第17話 裂帛の突き

「はぁはぁ……ざまあみろ!」

 赤い果汁に濡れた拳を拭いながら、エルドは肩で息をつく。ヴァーゴの力の使い過ぎで体力はもう限界に近かったが、完全に空になる前になんとか片をつける事が出来た。

 エルドは足で倒れた老人の体を軽く蹴る。開いた口から覗く白い怪物の部分は割れて死んでいるようだった。老人の体も動き出す様子はなく、今の攻撃で死んだようだった。

「本体はあんまり強くなかったのか……助かったぜ。この爺さんには悪いが……」

 怪物と一緒に死んでいるのは名も知らぬ老人。何の関係もないのに、宝具を巡る諍いに巻き込まれたせいで死んでしまったのだ。運が悪かったと言えばそれまでだが、あまりにも後味の悪い結末だった。

「……ちっ。後で墓でも作ってやるか……」

「その必要はありませんよ」

 エルドの頭上から声が響いた。あの白い怪物の声だった。

「まだ生きてやがったか!」

 エルドは怪物の死体の方へ視線を向けるが、しかしそこには間違いなく割れて死んだ怪物の亡骸がある。では、喋っているのは一体何なのか。

「言ったでしょう、種子だと」

 エルドの足元で蔓が蠢き、勢いよく生長して絡みついてくる。脚から腰までに何重にも巻きつかれ、エルドは身動きが取れない。右手を刃に変えて斬り裂こうとするが、もうそれをするだけの体力は残っていなかった。

「くっ、くそっ! どうなってやがる! 別の奴がいたのか!」

「私は最初から一人ですよ。しかし、種子に力を分けて動かすことが出来るのです。こんな風にね……」

 ぼとぼとと天井から何かが落ちてきた。うっすらと白く丸い塊。あの怪物と同じ色だった。いくつものそれは床の上でモゾモゾと動き出し、目と口が開き、そして蔓を生やして触手のように使い歩き始めた。いくつもの白い怪物がエルドに近寄ってくる。まるで悪夢のような光景だった。

「何の真似だ、てめえ!」

「種子は苗床で芽吹く。用心のために用意した種子ですが、どうやら過ぎた心配だったようです。しかしせっかくですから、お前にはその苗床になってもらいましょう」

「何だと?!」

 エルドは嫌な予感に襲われるが、逃げようにも抵抗しようにも下半身を完全に抑えられていて動くことが出来なかった。近寄ってくる種子たちに向かって両手を振り回すが、種子たちはエルドを弄ぶように触手でちくちくとつつき回す。

 そのうちの一つが後ろに回り込み、そして鋭く伸ばした触手の先端をエルドの太ももに突き刺した。

「痛えっ! くそ、こいつ!」

 突き刺さった触手を抜こうとするが、肉の中で引っかかっているのか痛みが増すだけで抜ける様子がなかった。

 それを嚆矢とばかりに、他の種子たちも次々とエルドに殺到し触手を突き刺していく。

「ぐああぁぁっ!」

 動けないままのエルドは一方的に脚や胴を刺し貫かれていく。一本一本の殺傷力はそれほど高くはないが、十本以上の細い槍は充分に致命的だった。そして種子たちは、突き刺した触手からエルドの血を吸い始めた。

「うぐ……おぉ……」

 エルドの体から一気に体力が奪われていく。それは内側のヴァーゴも感じていたが、どうすることも出来なかった。成す術もなく、苗床として種子たちを潤していく。

「はははは。勝負ありましたかね。それともまだ何か隠していますか?」

 天井から声が響く。エルドが何とか天井を見上げると、そこにはびっしりと蔦が茂っていた。そしてその中心に、白い丸が草に覆われて埋もれている。その白い玉は周囲の葉をどかし、そして蔓を押し下げて徐々に下がっていく。そして天井からぶら下がるようにして、エルドの顔の高さにまで下がっていく。エルドはそれと目が合った。白い果皮が裂けて血走った目がのぞく。他の種子よりも二回りは大きい。どうやらこれが本体のようだった。

