第26話 暗く深い場所
「エルドよりはやるってことか」
カニーバは胸の傷をなぞりながら言う。傷は焼ける音を立てながら塞がっていった。
「我は強い。お前よりもな」
ヴァーゴは傷つけられた首筋を払う。岩の粉が風に散っていった。
「俺の炎鎖があの程度だと思ってくれるなよ? 俺は炎鎖のカニーバ……これでも喧嘩に負けたことはないんだ」
「ならば今日が最初で最後の日だな。お前はここで死ぬ」
カニーバは不敵に笑う。
「死ぬのはお前だよ、ヴァーゴ!」
カニーバの左腕から陽炎のように炎鎖が立ち昇っていく。そしてその先端に炎が集まり、牙を持った何かが形作られていく。それは、龍の顎だった。
「こいつを使うのは久しぶりだ……九頭竜炎鎖。お前にこれを防ぐことはできまい!」
言葉と共に九本の炎鎖が放たれる。炎鎖はこれまで以上の速さでヴァーゴに襲い掛かり、その身を鋭い牙で削っていく。
「むう」
ヴァーゴはその攻撃を身を丸めて耐えた。体表の岩は硬いが、しかしカニーバの九頭竜炎鎖の顎はそれを上回っていた。巨大な体が見る間に削られていく。
「どうしたどうした? これならエルドの方がまだ歯ごたえがあったぞ?」
カニーバの炎鎖の攻撃がさらに激しさを増していく。抉り、噛みつき、削り、ヴァーゴの体を苛んでいく。
「調子に乗るなよ」
ヴァーゴが低くつぶやき、そして両腕の紫刃を閃かせる。紫刃はあやまたず炎鎖を捉え、その先端の龍の顎を切断していく。切断された鎖は力を失ったように垂れ落ちていった。
「そんなことで止められるとでも?」
カニーバの魔力が再び炎鎖に流れ込み、失ったはずの龍頭が再生する。そして息を吹き返したように鎖がのたうち、ヴァーゴに襲い掛かる。
ヴァーゴは紫刃で炎鎖を切り落としていくが、再生速度の方が上回っていた。ヴァーゴの方が、一方的に消耗していくようだった。
「このまま全身を削って殺してやるよ、ヴァーゴ」
「それは出来ない相談だ」
カニーバの言葉にそう返し、ヴァーゴは右腕を前に突き出す。そして右腕の表面が蠢き、紫刃が抜け落ちて別のものが内側から湧くように出てくる。それは四つの黄色い珠だった。
「何だ? 何をする気か知らんが、その腕ごと食い千切ってやる!」
カニーバが九本の炎鎖を一斉に動かし、ヴァーゴの右腕を狙わせる。もし同時に抉られれば、ヴァーゴの腕と言えど切断は免れない。
龍の顎が届く。その瞬間に、光が生じた。
「四珠八卦雷」
右腕の弾から雷光が走り、炎鎖を激しく打ち据える。何度も衝撃波が叩き込まれ炎鎖は弾かれたように吹き飛ばされる。
「ぐうっ?! 何だ、稲妻か?!」
炎鎖を伝い衝撃はカニーバにも届いていた。その身を包むのは激しい痺れ。すさまじい電撃によるものだった。
「そんな一発芸だけで、俺に勝てると思うなよ!」
カニーバは炎鎖を大地に潜らせる。そして地中を潜行させ、ヴァーゴの足元から炎鎖で狙い打つ。これなら雷を受けても大地に衝撃が逃げると考えてのことだった。
だがヴァーゴの右腕はまたも姿を変え、今度は鈍い赤い光を放つ、どす黒くねばついた溶岩のように変わった。所々見える赤い亀裂からは炎を噴き上げ、それはまるで呼吸のようだった。
「滅光愚炎」
炎が噴きあがり、ヴァーゴの右腕が激しく燃え盛る。それは襲い掛かる炎鎖の一つを掴み取り、赤黒い炎で龍頭を焼いた。
「炎で俺が殺せるかよ!」
カニーバはそう叫び、龍頭の口から炎を噴き出させる。だがヴァーゴの右腕の炎はじわじわと炎鎖を覆い始め、呑み込んでいく。まるで粘度の高い液体に包まれていくかのようだった。
「ぐうっ! 馬鹿な! 俺の鎖が!」
黒い炎は緩やかに燃えながら広がっていく。地中の炎鎖にも広がり、そしてカニーバ自身にも燃え広がろうとしていた。
カニーバは炎鎖を腕から切断し、ヴァーゴから距離を取った。魔力を断たれた炎鎖は急激に黒い炎に呑まれ消滅していく。
「炎よりも熱いものがある。お前が知らないだけでな……」
黒い炎を身にまといながら、ヴァーゴが言う。
「俺の炎が……お前のような岩の魔人などに負けるものか!」
カニーバは叫ぶように言い、左腕から再び炎鎖を生み出した。九つの龍頭がヴァーゴを向き、そしてその口から炎を噴射する。青白い高温の炎。周囲の大気さえも焼きながら、ヴァーゴへと襲い掛かっていく。
「もはやお前の炎は見切った」
静かな声でそう言い、ヴァーゴは右腕を前に出す。そして三度腕が姿を変える。黒い溶岩のようだった腕は、無数の針に覆われ変わっていく。
カニーバの炎がヴァーゴを飲み込もうと迫る。その炎に右手をかざし、ヴァーゴが呪文のように言う。
「暗澹針花」
迫る炎を前に右腕の針が一斉に花開くように競り上がる。そして、一瞬にして放たれた。
空気を破り、衝撃が周囲にも響く。轟音と、強い吹き戻しの風。燃えていた周りの建物が耐えきれず崩れていく。
カニーバの炎鎖が放った炎はかき消えていた。ヴァーゴが開かせた針の花……その勢いは周囲の全てを刺し貫いていた。
