第12話 魔人憑き

「この男には願いなど無いのだ」

 エルドの左腕、ヴァーゴが答える。エルドは不満そうだったが、異を挟む様子はなかった。

「願いが無い?」

 オウム返しに聞くファティアに、仰々しくヴァーゴが答える。

「その通りだ、女。この男には願いが無い。金も欲しがらず、地位も名誉も欲さない。力や不滅の生を求めることもなく、ただ安穏と生きることを望んでいる。実に詰まらん。おかげで、我は願いをかなえる事が出来ずこのような姿のままだ」

「うるせえよ。谷底から拾い上げてやっただけありがたいと思いやがれ!」

「でも……もし願えば、手に入るんですか?」

 興味深そうに聞くファティアに、エルドの左腕が持ち上がり答える。

「うむ? 左様。金も力も思いのままだ。まあ、我のやり方でという事になるがな」

「我のやり方って?」

「けっ! ペテンだよ! こいつが言ってるのはな、金をくれって言ったらその辺の貴族の家でも襲って金品をくすねてくるっていう事なんだよ。何もない所からジャラジャラ金貨が湧いてくるわけじゃない」

「当たり前であろう。世の中そういうものだ」

「力って言ったら、まあこいつの力ってことになる。それだけは当てにしてもいいのかもしれんが……普通の戦士や将軍として成り上がるのは無理だろうな。何せ魔人憑きだ。普通の人間としては生きられない」

「人の限界を超えた存在となれる。そう思えば良いのだ」

「ふん! ま、とにかくそういう事でな……こいつに願いなんかかなえてもらってもろくなことにならない。俺だって金は欲しいが、お尋ね者になるのは勘弁だからな」

「ふうん……あんまり……大したことないのね、あなた」

「なんだと! この女、我を大したことないとぬかしたか!」

 エルドの左腕が蛇のように鎌首をもたげ口のように指を開いた。

「だってそうじゃない。ランプの魔人ならもっと簡単に何でも願いを叶えてくれるのに……あなたは強引な力技で何とかするだけじゃない。山賊みたい」

「山賊?! 山賊だと! 魔界四公にまで列せられたこの我を、山賊と申したか! ええい、女! そこになおれ! そっ首叩き落して――」

「あーあーうるせえよ。すっこんでろヴァーゴ。今のお前が大したことないのは事実だろ」

「何を言う! 貴様も女に言い返してやれ!」

「はいはい分かった分かった」

 エルドは左腕を右手で押さえつけて黙らせる。ふうと溜息をつき、エルドは口を開いた。

「てなわけだ。俺には魔人が憑いてる。普通の人間じゃない……化け物ってことさ」

「化け物……」

 そう言われ、ファティアは改めてエルドの姿を見る。シャツを脱いだ上半身は程よく鍛えられ無駄な脂肪はない。かと言って戦士と呼べるほどのものではなく、あくまでも普通の人間だ。

 ブッコーラと戦っていたときのエルドは、信じられないような速さで動いていた。まるで野生の獣……柔軟でしなやかな猛獣だった。それに、ブッコーラの足を受け止めた膂力。どう考えてもこの普通の体から出てくるものとは思えなかった。

「……ヴァーゴは願いを叶えるだけなの? 私の目には……あなたはものすごく強くなっているように見えた。攻撃を避けたり、受け止めたり。それもヴァーゴの力?」

「ああ、それな……」

 左手を押さえていた右手をどけ、頭を掻く。左手のヴァーゴは大人しくなったようだった。

「確かにあれはヴァーゴの力だ。ヴァーゴの魔力って奴が俺の体に少なからず作用しているらしい。普通の人間より体が頑丈だし、力も強い。おかげで助かってる。だがさっきのあれはそれとはまた別でね……」

「別って?」

「ヴァーゴの願いを叶える力の一環だよ。俺の願い……力が欲しいという願いに対してヴァーゴが応え力を与えてくれる。それさ」

「強くなりたいって思ったら、強くなるの?」

「そういう事だ。さっきで言えば、叩き潰されないように素早く動けるようにさせた。で、ぶん殴られて死にかけたが……その傷も治させた。それと、奴の足を受け止めるだけの力を生み出してもらった。そんな具合だ」

「すごい……それなら、兵士として戦えるんじゃないの? あ、右腕が石に変わったりするから駄目なの?」

「それとはまた別の問題がある。さっきも言ったが、対価が必要なんだよ。俺は寿命を削ってあの力を借りている。俺の寿命は、当然ながら無限じゃないからな。無駄なことをやっているとあっという間にあの世行きだ。戦場で命がけで戦って、そのうえ寿命まで削ってるなんて、何のために生きてるか分からなくなるぜ。立身出世したいならいいのかもしれんが、俺にはそんな目標はないからな。適当に、自分の食い扶持だけ稼げていればいいのさ」

