第27話 復活

「あなたがヴァーゴさん……なんですか?」

「そうだ。我が石腕せきわんのヴァーゴである」

 まだ煙の燻る体でヴァーゴが答えた。漆黒の彫像のようなその姿に、ファティアは一瞬気圧される。

「石腕の……ねえ、それより……」

 不安げな様子でファティアが呼び掛ける。

「なんだ?」

 ヴァーゴは表情のない顔でぶっきらぼうに答える。

「エルドさんは……どうなったの? どこに行ったの?」

 ファティアは言いながら不安そうに周囲を見回す。だが当然ながら、エルドの姿はどこにもない。

「我のこの体が、エルドの体だ。契約により、この体は我のものとなった」

 手を胸に当てながら、ヴァーゴが答える。

「それって……やっぱり……?!」

 ファティアが立ち上がり、ヴァーゴの胸に触れる。冬の水のように冷たいその肌に、ファティアは悲しみを予感する。

「エルドさんは、死んだのね」

「そうだ。あの男は死んだ」

 ファティアは力を失ったようにだらりと腕を下げる。そして虚脱したような瞳で、ヴァーゴを見た。

「私……何も返せてない……! 一銀セドニ二〇万円も、何も! 巻き込んで、頼って、それで……それで死なせてしまった! 私は……!」

 ファティアの悲痛な叫びに、ヴァーゴは表情を変えないまま答えた。

「それがこの男の望みだった。お前を、助けよと」

「私なんかの為に……そんな……! 命を懸けるだなんて……!」

 ファティアは顔を押さえ、湧きあがる嗚咽をこらえた。悲しかった。それ以上に情けなかった。自分に力があれば、誰も犠牲にせずに済んだだろうに。エルドを死なせることはなかっただろうに。

「約定は果たした。だが……それは全てではない」

「え……? どういう、ことですか……?」

 ヴァーゴがファティアに向かって手を差し出す。そして言った。

「一つ問う。その宝具と、この男の命どちらを選ぶ?」

「どういうことですか……?」

 突然の質問に、ファティアは混乱する。宝具はこの国の宝だ。守るべきもの……大切なものだ。だがエルドの命は……失われた男の命は、それよりも尊い。

「まさか、エルドさんを生き返らせる事が出来るんですか?!」

「エルドは死んだ。だがその存在の全てが消え去ったわけではない。寿命の全てを喪失し概念上の死を迎えたのだ。もし充分な魔力でその寿命を補う事が出来れば、奴を元の状態に戻すことが出来る」

「魔力があれば……つまり?」

 ファティアは手に持っていたアクアクリスタルに視線を移す。宝具は複雑な魔法回路の結晶だ。それと同時に内部には膨大な魔力を蓄積している。その魔力を利用することが出来れば、ヴァーゴの言うようにエルドを元の状態に戻せるのかもしれない。

「……宝具は、どうなるんですか?」

「魔力が尽きれば回路も朽ちる。ただのガラス玉となり果てるであろう。もう一度問う。その宝具と、この男の命どちらを選ぶ?」

「私は……」

 どちらを選ぶべきなのか。

 ワルキューレとして。人として。どちらを選ぶべきなのか。

 不思議と迷いはなかった。そんな自分を不思議に思いながら、ファティアは答えた。

「エルドさんの命を選びます」

「あい分かった」

 ファティアが差し出したアクアクリスタルを、ヴァーゴが掴み取る。そしてその手の内で魔力を操作し、アクアクリスタルを起動させる。まばゆい光が生じ、ファティアとヴァーゴを照らす。

「暖かい光……」

 ファティアが光に手をかざすと、ほのかな熱が手の内に染み入ってくるようだった。それは心地の良い感覚だった。

「いわば、生命の光だ。これで奴の肉体に活を入れる」

 そう言うと、ヴァーゴはアクアクリスタルを胸にあてがう。すると胸の部分の岩が蠢き、アクアクリスタルを内部に取り込んでいった。

「ヴァーゴさんは……どうなるんですか?」

 ファティアの問いに、ヴァーゴは無表情のまま答えた。

「体を明け渡し、元に戻る。奴の願いは果たしたが、厳密には終わっていないのだ」

「終わっていない……? どういうことですか」

「奴はお前を助けろと言った。だが、いつまでと明言していない以上、奴の寿命分の時間が尽きるまでということになる。そしてカニーバとの戦いで多少消費したが、まだ尽きてはおらん。だから、元に戻す。奴と我が、お前を守れるように」

