第25話 岩の体

 ファティアは燃え盛る炎を進んでいた。王都とは逆の方向だった。宝具の事を考えれば向かうべきは王都だったが、どうしてもエルドを置いて行くことはできなかった。自分を守るために魔人と戦うエルド……今もあのカニーバという魔人と戦っているのだ。命を懸けて。

 橋の反対側までたどり着くと、周囲の惨憺たる状況がよく分かった。物見台も何もかもが燃え、周囲の森にまで延焼が広がろうとしている。だがこれだけ炎が燃え盛っているという事は、エルドたちがまだ戦っているという事だろう。

 破裂するような音が遠くで聞こえた。視線を向けると、燃え盛る炎の向こうに人影が見えた。ファティアは躊躇するが、思い切って炎の中に飛び込んでいく。

「エルドさん……?! エルドさん!」

 辿り着いた先で見つけたのは、地面に倒れ込んだエルドだった。全身を火傷しているのか、焼けただれてひどい状態だった。ファティアは思わず駆け寄る。

 その向こうにはカニーバが立っていて、ファティアの姿を見ると驚いた表情を浮かべた。

「ほう? ティオイラかと思ったらさっきの女か。ファティア、だったな」

 カニーバは橋の向こうに視線を向けながら言った。

「……お前が来たという事は、ひょっとしてティオイラは負けたのか。あれだけ偉そうなことを言っておいて」

「ティオイラは……私が倒しました! お前たちの悪事もここまでよ!」

 その言葉に、カニーバは愉快そうに笑った。

「あの女の計画とやらも大したことがないな。格下の奴にやられるなんて情けのない……まあ、だからこそ人生は面白いんだ。他人の敗北というのは特にな……」

 カニーバはそういい、ゆっくりとファティア達に近づいてくる。ファティアは槍を構え、カニーバと戦う姿勢を取った。

「やめておけ。ただの人間が俺にできる事は何もない。槍も、魔法も、俺には通じない」

「そう……」

 ファティアは槍を握る手に力を込めた。そしてカニーバを睨む。

「槍は駄目でも、こっちはどうかしら! アクアクリスタル!」

「むう?!」

 ファティアが持っていたアクアクリスタルをカニーバに向かってかざす。そしてアクアクリスタルに魔力を注ぎ込み、魔法を発動させる。

「貫け!」

 ファティアの周囲の空間に水が発生し、そこから鋭い水の槍鉾が何本も伸びていく。カニーバは目を見開きながら、水の槍に向かって左手を突き出す。

 カニーバを包む炎が動き、盾のように分厚く渦を巻いて水槍を阻む。水槍は炎の盾に触れて蒸発するが、そのうちの一本が盾を貫いてカニーバに届いた。

「おっと?! やるな!」

 カニーバは嬉しそうに言いさらに炎を生み出していく。

「受けてみろ!」

 暴風と共に炎がファティアへと襲い掛かる。ファティアの何倍もの高さの炎の塊が、獰猛な獣のように口を開いて飛び掛かっていく。

「そんなもので!」

 ファティアはアクアクリスタルに魔力を注ぎ、そして周囲の水を操る。水は薄い膜となりファティアとエルドを包んでいく。だがそれはただの膜ではない。表面が無数に盛り上がり、棘のように膨らみ、襲い掛かる炎に向かって水槍を撃ち出した。

 爆発に水蒸気が起こり、カニーバの炎が吹き飛ばされる。熱で消えていく水蒸気の中から現れたのは無傷のファティア。エルドを守るように、前に出てカニーバを睨みつける。

「こいつは驚いた」

 カニーバは嬉しそうに指を鳴らした。

「そいつがアクアクリスタルか。魔人以外で使える奴は限られていると聞いたが……どうやらお前の先祖は太古の戦士だったようだな。俺の炎を防ぐなんて大したもんだ」

 にやにやと笑いながら、カニーバは言う。心底楽しいという顔だった。

「エルドにも言ってたんだが、どうだ? 俺と友達にならないか? 一緒に人間の世界を征服するんだ。悪い奴らをやっつけて、住みやすい世界にする。きっと楽しいぞ」

「黙りなさい! 無関係の人を傷つけておいて……何が住みやすい世界だ! そんなこと、決して許しはしない!」

 毅然としたファティアの言葉に、カニーバは表情を曇らせる。

「許してはくれないのか? 残念だな。どうもお前たち人間は頑固のような気がする。どう考えても得だろう? 俺についた方が。出なければここで死ぬことになるんだぞ、エルドのように」

 カニーバの言葉に、ファティアは視線を下げる。エルドはうつぶせに倒れたまま起き上がる様子がない。無理もない。全身がひどい火傷なのだ。今すぐ治療しなければ命にかかわる。

「よくもエルドさんをこんな目に……友達だなんてよくも言えたわね!」

「それはしょうがないだろう。エルドは俺と友達になりたくないんだ。殺すしかない」

「そうやって全部の人間を殺していくつもり?! あなたの世界には誰もいなくなる! そんな世界、だれも望んでなんかいない!」

「俺が望んでいるから、それでいいんだよ。ふむ、全員消えてなくなるか……それはそれで面白そうだな」

 カニーバの顔から笑みが消えていき、ファティアをじっと見つめる。何か仕掛けてくる。そう思い、ファティアは身構える。

「お前も友達にならないのなら、それでいいさ。またどこか別の場所で探すとしよう。それに宝具はお前がちゃんと持ってきてくれたしな……あのティオイラから最後に奪うつもりだったが、手間が省けた」