「気色悪い……玉野郎め……」

「我が名は白芽のリューゲン。お前の命と宝具を貰い受ける。そのまま大人しく死ぬがいい」

「誰が……死ぬかよっ……!」

 エルドが唸るように言葉を吐き出すが、しかし体を動かすことはできない。それどころか刻一刻と体力を奪われ、もはやその命は風前の灯火だった。

 エルドの視界の端で何かが動く。もはや目もぼやけてはっきりとは分からなかったが、それは人影のように見えた。槍を持つ、白い装束の姿。ファティアだった。

「ファ……ティア……何を?!」

 エルドの呼びかけにも答えず、ファティアはゆっくりと前に進んでいく。その体には蔦が絡みついていて、それに操られているようだった。

「種子がまだ生きていたか。ちょうどいい。とどめを刺してもらうとしよう」

 リューゲンは赤い唇を歪めて高い声で笑った。ファティアはその後ろからエルドに向かってゆっくりと歩を進めていく。そして槍を上段に構え腰を落とす。

「やめ、ろ……! ファティア、聞こえないのか!」

 操られたファティアに、このままでは刺し殺されてしまう。しかし、逃げることも出来ずにただ叫ぶことしかできなかった。

「さあ、やれ!」

 指で差すように、リューゲンの蔦の一本がエルドに向かって振られる。それを合図に、ファティアの槍が動いた。

 鋭い突きが繰り出された。その切っ先は確実に貫いた。リューゲンの、白い体を。

「がああぁぁっ! な、何を……!」

 リューゲンの蔦が一斉にわななき天井から落ちていく。そしてぶら下がる力が抜けたかのように、だらりと垂れ下がっていく。

「死ね、化け物! はあっ!」

 ファティアは気合と共に槍をこじり、リューゲンの体を二つに割った。割れた体からは赤い果汁が飛び散り、そして床に落ちていく。

「なぁぜ……あやつら、れてい、たはず……!」

「さっきの爆発で目が覚めたわよ! 何だか知らないけど、よくもやってくれたわね! エルドさん、無事?!」

「あぁ……俺は、なんとか……」

 答えたエルドの体がぐらりと後方にかしぐ。下半身を覆っていた種子たちの蔓も緩み拘束が解けていく。リューゲンがやられたせいで力を失ってきているらしい。

「ぎぃぃ……ちぃくしょぉぉおお!」

 割れたリューゲンの片割れが悲鳴のような叫びをあげた。そして触手が一斉に動き、周囲を滅茶苦茶に叩きまわる。エルドもファティアも身を屈めて身を守るが、その攻撃もじきに止んだ。リューゲンは死に、周囲にはびこっていた蔓も一気にしおれていく。

 部屋の隅で炎が上がった。リューゲンの蔓の攻撃がランプを破壊し、その油と火が小屋に移っている。火はしおれたリューゲンの蔓に触れると、一気に火勢を増して燃え始めた。

「今度は火攻めかよ! くそ、消してる余裕はないな……ファティア! 外に逃げろ!」

「は、はい! エルドさんも!」

 破れた小屋の壁から這いずるようにして出ると、ファティアとエルドは廊下を抜けて一目散にドアを目指す。すぐ背後では炎が広がり煙も充満し始めていた。振り返る余裕もなく、二人はドアから転がるように外に出た。

「はぁはぁ……助かったか……」

 そうつぶやき、エルドは草の上に大の字で転がった。その隣でファティアは槍を杖代わりにしてしゃがみ込んでいた。どちらも満身創痍の状態だった。

 小屋からは勢いよく炎が上がり、もう全体に火が回っていた。今から消火するのはどう考えても無理だった。

「……一体何が? ここはどこなんですか、エルドさん」

 炎を見上げながらファティアが聞く。エルドは荒く息をつき、何度か深呼吸して答えた。

「……ぼろ小屋に避難したことは覚えてるか?」

「ぼろ小屋……ああ、はい。ブッコーラをやっつけた後雨宿りして……あれ、それでどうしたんでしたっけ」

「どうしたもこうしたも、お前が熱出して倒れたから助けを探しに来たんだよ。お前を背負ってここまで連れてきて……だがここにいたのは魔人だった」

「追手に先回りされていた……そんな……!」

「ま、お前のおかげでなんとかなったがな」

 エルドがそう言うと、ファティアは困ったように笑い答えた。

「はい……状況がよく分かりませんでしたけど……とにかくあの白いカブラからは邪悪な気配を感じました。無我夢中で槍で突いたんですけど……役に立ってよかった」

「カブラ……カブラなのか? 卵……じゃあないか。植物だもんな。まあなんでもいいや。カブの魔人は燃えておしまい。これで三人目だ……」

「ここは山の麓? ちょっとは前に進んだんですね。これなら三日もあれば王都には辿り着けそうです」

「その前に俺が死にそうだ……」

「エルドさん……? きゃあっ! よく見たら血まみれじゃないですか! 大丈夫ですか!」

 エルドは視線だけファティアの方に向け答えた。

「御覧の通り死にかかってるよ……ヴァーゴ、なんとかしろ……」

「なんとかなるんですか?」

「我に丸投げするのはやめろ。便利屋ではないぞ、まったく……」

 ヴァーゴがファティアにも聞こえるように声を発する。不満そうな声だったが、数秒してエルドの左腕から緑色の光が全身に広がっていく。

「ぐぅ、ああぁぁっ! ぐっ、いってえ! なにしやがるヴァーゴ!」

 身を捩じらせながらエルドは叫ぶ。しかし、光は遠慮なしにエルドの体を包み、そして傷をいやしていく。

「体力の前借りだ。これも寿命を消費する行為だが、ほかに手段はない。全く、よほど早く死にたいと見える」

「だったらてめえが出てきてあの魔人をなんとかしろ! あのカブラをピクルスにでもなんでもよ! くそ、いてえ!」

 しばらくエルドは喚いていたが、数分してそれも終わった。服は血まみれのままだったが血も止まり、傷も一応は塞がっていた。

「うう、くそ……これも一銀セドニ二〇万円のためか……割に合わねえぜ……」

「エルドさん、本当にお金が好きなんですね……」

 ファティアは心配そうにつぶやく。エルドは反論する元気もなくしばらく横たわっていた。

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