それは、カニーバも例外ではなかった。カニーバは全身に突き刺さる鋭い棘の痛みに、声も出せずにいた。顔にも、右目にも、喉にも、胸にも、腹にも、脚にも。鋭い棘が鱗を貫いて何本も突き刺さり、赤いスーツに血を滴らせていた。
「ぐ……くそ……何なんだ、これは」
顔に突き刺さった棘を抜きながら、カニーバは呻くように言った。棘を抜いた傷口からは血が出るが、それは表面の熱に焼かれすぐに乾いていった。
「花のように咲く岩もある。我は、一度見て触れた鉱物の特性を真似る事が出来る。過去にはあったのだ。このように危険な鉱石がな」
ヴァーゴは右腕を元の岩の腕に変え、カニーバへと近づいていく。カニーバは棘を抜きながら、一歩ずつ逃げるように後ろへ下がっていく。
「認めん……認めんぞ……! この俺より強い魔人がいてたまるものか!」
「了見が狭いな。己より強い魔人などいくらでもいる。それらと競い合うのが、我の楽しみであった」
「ぬかせぇっ!」
カニーバが両腕から炎を噴き出しヴァーゴにぶつける。だがヴァーゴは腕を伸ばし、炎を受け跳ね返した。
カニーバは次々に炎をぶつけていく。しかしそのどれもが精彩を欠き、ヴァーゴの体に届くことはなかった。
「お前は自分を一流とぬかしたな。ならば我は超一流だ。お前のような若造に負けることはない」
「ぐ……くそ、ならば……!」
カニーバは両腕を広げ、そして両手に炎を集めた。
「こいつを使う事になるとはな……こうなれば出し惜しみは無しだ」
「何をしようと同じことだ」
カニーバは歯を軋らせながら、両手の炎を自らの全身に広げていく。赤いスーツは燃え上がり、そして刺さっていた棘も熱に溶けていく。
「俺自身にさえ制御不能な灼熱の炎……受けるがいい!」
カニーバの全身が炎に包まれ、そして炎そのものに変わっていく。炎の色は赤から白にへと変わり、超高温の熱が大気を焦がし、大地を焼き始める。
「むう」
ヴァーゴはその熱を受けて立ち尽くした。背後にはファティアがいて、避ける事はできない。迎え撃つのみだ。
「エルド、本当にいいのだな」
ヴァーゴが自分の内側に問いかける。返事はヴァーゴにだけ聞こえ、そしてヴァーゴは頷く。
「ならば是非もない。その命、使わせてもらうぞ」
ヴァーゴが両手の指を組み合わせ、強く握りしめる。そして全身の魔力を昂ぶらせていく。
それにつれ、周囲の空間が冷えていく。炎は急速に勢いを失い、まるで水を浴びせられたように鎮火していく。大気が重く暗く変じていく。光さえも呑み込むような闇が、ヴァーゴを中心に広がり始めていた。
「深魔海絶」
水に沈み込む音が聞こえた。炎と化したカニーバの耳にも、確かに。
止まることはない。消える事はない。敗れる事はない。無敵の炎。敵を焼き尽くすまでは終わる事のない灼熱。それが今のカニーバだった。
大気さえも焼き、大地さえも溶かす。爆ぜ、消え、全てが散っていく。そのはずなのに、周囲に満ちるのは静寂だった。
炎の燃え盛る音さえ消え、そこにあるのはしんとした耳の痛くなるほどの静寂。静かで、どこまでも暗く落ち込んでいくような気配。
不意に、カニーバは息苦しさを感じた。
ここは、まるで……そう、まるで、水の中だった。
「馬鹿な?! 何が……!」
ヴァーゴを殺そうともがくが、体はうまく動かない。何かがまとわりついて動けないのだ。目を凝らすとそれは、周囲に満ちる大量の水だと分かる。
突然の事態にカニーバは混乱する。周囲の燃え盛る炎はどこへ消えたのか。ヴァーゴはどこへ消えたのか。
カニーバは全身の炎を噴き出させ、周囲を蹂躙する。だがその試みは失敗に終わり、炎が広がることはなかった。強い圧力に遮られるように、炎がカニーバの体から離れる事はない。
「お前に最後を告げよう」
ヴァーゴの低い声が響く。カニーバはその姿を探そうと周囲を見回すが、ついぞ見つけることはできなかった。
「我が海で死ねることを誉れと思え」
バキンと、何かが折れる音が聞こえた。同時に激痛が腕に走る。骨の折れる音。そして腕がねじ曲がっていく。激痛に叫ぼうとするカニーバの体を、強い圧力が襲っていく。それは全身の骨を砕き、肉を捻じり、カニーバという存在を押し潰していく。
暗く深い水の底で、カニーバは叫んだ。怒りに吠えた。しかしそれはどこにも届くことなく、闇の中に静かに溶けていった。
全てが終わった後、そこには拳大の大きさになったカニーバの姿があった。表面は燃え溶け、奇妙な石くれのような形をしている。
ヴァーゴはそれを踏みつぶし砕き、背後へと振り返った。
そこにはへたり込んだ姿のファティアがいる。何が起きたのか理解できないといった顔で、ヴァーゴを見ていた。
「約定は果たしたぞ、エルド」
そう言い、ヴァーゴはファティアに歩み寄った。
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