第23話 アクアクリスタル
「何を馬鹿な! そんなことをしても無駄よ!」
ティオイラはファティアの様子を見て言う。しかし距離を詰めようとはせず、魔法陣を展開していつでも魔法を使えるように備える。
「お願い、動いて!」
アクアクリスタルはファティアの魔力を受け青く光り輝く。しかしそれだけで、魔法が発動する様子はなかった。
「ふん……驚かせないで。宝具は選ばれた血統にしか使えない。誰にでも使えないからこそ、誰からも存在を忘れられて、片田舎の倉庫なんかで眠っているのよ」
「くっ……そんな!」
魔力を注ぎ込むファティアの体から力が抜けていく。魔力と共に体力が奪われていく。立っていることさえできず、ファティアは地面に膝をつく。
「馬鹿な娘! そのまま宝具に全て吸いつくされて死ぬがいい!」
ティオイラはファティアの様子に胸を撫でおろす。何が起きるか未知数だったが、この様子であれば脅威にはなりえない。
そう思いティオイラはファティアに近づいていく。しかし、その足元に異変が起きていることに気付いた。
「これは……水?」
足元の橋の板材の隙間から、水が溢れてきている。それだけではない。橋の袂からも水が這い上がるように動いている。それは全て、ファティアの方を目指しているようだった。
「魔法が発動……?! 馬鹿な! 宝具は一部の血統にしか……!」
そう言ってティオイラは気づいた。ファティアは貴族の出。古の戦士の末裔である可能性が、わずかながらある事を。まさか、馬鹿な。しかし、目の前で起きている現象は紛れもなく魔法の発露だった。
「貧乏貴族ふぜいがっ!」
ティオイラは左手を突き出し、自分の魔法陣に魔力を注ぎ込む。そして風の刃を生み出す。先ほど使ったものとは段違いの威力で。
「ウィンドカッター!」
ありったけの魔力を注いだ魔法が発動する。刃の一つずつが人体を容易に切断するほどの威力。それが幾重にも重なりファティアに襲い掛かる。
「宝具よ! アクアクリスタルよ! 力を貸して!」
ファティアが残っている魔力を注ぎ込み、宝具に呼びかける。アクアクリスタルは輝きを増し、そして力が発動した。
「ぐうぅっ!」
爆発する光に、ティオイラは思わず目を瞑る。そして水蒸気が立ち昇り、周囲は霧に包まれたようになる。やがて風が吹き視界は晴れていくが、そこには二人の姿があった。
ファティアはがっくりと膝をつき、アクアクリスタルを持つ手をだらりと垂らしていた。その体からは力が抜け落ち、もはや満身創痍だった。
対するティオイラは左手を前に出したままの姿勢で止まっていた。だが魔法陣は消え、そしてその左手の指が何本か切り落とされたように欠損していた。指からは鮮血が滴り落ちる。ウィンドカッターの力がはじき返され、その力が魔法陣を砕き指を吹き飛ばしたのだ。
「ぐう……ファティア、お前は……?!」
血の止まらない左手を握りしめながら、ティオイラが怨嗟のこもった声で呟く。
「このアクアクリスタルはお飾りなんかじゃない……それが分かった。もう、あなたの好きにはさせない……!」
ファティアの周りには飛び散った水の水たまりがあった。その水が宙に浮き、ファティアの体を包む。そして柔らかい光が生じ、ファティアの体を照らしていく。
光はファティアの体の傷を癒していった。そして失われた体力さえも回復していく。ファティアは立ち上がり、気力に満ちた表情でティオイラを見た。
「一度だけ言います、ティオイラ。このまま大人しく槍を捨てて縛につきなさい」
「何を……小娘が……!」
ティオイラが顔に青筋を浮かべながら言う。怒りに満ちたその表情には鬼気迫るものがあった。
「たとえ宝具を使えても、そう簡単に使いこなせるものか!」
ティオイラは傷ついた左手でもう一度魔法陣を展開する。そして再びウィンドカッターを放つ。先ほどよりも威力は落ちるが、その分速度が増していた。
