第18話 真実

 メフィル山脈の麓に広がるライナ森林を抜けて、二人は王都を目指して進んでいく。

 途中で人とすれ違うたびに追手かと疑心暗鬼になるが、誰も彼も二人を見るとぎょっとしてそそくさと歩き去っていく。

 一人はボロボロの煤けた装束のワルキューレ。もう一人もボロボロの服で、そのうえ血だらけの男。どう考えてもまともな組み合わせではない。どこかの刑場から逃げ出してきたと言っても通じそうなほどだった。

 だがそのおかげか誰からも誰何すいかされるようなことはなく、二人の道行きは順調だった。

 平原を抜けてまもなく大河川、ウォーロン川を越えていく。王都へはあと一日半といったところだった。

 幅十五ターフ二七メートルのウォーロン大橋のたもとには行商人や観光客がまばらにいて、のどかな様子が広がっている。見れば屋台も出ていて、軽食や土産を売っているようだった。

「くそ……むかつくぜ……」

 その様子を遠くから眺めながら、エルドはぼそりと呟いた。ファティアはその様子を不審に思い聞き返す。

「一体何にむかついているんですか? 誰か怪しい人でもいましたか?」

「いや、違う。屋台だ……」

「屋台? 普通の屋台に見えますが」

「そうだ、普通の屋台だ。食い物を売っている……しかし俺達には金がない……何でてめえは金持ってねえんだよ! ガキでも小遣い銭くらい持ち歩いとけ!」

「何を言うかと思えば……! そんなこと言われても、急いでいたからしょうがないって何度も言ってるじゃないですか! そんなにお腹が空いたんですか? ごはん、ちゃんと分けてあげたじゃないですか」

「ああもらったよ! 一食分を六等分にしたちっこいクッキーのカスみたいな塊をな! あんなもんが腹の足しになるか!」

「な……もらっておいて何て言い草! いいです! もうあげませんから!」

「けっ! あげるもくそももう全部食っちまったじゃねえか! それともまだどっかに隠し持ってるのか?」

「ありません! あなたに食べさせたおかげで全部なくなりました! まったく……いやしいんだから」

「いやしいのは生まれも育ちもだよ! あーくそ。馬鹿な事言ってたら余計に腹が減ってきた……」

「エルドさんのせいですよ。空腹の事を折角忘れていたのに……あれ?」

「なんだ? 無料の屋台でも見つけたか」

「違います。あれは……ワルキューレ……まさか?!」

 言うや否や、ファティアは橋に向かって走り出す。エルドは疲れ切った顔でその様子を眺めながら、大きな溜息をついて後を付いていく。

「なんだよまた走るのかよ! おい、何だってんだよ!」

 エルドの声も聞こえないのか、ファティアは疲れ切った体に鞭を打ち走る。その前方には同じワルキューレの装束を着た女が立っていた。襟元に記章があり、それは教官を意味するものだった。

