原がなるべく対等な条件を求めたように、俺も変わらず辛口評価でいこうと思った。
うまかったら素直にうまいというし、下手くそだったらばっさり下手くそだなと切る。
にしてもまじで楽しみだな。これまで陰原には良い意味で裏切られてばかりだ。不気味であんまり近づきたくないタイプの女子だなと思ったら、話してみると性格の癖が強すぎて逆に面白かったり。妙にテニスについて詳しかったりしたのもけっこう意外だったな。
形がどうであれ、今回カラオケでも俺らを驚かせてくれるんだろうか。期待が高まった。
世羅もコーラをがぶ飲みしながら、神妙な顔つきでモニターを見つめている。
「いよいよ始まるわね……! ほのお……!」
「ほのおじゃなくて、ほむらな……。頼むから水を差さないでくれ……」
炎だけに。
なんてつまらんジョークはさておき、陰原がマイクを口元に近づけた。
炎はそのタイトルとは裏腹にバラード曲である。特に出だしのところはしっとりと丁寧に歌い上げねばならん。
まずはそこをうまく表現できるかどうかがすべての要になってくる、と俺は勝手に思っている。
短い伴奏が流れた。そしてついに陰原の実力が試されるときがきた。
さあ、どうだ……?
俺は固唾を呑んで見守った。
世羅はコーラをがぶ飲みしながら見守っている。いやそこは唾を呑めよ。
しかしここまで引っ張って申し訳ないが、結論からいうと、見事な出落ちだった。
なんつうかうまいとか下手とかじゃない。それ以前の問題で、陰原にはある意味で驚かされた。
カラオケでも平常運転、そこにギャップなどの類いはいっさい存在せず、陰原の強烈な個性が消えることはなかったのだ。
「さよならありがとう声の限り悲しみよりもっと大事なこと去りゆく背中に伝えたくてぬくもりと痛みに間に合うように」
とこんなふうに、リズムやタイミングをすべて度外視して、字幕も終わってない、まだ次の字幕も出てないような状況にもかかわらず、持ち前の早口でAメロを一息で終わらせてしまったのだ。
なんちゅう自己中な。そしてカラオケの字幕相手にもコミュ障を発動させちまうのかよ。
これには俺らも呆気にとられた。
俺は言葉も出なかったし、世羅に至ってはがぶ飲みしていたコーラをぜんぶテーブルの上にぶちまけていた。いや汚ねーわ。
いくらこいつが男子にモテるからって、さすがにこの光景を見たら幻滅するだろ。
それとも逆にご褒美ですとかアホなこと抜かして、ますます魅了されちまうのか。いやねーわ。
少なくとも俺はそう思うぜ。
しかも世羅のやつ、片付けもしないで腹抱えて爆笑してるし。ないない。
「ひゃひゃひゃ! あんだけ大見得切っておいて、あんた音楽的センス皆無じゃないの! ひゃひゃひゃ! これならあたしのほうが数段ましよ! ひゃひゃひゃ!」
「笑い方の癖つえーな」
ひゃひゃひゃは生まれて初めて聞いたわ。
まぁいまはそんなことどうでもいい。気になるのは陰原のほうだ。
あんだけどやってたのに、見下していた相手からここまでバカにされたら、さぞかしショックに違いない。
実際そのとおりだった。
最初はえっなんのこと、とぽかんとしていたが、やがて呑み込めたのか、顔面を真っ赤にしてぷるぷると小刻みに震えだし、そしてついには演奏中止ボタンを自ら押してしまった。
アニソンを途中で止めるだなんて所業は、たぶんそれらを崇拝している陰原にとって禁忌に等しいんだろうが、しかしそれに触れてしまうほど陰原は堪えていたのだ。
もうほとんど涙目で俺にすがりついてくる。
「春田くんお願いしますあなたの力を頼るのは小癪ですがでもほかに相手がいないんですとにかくなんでもいいですからこの屈辱的な状況を打開する策はありませんかねもしも教えてあげないあるいはそんなものはないとおっしゃるのであれば私はこのまま怒りにおぼれて世羅さんのツインテールをすっぽんと引っこ抜いてしまうやもしれません」
