第15話 傀儡

「そろそろ夜明けか……窓がないから外の様子が分からねえが」

 味の薄いスープで多少膨れた腹をさすりながら、エルドは部屋を見回す。内部屋のせいか窓もなく、外の様子を窺うことはできない。

 そういえばと思いだしファティアの様子を見ると、寝息を立ててすやすやと眠っているようだった。

「宝具がどうのこうの言ってた割に呑気なもんだぜ。ま、しょうがねえか。ただのガキだもんな」

 エルドは口を押えて欠伸をする。目をこすりながら大きく伸びをし、そのままころんと後ろに倒れ込んだ。部屋は暖かい。一応は腹も膨れ悪くない気分だった。

「俺も休んでおくか。また変なのが来たら相手しないといけないからな……」

 そう言うと、エルドは腕を枕に眠り始めた。数秒でいびきが始まり、部屋にはいびきと寝息だけが静かに響きはじめた。


少し時間がたったころ、足音をひそめてエルドたちの部屋に近づくものがあった。その手には逆手にナイフを持ち、柄を強く握りしめてドアの前に立つ。

 そっと力を込めると、僅かに軋む音を立てながらドアが開く。中の暖かい空気が膜のように部屋の外に流れていく。それを破るように、人影は部屋の中に進んでいく。

 暖炉の前には毛布が敷いてあり、人の形に膨らんでいる。そこから少し離れた場所にはエルドが大の字になって寝ていた。人影がふと振り向くと、ファティアの槍は離れた壁に立てかけてあった。それに安心したのか、人影は静かに、しかし大胆な足取りで毛布に近づいていく。

 毛布のすぐ近くにまで来ると、人影は動きを止めた。そしてナイフを頭上に掲げ、一気に振り下ろす。

 硬いものにぶつかる音が部屋に響く。それは人の体を刺した音ではなかった。

 人影はナイフを引き抜き、毛布をめくりあげる。すると、そこには薪が並んで置かれていた。

「やっぱりか。何か妙だとは思ったんだよな」

 エルドが呟き、はっとして人影はナイフを構える。エルドは寝たままの姿勢から脚を跳ね上げ、後転しながら起き上がった。

「お前も追手の一人なのか、じいさん。それとも雇われたのか」

 人影の顔がぼんやりトランプに照らされる。それはこの小屋の老人の姿だった。どこか虚ろな瞳でエルドを見つめ、返事をする様子はなかった。

「喋る気はねえってか。上等だ!」

 エルドは前傾姿勢になり、顔の前で両腕を構えて老人に接近する。老人の右腕が緩やかに動き、エルドに向かって振り下ろされる。

「なろっ」

 ナイフを持つ老人の手を右手で捌きながら踏み込み、体を思い切りぶつける。だが、老人の体は足に根が生えたかのように重く動かない。

「何っ?!」

 転がしてナイフを奪おうと考えていたエルドは、予想外の事態に泡を食う。だがすぐに動きを切り替え、足をかけて老人の体に力を込める。だがそれでも、老人の体はびくともしなかった。

 老人の腕が跳ね上がる。動きは早くはないが、エルドにそれを止めることはできなかった。尋常ではない力が込められている。まるで自分よりも倍は大きな男を相手しているかのようだった。ナイフはエルドの頬を掠め、朱の線を刻む。

「くそ、何だってんだ!」

 エルドは後ろに飛んで距離を取る。老人はゆっくりと逆手でナイフを構え直し、エルドを見つめてゆっくりと前に出る。

 魔人なのか? エルドの頭にあるのはその疑問だった。ただの人間にしては力が強すぎる。見た目が老人なだけで凄腕の戦士なのかも知れなかったが、それともどうやら違う。老人から漂う気配はもっと得体が知れないものだ。

 だが魔人かと言えばそうではないようだ。もしそうならばヴァーゴがしゃしゃり出てくる。エルドが死ねば、それはヴァーゴにとっても好ましい事ではない。また宿主を探さねばならなくなるからだ。だから、魔人を相手にしているというわけでもない。

