第14話 老人とスープ
「おい、お前! 大丈夫か!」
エルドが駆け寄っても、ファティアは反応を示さなかった。恐る恐るファティアの肩に触れてみるが、それでも反応はなかった。
「何だ、寝たのか」
エルドの内側でヴァーゴが言う。
「寝てるったって普通じゃねえだろ! 倒れたって言うんだよ、こういうのは。ああ、くそ。参ったな……」
エルドは小屋の中を見回すが、布団も何もない。辛うじて竈の火でいくらかは暖かいが、病人を寝かせておくには不適切のようだった。
「ちょうどいいではないか」
どうしようかとあたふたするエルドに、ヴァーゴが静かに語りかける。
「宝具を頂いてずらかるとしよう。この女は放っておけ」
「あ? そんな盗賊みたいな真似が出来るか!」
「盗賊みたいな風体なのだ。気にすることはあるまい」
「うるせえ! 大きなお世話だ! くそ……このままここで寝かせておくか? しかしまた変なのが来るとまずいしな。どこか近くに人が住んでいればいいんだが」
そう言い、エルドは小屋の外に出る。雨は止んでいて、雨雲の隙間から夜空がのぞいていた。風はまだ冷たい。
「ヴァーゴ、目を貸せ」
「目か。さてさて、何が見えるかな」
エルドの目が闇の中で一瞬緑色に光る。虹彩が緑色に変化し、人から魔人のものへと変わる。
「村なんかないよな。もっとましな小屋でもあればいいんだが……ん?」
南西の方角にエルドはほのかな光を見つけた。人の目では到底見えないか細い光だったが今のエルドの魔人の目には小さな光点として見えていた。木々の枝葉の向こうに、確かに光がある。
「光? 山小屋か何かか? 猟師か誰かか」
「山賊かも知れん」
「うるせえ、黙ってろ。距離は……ざっと
エルドは小屋の方を振り返り思案する。
「ここで寝かせるか、あの光ってる場所に行くか……人家なら助けてもらえるかもしれん」
「楽観的だな。こんな真夜中の奇妙な客人が歓迎されると思うのか」
「それはそうだが……王都に連れて行かないと金は貰えねえ。少しでも前に進んでおいた方がいいか……ちっ、しょうがねえ」
「宝具を盗んでずらかるか」
「魔界の王様がケチなこと言ってんじゃねえよ。連れていく。幸い雨はやんでいるからな」
エルドは小屋の中に戻り、竈の火を消した。そして上着をもう一度脱いでファティアに着させる。ファティアはぐったりとしてエルドに動かされても反応はなかった。
「よっと」
ファティアを背負い、槍を持ち、エルドは光の灯った場所を目指し始めた。
「そろそろだな。光が強くなってきた」
エルドは暗い森の中を進みながら呟いた。ぼろい小屋を出てから小一時間が経過していた。
エルドの背中のファティアは相変わらず動かず、普通よりも少し荒い息をついているようだった。背中に伝わる体温も心なしか熱いように感じられた。
「あーあ、まったく。ちょっと山道を案内するだけで金をもらえると思ったのに、何の因果でこんなことまでやってんだ、俺は」
「だから言ったのだ、さっさとずらかれと。この女と一緒にいるとまた魔人の相手をすることになるぞ」
「けっ、びびってんのかよ」
「我はどうでもいい。誰が来ようと敵ではない。しかし、お前の寿命がまた縮むことになる。まあそれでお前が死ねば、我は晴れて自由の身だ。一応は、願いを叶えたことになるからな」
「自由ねえ……」
ぼそりと答え、エルドは前に進む。草をかき分け、枝を折り、前に進んでいく。そして光の源に辿り着く。それは山小屋だった。さっきのぼろい小屋とは違い、立派な拵えのものだ。様子から見て、人が定期的に通うか、あるいはここに住んで生活をしているようだった。
「さて、どう声をかけるか……」
夜空を見上げると、山の向こうがいくらか白んでいるようだった。夜明けまでにはまだ時間がかかるようだが、朝の早い農民であれば起き出していてもおかしくはない時間だ。
「普通に行くか。勝手に忍び込むわけにもいかねえし」
エルドは玄関に向かい、ドアを軽く押してみる。当然動かない。少しだけ緊張しながら、エルドはドアをノックする。
「おい、誰かいないか」
少し声を張り上げ、中に呼びかける。しばらく耳を澄ませて待っていると、ガタガタと人の動くような音が聞こえた。
「鬼が出るか蛇が出るか」
「黙ってろ」
エルドは苛ついた声でヴァーゴに言う。内側で喋っているヴァーゴの声はエルド以外には聞こえないが、勝手に喋られると気が散る。それにヴァーゴの言葉は大抵は他愛のないことか与太話のような事なので、真面目に聞くだけ無駄だった。
