第21話 死線

 一方のファティアは、大事な宝具を抱え橋の上を疾走していた。逃げ惑う観光客の間をすり抜け、少しでも早く王都へと急ぐ。

 それを追うティオイラは焦る様子もなく、悠然と歩を進めていた。まるで追いかける気などないように。

「馬鹿な子。あなたが私から逃げ切れるわけないじゃないの……」

 ティオイラは不敵に呟き、そして空中、胸の高さに魔法陣を展開する。魔法陣に魔力を注ぎ込み、そして魔法が発動される。

「ウィンドカッター!」

 風の刃が巻き起こり、螺旋を描きながら飛翔する。それは観光客さえも巻き込みながらファティアに襲い掛かっていく。

「な……?! こんなところであんな魔法を! くっ、シールド!」

 ファティアは咄嗟に魔法陣を展開し、放たれた風の刃を受け止める。魔法の使えないファティアではあったが、唯一基本の防御魔法だけは槍に刻まれた魔法刻印の力で使う事が出来る。しかし防ぐ力には限りがあり、多用すれば槍そのものが壊れてしまう。

 魔法を受けた負荷で熱くなる槍の柄を握り直しながら、ファティアはティオイラを睨む。ティオイラは魔法陣を展開したまま、ゆったりとした足取りでファティアに近づいてくる。

 ファティアはちょうど橋を渡り切ったところで足を止め、そこから一〇ターフ一八メートル程の距離でティオイラは止まった。

「何を考えているんですか! こんな所であんな危険な魔法を使うなんて……!」

 ティオイラの使ったウィンドカッターは初歩的な魔法ではあるが、広い範囲に効果を持つ。基本の魔法としてワルキューレなら最初にならうものの一つだ。

「あなたが逃げるからよ。あなたは逃げながら観光客たちを襲い、傷をつけた。そういうことになる」

「それが……あなたの狂言の筋書ですか……!」

 ファティアは怒りに肩を震わせながら言った。目に映るのは巻き添えで傷ついた人たちだ。ウィンドカッターには致命傷を与えるほどの殺傷力はないが、しかし深い切り傷をつける。何人かの観光客は倒れ、血を流しながら呻いているようだった。手当をしている人もいる。

 ファティアは裏切られたことよりも、騙されたことよりも、ティオイラが無関係の人を傷つけたことに怒っていた。それは、民を守るワルキューレの本分から最も遠いものであるからだ。

「もうあなたのことは……いえ、お前のことは教官とは思わない! ティオイラ!」

 激昂したファティアが怒りを隠さずに言う。だがティオイラは、そんなファティアの様子をどこかおかしそうに見ていた。

「あらそう? 私はあなたのことを最初からと邪魔なお荷物さんと思っていたわよ」

「黙れっ!」

 ファティアは槍を中段に構え、ティオイラに向かって駆け出す。

「やる気? ははっ、勝負になるかしら?」

 言いながらティオイラは魔法陣に魔力を注ぎ込む。水塊が魔法陣の前に生み出され、そしてその表面が棘のように鋭利になっていく。

「アクアエッジ」

 水塊の表面が波打ち、その表面から小さな塊が勢いよく射出される。それは高い圧力と速度を持ち、時に鎧さえも貫く魔法だ。生身で受ければただでは済まない。ワルキューレの装束には高い耐久力があるが、それでも深手は免れない。

「くっ! こんなもので!」

 ファティアはアクアエッジの軌道を読み、槍を叩きつけ打ち消す。だが放たれたアクアエッジは一つではない。短い間隔をあけいくつもの刃がファティアを襲う。

 ファティアはその一つをまた槍で叩き伏せる。一つを横に飛んで躱す。姿勢を崩すが、そのまま前傾になり一つをくぐりぬける。アクアエッジの弾幕をなんとかやりすごすが、しかしティオイラに接近することが出来ない。