「待て。早まるな。必ず見つけてやっから」
俺はさらっと恐ろしいことを口にする陰原をなだめた。
そんな野菜を収穫するくらいのノリで陰原を犯罪者にするわけにもいかんし、何より女子が同性のツインテールを引っこ抜く、みたいな地獄絵図は見たくない。
俺はたぶん試験中でも出せないくらいの集中力で、何か秘策がないか探った。
その甲斐あってか、ひとついいのを思いついた。
「おまえの早口をどうにか抑えるんじゃなくて、逆に早口を生かしちまえばいいんじゃねぇか?」
陰原が首を傾げている。
具体的な曲名を挙げた。
「初音ミクの消失ってボカロの曲知ってるか? 生身の人間が歌うとめっちゃきついくらい早口のやつ。でも早口が遺伝子レベルで染みついてるおまえなら不可能ってことはねぇだろうし、なんならうってつけまである」
けっこう自信があるだけあって、陰原も素直に感心していた。
「ほほうそれはたしかに妙案ですねその発想は私にはありませんでした春田くんもやりますねぇ常人には困難な速さでも私であればなんなくついていくことができますし向いてるとも捉えられますひとつ問題なのはボカロの曲がアニソンに含まれるのかというものですが狭義的に考えればそうでないのかもしれませんけれどボカロの曲はアニメオタク文化から派生してきたものですし広義的ないしは一般的に考えるのであれば認められるべきものでしょう何より私も大好きな曲ですし歌いたいと私の熱い魂が訴えかけてきます」
俺が代わりにデンモクを使って、本体に送信してやった。
マイクもパスする。
「そうと決まればさっそくリベンジかましてやれ。ぎゃふんといわせて、一刻も早くあの癖の強い笑い方を止めてくれ!」
「ひゃひゃひゃ!」
いい加減耳障りになっていた。
陰原は覚悟を持った顔で、マイクを受け取った。
「かしこまりました僭越ながら私はこれから初音ミクになりきってみせます世羅さんのぴょんぴょんと目障りなツインテールの代わりに葱を引っこ抜いてお見せしましょう!」
「うまいこといったつもりだろうが、たいしてうまくないからな。あんま勘違いすんなよ」
ともあれ後は陰原のリベンジを見届けるだけだ。
うまく俺の読みどおりになってくれればいいんだがな。そしたらこの不快な笑い声からも解放されるし、阿鼻叫喚な地獄絵図を見ずにすむ。
それともここでまた裏切られちまうんだろうか。
しかしそんな心配は杞憂だった。陰原は完璧に初音ミクの消失を歌い上げたのである。
「ボクは生まれそして気づく所詮ヒトの真似事だと知ってなおも歌い続くトワの命VOCALOIDたとえそれが既存曲をなぞるオモチャならばそれもいいと決意ネギをかじり空を見上げシルをこぼすだけどそれも無くし気づく人格すら歌に頼り不安定な基盤の元帰るトコは既に廃墟皆に忘れ去られた時心らしきものが消えて暴走の果てに見える終わる世界VOCALOID」
俺は立ち上がってガッツポーズした。
「おお、やっぱりか。無機質な声も相まって陰原にすげー合ってるな!」
これには世羅もぎゃふんといわざるをえなかった。
「ぎゃふん!」
いや声に出してどうするよ。
おまけにまたしてもコーラをテーブルの上にぶちまけていた。汚ねーわってか、無限にコーラ湧いてくるな。たしかにコップ一杯しか注いでなかったんだが、いったいどんな手品使ってんだよ。すげーわ。
「すごいわ! もはや人間業じゃないわね!」
おまえもな。
その後も陰原はきっちりと歌い上げた。途中でいくつかリズムを見失うこともあったが、やはり早口で稼いだところがデカかったのだろう、俺の点数を上回る97という数字を叩き出したのだった。ちなみに本日の店舗最高得点だそうだ。