 カニーバが左手をファティアに向ける。その腕から炎が立ち上り、陽炎がカニーバの顔を揺らした。

「死ね。アクアクリスタルだけを残して。エルドと一緒に殺してやろう」

 カニーバの左腕からいくつもの炎が噴出した。それは鎖を形作り、一本一本がファティアに向かって突き進んでいく。

「くっ! アクアクリスタル!」

 ファティアは魔力を注ぎ込み、また自分達を覆う水の膜を展開する。それは何本もの炎の鎖を阻み、押し返そうと激しく波立つ。炎の鎖はその先端で激しく水蒸気を上げていたが、やがて熱を奪われて灰のようになり崩れていく。しかしすぐに別の鎖が放たれ、水の膜は徐々に押されていった。

「我が貫きの炎鎖を阻むことはできない。大人しく逃げていれば助かったものを……人間というのはよく分からないな」

「ぐうっ……そんな、ここまで、なのっ?!」

 ファティアは残った魔力をアクアクリスタルに注ぎ込むが、限界が近づいていた。アクアクリスタルの力で一時的に体力が回復していたが、その効果も限界のようだった。疲労と苦痛が再びファティアの体をさいなみ始める。

「……逃げろ」

 微かな声をファティアは聞いた。今にも消えそうな声。エルドの声だった。

「エルドさん?! しっかりしてください! ここから……あなただけでも逃げて……!」

「う……ぐ……」

 口から煤の混じった血を吐きながらエルドが必死の様子で体を起こす。そして、濁った眼でファティアを見つめた。

「最後の願いだ……」

「何……何ですか、エルドさん?!」

 茫洋とした声に、ファティアは必死で呼びかける。エルドの意識は混濁しているようだった。

「ヴァーゴ……ファティアを、守れ……これが最後の……願い」

 そう言って、エルドは地面に倒れ込む。カニーバの炎の鎖が、水の障壁を破ろうとしている。絶望がファティアの心を塗りつぶそうとしていた。

「あい分かった」

 低い声が言った。重く石ですりつぶすような声。ヴァーゴの声だった。

 炎鎖が水の障壁を突き破る。それとほとんど同時に、エルドの体が緑色の光に包まれた。

 ファティアは緑の閃光の中で思わず目を瞑った。目を開けた時、目の前にあるのは巨大な壁……岩の壁がそこにあった。

「エルド……さん?」

「我は我である」

 重く低い声が言った。ヴァーゴの声だった。足元に倒れていたエルドの体は姿を消し、その代わりにヴァーゴが立っている。ファティアの頭に一つの可能性がよぎる。まさか、ひょっとして……。

「自由になったの、ヴァーゴさん……?」

「左様」

 答えたヴァーゴの様子を見れば。ファティアの前に立ち、まさに壁となっていた。その全身には無数の炎の鎖が打ち込まれているが、平然とした様子で立っている。

「何だ……ヴァーゴ、出てきたのか? 何がどうなってるんだ? 魔人憑きは一生そのままなんじゃないのか?」

 カニーバが怪訝そうに尋ねる。

「我の場合は憑いた人間の願いを叶えることが解放の条件だった。それが満たされたという事だ」

「ほう、願い? それは一体何かね」

 興味深そうに、身を乗り出してカニーバが聞く。

「我の後ろにいるこの女を守る事だ。それを条件に、命を前借りした」

「命の、前借り……それって」

 ファティアが息を呑んで聞く。

「エルドさんは死んだって事……?」

「そうだ。死んだ。残りの寿命すべてと引き換えに、それと見合う時間だけ我を開放した。さて……」

 ヴァーゴが体を震わせ、体に突き刺さっている炎鎖をふるい落とす。落ちた炎鎖はしゅるしゅるとカニーバの腕に吸収されて消えていく。

「時間は限られている。取り急ぎやらねばならぬのは、お前を殺すことだな」

「ふむ、そう来るか? 自由になったんなら、どうだ? もう一度考え直してみてくれ。俺の友達になる気はないか?」

「ないな。それは約定に反することだ」

 ヴァーゴの太く重たい脚が前に進む。カニーバは悠然とそれを迎え撃つ。

「死ね」

「そっちこそな」

 二人の魔人が同時に動いた。カニーバは左腕から炎を噴射し、ヴァーゴの全身を朱に包む。だがヴァーゴはそれを意に介さないように前に進んでいく。そして飛び掛かるように拳をふりかぶり、カニーバに殴りかかった。

「おっと」

 カニーバは後ろに飛び、そして両手で作った炎の弾を連続してヴァーゴに向かって撃ち出す。炎はヴァーゴの体に触れると破裂しすさまじい衝撃を与えた。だがヴァーゴの体は僅かに揺れただけで、後ろに下がることはなかった。

「紫刃砒晶石」

 声と共にヴァーゴの両腕が紫の刃に包まれる。その刃をこすり合わせながら、ヴァーゴがカニーバに向かって突進する。

「力押しか。芸がないな」

「お前も炎だけではないか」

 言葉を応酬し、そして魔力が応酬する。

 ヴァーゴの両腕の紫刃が周囲の炎ごとカニーバを斬り裂いていく。エルドの時とは違い、表面の鱗に亀裂を入れ、浅いながらも切り傷を与えていく。

 だが対するカニーバの炎も勢いを増し、巨大な炎の輪を作り出す。それは高速で回転し、ヴァーゴの体に刃を立てる。ヴァーゴの岩の体は斬撃にも耐えるが、熱と衝撃によりその体表が僅かずつ崩れていく。血こそ出ないが、それは紛れもない傷だった


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