「正々堂々戦え、卑怯者!」

「魔法を使えないのはあなたの修練不足でしょ? まあ、三年生じゃしょうがないけど。あと二年早く生まれてくるんだったわね」

 嘲笑するような笑みを浮かべ、ティオイラはさらに魔法を放つ。魔法陣からは火炎が生み出され、それは火球に姿を変えてファティアに襲い掛かる。

 ファティアの上半身ほどもある巨大な火炎の弾。大きく横に飛んでよけるが、その火炎弾も一つではない。続けざまに襲い掛かる巨大な火の玉に、ファティアは翻弄されていく。

「はははは! どうしたの、もっと上手にお逃げなさいな!」

 ティオイラの声に、ファティアは強く睨みつける。そして特大の、ファティアよりも大きな火炎弾が撃ち出される。回避さえも間に合わないほどの大きさだった。

「だったら……!」

 ファティアは逃げるのではなく、前に出た。槍を構え、炎に向かって突き出す。そして穂先が炎に沈み込む。

「シールド!」

 槍の穂先を起点にシールドが発動し、巨大な火炎弾を内側から吹き飛ばした。炎を突き破るようにして、そのままファティアは前に駆け出しティオイラに接近する。

「あら、思い切りがいいわね」

「はあぁぁっ!」

 一気に間合いを詰め、気合と共にファティアは槍でティオイラを突く。だがティオイラも槍術の心得は当然ある。それも、教官としての名に恥じぬ技量が。

 ティオイラは槍の柄で突きを払い攻撃をかわす。ファティアはすぐに槍を引き素早くもう一度突きかかるが、それよりもティオイラの方が早い。返された突きを今度はファティアが受ける。

 そのまま二人はもつれあうように槍の攻撃の応酬を繰り返す。突き、石突で払い、下から首に向かって薙ぎを打つ。足を狙い、胴に打ち込み、殺意を持って心臓を狙う。これまでの修練で何度も何度も繰り返した動きだった。ファティアの攻撃をティオイラは受けるが、しかし逆も同様。どちらも互角のような戦いが続く。

 勝てる、かも知れない。

 ファティアが淡い期待を抱く。仮にも相手は教官。啖呵を切っては見たが、修練の中で勝てたことなど一度もなかった。しかし、今起きている実践の中ではほぼ互角のようだった。実戦と練習では勝手が違うのか。これが実戦の妙というものだろうか。

 ファティアが気合を込めて槍を振り下ろす。渾身の一撃に、ティオイラの姿勢が僅かにぶれる。勝機。ファティアは一気に畳みかけようと次の攻撃に移る。

 その瞬間、何かがファティアの右目を打った。視界を一瞬奪われる。

 直前に見たのは不自然に尖ったティオイラの唇だった。まさか、と思う。だがやりかねないとも思った。唾を噴いて、それを目つぶしにしたのだ。

 ファティアが目を瞑ったのは一瞬だった。しかしその一瞬の間にティオイラは動いた。空いた右の拳で、思い切りファティアの鼻を打つ。

「ぐうっ?!」

 ファティアは思わず姿勢を崩し、そして後ろに下がる。左目だけをあけて槍を構え攻撃に備えるが、ティオイラは追撃してこない。

「くっ……卑劣な……!」

 ファティアは思わず鼻を押さえる。鼻の奥が痺れ、じわりと血が滲んでくるのを感じた。流れる鼻血を拭うと、ファティアはティオイラにどこか悲し気な視線を向けた。

「……こんな戦い方をして恥ずかしくないんですか? あなたにもワルキューレとしての誇りが……」

「誇り? 生き残ることが誇りよ。本当の戦場でのルールは、ルールを捨てろよ。きれいも汚いもない。あなたには分らない。戦場で私たちが何を見てきたのか……没落貴族のお遊びでやっているようなあなたには一生分からないわ」

「私は遊びでなんかやっていない!」

 そのファティアの言葉に、かぶりを振りながらティオイラは憎々し気に言う。

「あなたがワルキューレになったところで、回されるのは結局内地の勤務だけよ。所詮は貴族様なんだから。戦場に回されるのは私のような平民出のワルキューレだけ。辛酸をなめるのも私達だけ。死ぬのも、犯されるのも私達だけよ!」

 激した様子でティオイラがファティアに打ちかかる。先ほどまでの動きが嘘のように、激しい打ち込み。ファティアは受けるのが精いっぱいで反撃の糸口さえつかめない。速く、重い。そして容赦がない。一手間違えればすぐに命を奪われるような攻撃の連続。ファティアは、先ほどまでの攻撃がお遊びだという言葉の意味を理解した気がした。

 だが、負けるわけにはいかない。ワルキューレはこの国の平安を守るためにいるのだ。狂言で宝具を奪い、そして無関係の人たちを傷つけるような者に、断じて負けるわけにはいかない。

 ファティアは槍をかいくぐりながら、ティオイラへの反撃の機会を窺った。命をすり減らすような死線の中で。

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