その表示を目にして陰原も満足いったみたいだな。すっかりドヤ顔に戻っている。
対照的に世羅は歯を食いしばって悔しそうだな。憎まれ口を叩いている。
「むきーっ! あんたなんか早口しか取り柄ないのにね!」
「ふふんそんなに悔しいのでしたら数字で私を上回るくらいしか晴らす方法はありませんよもっとも短いシャウトしか出せない世羅さんにそれができるとは到底思えませんがねこれぞミサトさんのいうところの八方塞がりそして制作デスクの本田さんがいうところの万策尽きたというやつですねざまぁ」
「ぷぎーっ!」
今度は世羅が涙目になる番だ。
洟をすすり、くるっとこっちを向く。
「春田! なんか良い方法はないかしら!?」
「そしてやっぱりおまえも俺を頼るのな……」
俺はそんな、いや損な役回りなのかよ。
とはいえ俺もこれ以上ドヤる陰原の相手するのはいやだったし、何よりせっかく友達同士になったこいつらが言い争うところは見たくなかったというか疲れた。
できることなら平和的に解決してやりたかった。
そんな都合の良い方法がどっかに転がってはいやしないか。俺は今一度目を閉じて熟考する。うーん、これまたデジャヴ。
ほどなくして俺ははっとした。
「あるじゃねぇか。そんな都合の良い方法がよ」
「何よ!? 勿体ぶらずに早くいいなさいよ!」
さっそく世羅が食いついてきた。
だがべつに勿体ぶってるわけじゃねぇ。だからずばりいってやる。
「世羅よ、よく聞け。短いシャウトしかできんポンコツなおまえが輝ける場所はただひとつ。そう合いの手だ」
「合いの手!?」
そんなもんで陰原を見返すことができるのかとでもいいたげだ。
けれどそれこそがベストな答えであり、そしてもっとも綺麗にまとまるのは間違いない。
これ以上は口で説明するより、実際に試してもらったほうが早いだろう。
俺はデンモクを操作しながら、世羅に訊いた。
「ちなみに、もってけセーラーふく! って曲は知ってるよな」
「いちおうね!」
陰原には訊くまでもないだろう。
「じゃあいまからそれを、陰原と力を合わせて歌ってもらおうか。おまえは合いの手で精一杯盛り上げてくれな」
「どうしてあたしがこいつの引き立て役みたいなのを務めなきゃならないのよ!?」
「もう送信したぞ~」
「聞きなさいよ!?」
ふんがー。
と小ネタを挟むのもさておき、曲のほうがスタートした。
ちなみに俺がこの曲を選択したのは、決して自分の趣味とか小ネタを挟みたかったからじゃない。ちゃんとした訳があった。
いちばんうってつけだと思ったんだ。初音ミクの消失ほどではないがなかなかの速いテンポで、早口の陰原にとって歌いやすい曲だったし、またいいかんじに短めの合いの手が入っていて、ほとんどシャウトしかできん世羅にもぴったりだった。
そしてその読みは、初音ミクの消失のときと同様、がっちりはまった。
陰原の早口もプラスに働き、世羅のシャウトもいいかんじに仕事するといった、奇跡のマリアージュが起きたのだった。
先行するのは陰原だ。
「曖昧3センチそりゃぷにってコトかい?」
「ちょっ!」
「らっぴんぐが制服だぁぁ不利ってこたない」
「ぷ!」
「がんばっちゃやっちゃっちゃそんときゃーっち&Release」
「ぎョッ!」
「汗」
「Fuu!」
「々」
「Fuu!」
「の谷間にDarlin’darlin’」
「「FREEZE!!」」
とこんなかんじに二人は息ぴったりだ。
俺はすっかりぬるくなった甘めのコーラをちびちびやりながら、彼女らの共演に耳を傾けていた。
「うん、やっぱり平和がいちばんだなぁ」
ちなみにこの後100点取ったのはもういうまでもないよな。
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