「ティオイラ教官! 無事だったんですね!」

 ファティアは駆け寄り、そしてティオイラの手を取る。ティオイラはファティアに笑顔を向け、そしてその手をそっと握り返す。

「ええ、あなたも、ファティア」

「私……私……!」

 感極まったように、ファティアは眦に涙を浮かべる。それを手で拭い、気を取り直してファティアはティオイラに向き直る。周囲の人影を確認し、少し声を落として喋る。

「預かったものは無事です。追手にも襲われましたが、なんとか切り抜けました」

「追手? そう、危険な目に合わせてしまったわね……魔人が相手だったのに、良く生きてここまでたどり着いたわ。さすがね!」

 ティオイラの微笑みに、ファティアも笑みを返す。

「ところで、そちらの人は……?」

「え?」

 ティオイラの問いにファティアが振り返ると、そこにはエルドが立っていた。走って疲れた様子で、不機嫌そうな表情を見せていた。

「この人は……なんというか……」

「案内人だよ。なりゆきでな……」

「案内人? 失礼ですが、冒険者の方……? それにひどい怪我を?!」

「冒険者じゃねえ。ただの百姓だ。怪我は今は何ともない、血まみれに見えるけどな」

「そう、ですか? あなたがひょっとしてファティアを助けてくださったのですか?」

 ティオイラの問いに、エルドはファティアを見る。

「……ええと、そうです。エルドさんには不思議な力があって……それで助けてもらいました」

「そうでしたか。私からもお礼を言わせていただきます。ありがとうございました」

 頭を下げるティオイラに、エルドは怪訝そうな目を向ける。エルドは人に礼を言われることにあまり慣れていなかった。

「……別に金の為さ。一銀セドニ二〇万円もらえるって言うからついてきたのに、ひでえ目に合ったぜ。あんた、金持ってるのか?」

「ちょっと、エルドさん!」

 たしなめるファティアに向かい、エルドは鼻を鳴らす。

「ふん……よく分からんがあんたのお仲間なんだろう? 見た所上役っぽいが?」

「はい、ご紹介が遅れました。私は第七師団所属のエルドア神殿守護隊隊長、ティオイラです。普段は教官としてファティア達の指導を行っています。今回は……」

 ティオイラも声を潜め言葉を続ける。

「襲撃には備えていますが、今回のように苛烈な手段で襲ってくるとは想定外でした。ファティアがいなければ奪われてしまっていたかもしれません。本当に良かった……」

「教官……」

 喜びを隠そうともせず、ファティアは熱いまなざしをティオイラに向ける。ティオイラは頷き、そして手をファティアに向かって差し出す。

「よく頑張ったわね。でもここからは私が持っていくわ。あなたは少し休んでから王都に来なさい。その体……相当無理してきたんでしょう」

「いえ、でも……」

 王都まで宝具を持っていく。それが命令だった。それを覆すことになり一瞬ファティアは迷ったが、その命令を下したティオイラ自身が言っているのだ。断る理由はなかった。

「はい、分かりました……」

 ファティアはティオイラに向かって宝具の入った袋を手渡そうとする。だがその手を、エルドの手が遮った。

「エルドさん? 何ですか、一体?!」

 困惑するファティアを無視して、エルドは言う。

「俺達は追手にまで襲われてここまできたんだ。お役御免、はいそうですかと簡単に行くかよ」

「お金なら王都についてから払いますよ、ちゃんと!」

「お前はちょっと黙ってろ。ティオイラと言ったな。一つ聞かせてくれ。俺達がなぜ追手を撃退できたか分かるか?」

「何故……それは……」

 ティオイラは戸惑いながらも答える。

「エルドさん、あなたが……ファティアを助けてくれたからでは? 具体的には分かりませんが、そのおかげで魔人の追手からも……」

「まあそうだ。しかし一つ解せない……なぜ追手のことを知っている? ファティアは、魔人の追手とは言っていない。なのに何故、あんたは追手が魔人だったと知っているんだ」

 エルドの問いに、ティオイラは眉根をしかめた。ファティアはよく分からないといった表情で、エルドとティオイラの顔を交互に見つめる。二人の間に何かただならぬ緊張が生じている……ファティアにもそれは分かった。

「……何故、でしょうね」

「それを聞いているのは俺だ。それとも答えたくないのか。大体わかったぜ、あんたのことが……」

「え、エルドさん……一体何を? 教官も、一体何の話をしているんですか……?」

「まだ分からないのか、ファティア。この女は狸だぜ。危うく騙されるところだった」

 エルドの手がファティアの方を押し、ティオイラから遠ざける。ティオイラは宝具の入った袋に向かって手を伸ばしていたが、その姿勢のまま動きを止める。

「まったく、とんだ案内人さんね」

 ティオイラが小首をかしげながらエルドに笑いかける。間髪入れずその手が動いた。ほとんど予備動作無しで、槍で突きかかる。ファティアに向かって。

「な――」

 ファティアが声を上げる間もなく、槍はエルドの手によって上に跳ね上げられた。切っ先に腕を斬り裂かれながら、エルドはティオイラに蹴りを放つ。

 その蹴りを槍で受け流し、ティオイラも距離を取る。ティオイラの顔にはまだ微笑みが張り付いたままだった。

「教官……どういうこと、ですか?」

 ファティアの動悸が激しくなる。分かっている。分かってしまっている。それでも、その事実を否定するために問いかける。だが、返ってきたのは望んでいた答えではなかった。

「殺されていればもっと楽に事が運んだのに……まったく、やっぱりあなたは最後までお荷物ね、ファティア」

「きょう、かん……そんな……?!」

 ファティアの心の中で何かが壊れていった。大切な何か。宝物のような何かが……。

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