 ならば何なのか。

 老人との距離は数歩。呼吸一つの間だ。考えている時間はない。

「おらぁっ!」

 エルドは思い切り踏み込み右の脚を跳ね上げた。老人の金的への蹴りが炸裂する。老人は避けることも受けることも出来ず、いや、何も反応せず、その蹴りを受けた。

 エルドの足の甲には確かに打った感覚があった。柔らかいものをつぶす感触。だが老人は顔色一つ変えず、前に出てエルドにナイフを振り下ろす。

「ぐおっ!」

 避けるのが遅れたエルドは両手で老人の手を受け止める。そしてこらえるが、老人の手はじりじりと力を込めてきて、エルドは押されていく。ナイフの刃が首筋に近づいていく。

「なんてぇ力だ……! くそ、ヴァーゴ!」

 寿命の前払い。エルドの体の奥から何かが引き抜かれ、代わりに左腕に力が漲る。エルドは間髪入れず老人の腕を押し戻し、振りかぶった右の拳で老人の顔を打った。老人は体勢を崩し後方に下がる。

「最初からこうしておれば良いのだ」

 エルドの内側でヴァーゴが呟く。それにうるせえと頭の中で答えながら、エルドは一気呵成に老人に殴りかかる。

「おおぉぉっ!」

 左の拳が老人の右腕を打つ。しかし老人はナイフを離さず、ゆっくりと腕を左右に振って切りかかってくる。

「そんなもん!」

 エルドが右手で思い切りナイフの刃を掴む。同時に、その右腕は硬質化し岩に変わっていく。黒い岩に変わった手でナイフの動きを止めると、エルドはそのまま握る手に力を込めていく。手の中で、ぎりぎりと刃の欠けていく音が響く。

 老人の腕がナイフを引く。しかし、エルドも負けてはいない。力はほぼ互角のようで、二人はそのまま動かずに引き合いを続ける。

 それでエルドは確信した。この老人は人間ではない。少なくとも普通の人間ではない。普通の人間がどれだけ鍛えようと、ヴァーゴの力を借りたエルドに対抗できるわけがないのだ。

 老人は相変わらず無表情だった。呼吸さえ乱れてはいない。そして……エルドは気づいた。老人は瞬きをしていない。まるで、死人のように。

 エルドは引く手を離す。老人はその反動で後ろに姿勢を崩し、その隙にエルドは踏み込んで岩の拳を老人の胸に叩きこんだ。めりめりと嫌な音が響き、老人の体はドアを突き破って部屋の外にまで飛んでいく。

「こいつぁ……」

 エルドが呟くと、倒れていた老人はゆっくりと起き上がる。だがそれは明らかに異常なことだった。

 右の手に握ったものを、エルドは握りつぶす。それは老人の心臓だった。殴る瞬間に指を無理矢理肉に差し込み、骨ごとつかんで千切り取ったのだ。

 老人の胸には穴が開き、血が滴っていた。動けるはずがない。しかし、老人は無表情で立ち、そしてまたナイフを逆手に構えた。

「どうなってやがるんだ、ヴァーゴ」

 エルドが聞くと、エルドの内側でヴァーゴが答える。

「人間を操っているのかと思ったが、少し違うようだ。これは死人を操っているようだな」

「死人? 死んでたってのか? いつからだよ?!」

「恐らく最初からだろう。人のようにふるまっていたのはこの老人の記憶の再現なのだろうな。生者を操るよりもぎこちなくはなるが、無理が出来るようになる。今目の前で起きているのがそれだ」

「心臓抜かれても動くだと? どうすりゃいいんだ?! この調子だと首を取っても噛みついてきそうだぜ」

「ふむ。かつて似たような相手と戦った時は全て押し潰して退けたが……今のお前には無理だな。手足を折って穴にでも埋めろ」

「穴なんか掘ってる暇があるかよ!」

 老人はゆっくりと近づいてくる。しかし、既に死んでいるから殺すことが出来ない。エルドはやけになったように殴りかかる。

「ぅおらぁっ!」

 岩の拳が老人の顔を打ち、その肉を抉る。皮が垂れ下がり歯茎がむき出しになるが、老人には何の痛痒もないようだった。当然だ。死人なのだから。

「その死体を相手するのは無駄だ。元を断たねば」

「元?!」

「操っている源だ。少し待て、調べてみる」

「さっさとしてくれ!」

 襲い掛かってくる老人の攻撃を躱しながら、エルドは叫ぶように言った。

 老人の死体との不毛な戦いが続く。しかし、不利なのはエルドだった。エルドの力は所詮借り物であり、それほど長時間続けることはできない。寿命を消費することもそうだが、強い力を発揮するとその分体力を消耗するのだ。ブッコーラとの戦いの後に少し休んだとはいえ、まだ疲労は抜けきっていない。ヴァーゴの力を使える時間はもうそれほど長くはない。

「む、これは……」

 エルドの内側でヴァーゴが意味深に呟く。

「ぬかった。もうすでに、我らは敵の術中だ」

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