「寿命を払うって……どのくらい?」

「さあな。おい、ヴァーゴ。さっきのはどのくらいなんだ?」

「うむ? 大体二年といったところか」

「だとよ」

「えっ……二年……?!」

 ブッコーラとの戦いは、時間にすれば三十分程だったろうか。それほど長い時間ではない。それで二年間の寿命が失われたとは……ファティアにとっては少し衝撃的なことだった。

「二年……エルドさんは、早く死んじゃうってことですか」

「そうだな。全部の寿命が何年か知らんが」

「……今までにも使ったことあるんですか」

「……さあ、何度か使ったが……全部で五年くらいか。今回ので七年だな」

「七年……」

 王国民の平均寿命は六〇歳程度と聞いた事があった。それを考えれば一割以上の寿命を既に使っていることになる。それについさっき使った二年は、自分を助けるためのものだったのだ。自分がいなければ、助けようとしなければ、失う事のなかった二年。

 二年あれば何が出来るだろうか。人生の最後に、愛する人たちと生きる二年間……それはかけがえのない物だろう。

 だが……ファティアはふと思い出した。エルドは一人で、あの粗末な小屋に住んで生きているのだ。人別帳にも名前が載っていないとのことだったが、そうなると恐らく家族もいないのだろう。エルドにとって、人生の最後の二年もそれほど価値を持つものではないのかもしれない。

 だがそれでも、自分が原因で二年という時間を失わせたのは事実だった。申し訳ない気持ちで、ファティアは表情を曇らせる。

「ひょっとして気にしているのか?」

 ファティアの表情を見て、エルドが尋ねる。ファティアは言葉に窮するが、思ったままの事を話した。

「……はい。私のせいで二年という時間を……削ってしまった。申し訳ありません」

「ふん……」

 鼻で息をつき、エルドは足元に転がっていた端材を竈に放り込んだ。勢い良く炎が舞い上がり、火の粉が飛ぶ。

「俺が勝手にやったことだ。あんたが気にする必要はないさ。といってもあんたは気にしそうだが……」

「いえ、それは……」

「俺の人生なんざ獣と同じさ。飯を食って、狩りをして、眠くなったら寝る。いつ死んでも悔いはない。だが残りの人生の寝覚めが悪くなるから、そうならないようにしたってだけのことだ。俺の寿命の残りが二十年だろうが十年だろうがどうでもいいことさ」

 その言葉に、ファティアは何も答えられなかった。

 今自分がこの場にいるのは、宝具を守り王都に送り届けるためだ。その為になら身命を賭すつもりだったが、実際にはこうしてエルドに助けられている。それどころか、エルドがいなければ今頃は殺されて宝具も奪われていたことだろう。一人で何とかする……などというのは絵空事に過ぎなかった。

 それは自分が未熟だからだ。課程の途中、三年目だからというのが理由だが、それは今理由にはならない。今まで生きてきた時間をもっと有効に使えていれば、もっと何かできることがあったのではないか。そんな事を考えてしまう。

「さて……」

 エルドは立ち上がり、干してあったシャツを手に取る。そして軽く振り捌いて身につける。

「大体乾いたな。雨も弱くなってきたようだ……朝には止むだろう」

「そうですね」

 ファティアも自分の装束の前半分が乾いていることに気付いた。後ろ半分はまだ生乾きなので、今度は火に背を向けて座る。

「俺の身の上話は終わったが……今度はお前の番だな」

「え?」

 突然の言葉にファティアは間の抜けた声で返事をする。今度は自分の番? 何を喋れというのだろうか。

「あんたの腰のものが何なのか、教えてくれよ。何か言えない理由があるのかもしれんが……知らないままってのは気持ちが悪い」

「これは……」

 宝具、アクアクリスタル。これはこの王国の宝だ。神代の昔に宝具を用いた戦いが繰り広げられ、その歴史の中で宝具はいくつもの奇跡を起こした。その力は今もなお健在であると言われ、各地で厳重に封印され守られている。

 賊に狙われることは過去にもあったが、その度に守り抜いてきた。今回の襲撃では神殿では守り切れなかったが、ファティアが持ち出したことで、かろうじて奪われずに済んでいる。

 一般の国民にとってはおとぎ話の中の存在ではあるが、ワルキューレなど国防に関わるものにとっては現在でも重要なものだ。

 その存在をエルドに、一般人に言っていいものかどうか。ファティアには判断がつかなかった。しかし目の前のエルドはファティアの答えを待っている。

「……分かりました」

 ファティアは意を決し、答えることにした。

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