「それが約定……?」

「でもなければ、こんな事をする義理はない。まったく、曖昧で抽象的な願いを土壇場でやるからこうなるのだ。おかげで自由になり損ねた」

 岩の顔に僅かな微笑みを浮かべながら、ヴァーゴが言った。

「元に戻るんですね……?」

「左様。元のつまらぬ男に戻る」

 ヴァーゴの体が光り輝く。その光は一〇秒ほど続いたが、やがて弱くなりその中心にある姿を浮かび上がらせた。岩の巨人ではない。ボロボロの神と、着古し焼け焦げた服。いつも不平を口の端に浮かべているような表情の男。エルドだった。

「エルドさん!」

 目をつむったまま倒れ込むエルドを、ファティアは腕で支える。

「う……う……」

 エルドが呻き、そしてファティアの腕を取る。

「なんだ……俺は……?! カニーバの野郎は!」

 エルドが血相を変えて周囲を見回すが、見えるのは燃え残った建物の残骸くらいだった。そして隣にいるファティアを見て、口を開く。

「どうなってる? 奴は……倒したのか?」

「はい、ヴァーゴさんが」

「そうか。やったのか……でも、なんで俺は……俺の寿命を持っていったはずじゃ……?」

「それは……」

 ファティアは足元に落ちているアクアクリスタルを拾い上げる。

「宝具のおかげです。中に入っている魔力を使って、代わりにエルドさんの寿命を戻したんです」

「なんだと? じゃあ俺は助かったのか……でもそれじゃあ、そのアクアクリスタルは……」

「はい。ただの石ころになっちゃいました」

 ファティアが困ったように微笑みながら言った。

「でもエルドさんが助かったからいいんです」

「いいのかよ? お国の大事な宝物なんじゃねえのか」

「そうですけど……人の命には代えられません。そんなことより……」

 ファティアは空の向こうに視線を向ける。それは王都の方角だった。

「早く王都に行かないと。行って、ティオイラたちの企てのことを報告しないと……」

「ああ……そうだな」

 歩き出そうとしたエルドだったが、脚をもつれさせて倒れる。

「大丈夫ですか? エルドさん!」

「あ、ああ。どうも体がフワフワする。怪我が治って調子は良くなったが、どうも妙だな」

 エルドはそう言いながら拳を握りしめる。

「なんだか……前よりも力が強くなったような? ちょっとどいてくれ」

 そう言ってエルドは焼け残った瓦礫に向かって歩いていく。火が消えても煙はくすぶっていたが、そのうちの一つの角材に手を伸ばす。屋根部分の梁らしく、長く太い角材だった。途中で折れて燃えてはいるが、それでも相当な重さがあるように見えた。

「よっ、と……」

 エルドはさほど力を込める様子もなく、その角材を持ち上げてみせる。すると角材は周囲の瓦礫をどかしながら軽々と持ち上がっていく。

「なんだこりゃあ? まるでヴァーゴの力を使っている時みたいだ……?」

「アクアクリスタルの効能だ」

 ヴァーゴの低い声が響いた。ファティアの耳にもそれは届き、二人は顔を見合わせる。

「アクアクリスタルに内蔵されていた魔力は思ったよりも膨大だった。それを運用することで、お前は我の力を常時使う事が出来る。試してみよ」

「試してみよって……じゃあ、紫刃を……」

 エルドは右腕に力を込める。すると腕が紫色の鉱物に変わり、刃が生えてきた。

「おお、すげえ。でも寿命がすり減っている気がしない」

「お前の寿命ではなく、アクアクリスタルの魔力を使っている。無限ではないが、当面無茶をしなければお前の寿命を用いる必要はない」

「良かったですね、エルドさん!」

 ファティアは我がことのように喜ぶ。しかしエルドは渋い顔を作って答えた。

「こりゃあ助かるが……また魔人と戦わせるつもりか? 勘弁だぜ、もう。全身火だるまなんてもうこりごりだ」

「その気になれば皮膚も岩に変えられる。我のようにな。もう火傷の心配もない」

「そういう問題じゃねえんだよ、ったく……」

 エルドはしみじみと自分の手を見ながら溜息をついた。

「お前の願いを叶えるのにはちょうどいいだろう」

「あぁ? 大きなお世話だ」

「願い……そういえば、何を願ったんでしたっけ?」

 面白そうにファティアが聞いた。

「あぁ……? 別に、あれだよ」

「あれ?」

「あれだ……まあ、なんか助けるみたいな」

「ふふ……誰を助けるんでしたっけ」

「うるせえな! べつにいいだろ、もう!」

「ふふ……結局お人好しですね、エルドさんも」

 楽しそうに笑いながらファティアが言う。エルドはバツが悪そうに舌打ちした。

「まったく、お前なんか助けるんじゃなかったぜ」

 そして、二人は再び王都を目指した。

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