「アクアクリスタルよ、お願い!」
ファティアはアクアクリスタルを掴む手に力を込める。意志と魔力が注ぎ込まれ、そしてファティアの周囲に浮かぶ水が動く。水は薄く広がり、膜を作り巨大な半球がファティアの体を覆っていく。
ウィンドカッターの刃が水の膜に触れる。膜はたわみ裂かれるが、即座にその隙間を周囲の水が埋める。それが何度も繰り返されウィンドカッターの刃が暴れるが、ただの一つも薄い膜を突破することはできなかった。
「ならば、アクアエッジ!」
鋭利な水塊が高速で射出される。だが、アクアクリスタルの作り出す水の膜はそれを柔らかく受け止め、貫かれることはなかった。それどころか水の膜は震え、受けたアクアエッジをそのまま跳ね返した。
「くああっ!」
襲い掛かる水塊にティオイラの体が切り裂かれる。装束を貫通し、その下の白い肌から血が飛び散る。
「くそ! こんな事認めない! 認めるものですかっ!」
ティオイラが左手を頭上に掲げる。そして魔法陣を展開し、魔力を注ぎ込んでいく。今までとは比べ物にならない力。魔法陣はその大きさを増し、巻き起こる風は勢いを増していく。
「アクアクリスタルよ!」
対するファティアもアクアクリスタルを前方に掲げ、そして周囲の水を操る。水は巨大な水塊へと形を変えていく。
「うああっ! 死になさい、ファティア!」
手から血を迸らせながらティオイラが叫ぶ。限界を超えて込められた魔力がすさまじい風となり、小さな嵐のような塊が生じていた。
「くらえっ! テンペスト!」
ティオイラの手が振り下ろされ、テンペストの暴風がファティアに襲い掛かる。周囲の空間を飲み込みながら、風の暴威が突き進んでいく。
その風の塊と、アクアクリスタルの作り出す水の塊が激突する。衝突。一瞬の間を置いて、風と水が爆発した。
「ぐ……やったか?!」
瀑布のような水しぶきの中、ティオイラが呟く。前方の空間は水にけぶっているが、それがやがて晴れていく。
そこに、ティオイラはファティアの姿を見た。直立したまま、しかしその体はボロボロに斬り裂かれている。その顔にも生気がない。
「はっ……ははははっ! 様を見ろ! いくら宝具を使えても、付け焼刃の魔法で私にかなうものかっ!」
ティオイラは哄笑し、勝利を確信する。だが、おかしなことに気付いた。霧の向こうのファティアは、ボロボロだが一滴の血も流していない。それに立ったままで倒れ込む様子もなかった。
何かがおかしい。ティオイラの胸に嫌な確信が芽生える。あれはファティアではない。では一体何なのか。ファティアは一体どこに行ったのか。
「はあああっ!」
ファティアが気合と共に霧の向こうから現れた。これは間違いなく本物だった。
「なっ……くっ?!」
予期せぬ攻撃に、ティオイラは攻撃を受け損ねる。ファティアの槍の石突がティオイラの頭部を激しく打ち据える。
「ぐあっ?!」
ティオイラは吹き飛ばされ、槍を取り落とし欄干に叩きつけられる。
「はぁはぁ……これまでよ、ティオイラ」
ファティアが倒れ込んだティオイラに槍を突き付けて言う。水蒸気の向こうに立っていたファティアの姿は、役目を終えたようにざばりと崩れていく。水塊が作った人形だった。
ティオイラは気を失っているようだった。ピクリとも動かないが、胸は上下しているので生きてはいる。
「宝具は取り返した。このまま王都に向かって……」
宝具を届け、そしてティオイラたちの罪を暴く。その必要がある。しかし、気がかりなことが一つあった。
「エルドさん……無事かしら……?」
ファティアは橋の向こうへと視線を向ける。そこでは炎が巻き起こり、山火事のようになっていた。あの只中にエルドはいるのだ。それを放って王都に向かっていいものだろうか。ファティアは迷い、橋の上で立ち尽くした。
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