足音がドアの向こうで止まる。エルドは返事を待つ。
「誰だい」
かすれた男の声が聞こえた。若くはない。年寄りのようだった。
「病人がいるんだ。雨に打たれて熱を出しちまってよ。寝かせる場所を貸してくれねえか」
「病人? 変な病気じゃないだろうな」
「ただの風邪だ。山を越えてきたんだが、体が冷えちまったらしい」
「あの天気で山越え? あんたら命知らずらしいな」
少し呆れた様子で男が言った。
「ちょっと急ぎの用でな。で、どうなんだ?」
「……まあいい。入れてやるよ。ちょっと待て」
中で閂を動かす音が聞こえ、少ししてドアが開いた。姿を見せたのは、ランプに照らされた小柄な老人だった。
「ん……なんだ、病人てのは女か? しかも……兵隊さんか。槍なんざ持って」
「ワルキューレって奴だ。ちょっと知り合いでな」
「まあいい。中に運べ。槍はそこに置いていけ」
「ああ、分かった」
老人は暗い廊下を進んでいく。エルドはファティアを背負ったまま後を付いていく。
通されたのは暖炉のある部屋だった。男は部屋の隅から毛布を持ってきて床に置いた。
エルドはファティアを背中からおろし、毛布の所に寝させる。額に触れると熱があり、意識はないようだった。
「このまま死んだりするなよ。
ファティアの方をぺたぺたと叩きながら、エルドが呟いた。
「この部屋にあるものは自由に使え。寒ければ薪を足してもいい。で……あんたは下男か従者か? こんな所を背負って歩いてくるなど……難儀しただろう」
「いや、まあなんて言うか……まあそんな所だ」
山道を案内するだけのつもりが、魔人の相手までする羽目になった。そんなことを真面目に説明してもややこしいだけだ。エルドは適当に答えた。
「薬はないが……スープくらいは作れる。しばらく待っていろ。何か持ってきてやる」
「ああ、すまない。だが……生憎
「なんだと?」
老人は舌打ちをする。
「金がないだと……まあいい。スープの味には期待せん事だ……」
「ああ、助かるよ」
老人はランプを部屋に置いて出ていった。エルドはほっと胸を撫でおろした。追い出されでもしたら途方に暮れる所だ。
ファティアの隣に腰を下ろし、エルドは暖炉の火にあたる。さっきのぼろい小屋とは違い、隙間風もなくしっかりと暖かい。
ファティアは相変わらず寝たままだった。ランプの光で照らされるその横顔は、安らかなように見えた。何かした方がいいようにエルドは思ったが、残念ながら看護の知識などなかった。
何をするでもなく、エルドは時間を持て余しながら待っていた。すると、三〇分ほどして老人が部屋に戻ってきた。手には盆を持ち、それにはスープや水差しが乗っていた。
「おっ、食いもの」
「ほらよ。昨日のあまりもんだ」
老人はそういい、盆を床に置く。エルドは早速スープの椀を取り、勢いよく食べ始めた。その様子を見て、老人は呆れたように言った。
「病人ほったらかして食ってる場合かよ。薄情な従者だな」
「あ? 別に俺が我慢したって治るもんじゃねえだろ。それにこいつは寝てるから食わせようにも無理だ。このまま寝かせとくしかない」
「そりゃそうかもしれんが……まったく」
老人は床の水差しを手に取ると、エルドに差し出した。
「水くらい飲ませてやれ。そのくらいならできるだろ」
「あ? そうか……そういうもんか」
口の周りを舐めながらエルドは呟き、スープを置いて水差しを受け取る。しばらく水差しとファティアを交互に眺めていたが、ファティアの顔に向かって水差しを傾ける。
「おい、ちょっと体を起こしてやるんだよ、そういう時は」
「そうなの?」
エルドはファティアの体を持ち上げ、上体を斜めにして水差しの水を飲ませた。ファティアは眠ったままだったが、喉を動かし水を飲んだ。
「これでいいのか?」
「まあいいんじゃないか。全く、近頃の若い奴はみんなこうなのかね……」
ぶつくさと言い、老人はため息をついた。
「ところであんた、名前は? その嬢ちゃんも」
「俺はエルドだ。こいつはファティア」
「そうかい。何もない所だが……しばらく休んでいくといい。水が欲しかったら声をかけろ。勝手に家の中をうろつくなよ」
「ああ、分かったよ」
そして老人は部屋を出ていった。ファティアと二人残されたエルドは、腹が減っていたことを思い出し再びスープを食べ始めた。
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