第11話 告白

「くそ……思ったよりてこずらせやがって……」

 エルドが右腕を振ると、生えていた紫の刃は溶けるように消えて元の普通の右腕に戻った。

 その右手で胸を押さえ、エルドは少し苦しそうな表情を浮かべた。

「何年持っていきやがったんだヴァーゴの奴……ま、おかげで助かった。さて、と……」

 エルドは振り返り、ファティアを見た。ファティアはまだ座り込んだままだったが、エルドが歩いて来るのに気付き、壁に手をつきながら立ち上がった。

「あ、あの……」

 おずおずと声をかけるファティアに、エルドは疲れ切った様子で答えた。

「あぁ? 何だよ」

「あなたは、一体何者なんですか……?」

 エルドは魔人を殺した。それも、二人も。魔人の強さは伝聞でしかないが、人間にどうこうできる相手ではないと一般的には言われている。それこそ一国の軍隊を動員して初めて相手できるような……。

 そして今さっき見たブッコーラの力は、その噂にたがわぬものだった。セスチノの時はあっけなかったが、ブッコーラのあの異形……巨大な体で振るう岩の拳は途方もない攻撃だった。鎧を身につけていても何の役にも立たないだろう。

 エルドはその拳を一度食らった。普通ならそれで死んでいるはずだ。実際、エルドは壁に叩きつけられて動けないようだった。だがその直後、ブッコーラの足を受け止めて反撃に転じた。

 一体何がどうなっているのか。何故死ななかったのか。なぜ勝てたのか。いくつもの疑問がファティアの胸に渦巻いていた。

 濡れている顔のしずくを拭い、エルドが答える。

「あんたもつまらない事を聞くな……俺が何者かなんてどうでもいいだろう」

「……で、ですが……では、何故助けてくれたのですか……?」

「力を貸せと言ったのはお前だろう。人の忠告も聞かないで勝手に先に行きやがって……放っておいてもよかったが、まあ……寝覚めが悪くなるからな。それに、思ったよりやばいもんに追っかけられてるようだな」

「こいつらは……追手です。私を追いかけてきた……まさか魔人が来るだなんて」

「恨みでもかってんのか? いや、違うか。その腰のものがよほど大事らしいな」

「……はい。そのようです」

 ファティアは腰の袋に入った宝玉の感触を確かめる。神殿が襲われ、そして執拗に追手が来ている。修練生として過ごしていた間にも宝玉のことは聞いていたが、ここまで重要なものだったとは。改めて自分に課せられた役割の重さに、ファティアは身震いした。

「で……行く当てはあるのか? 仲間は無しの一人旅か」

「行く当ては……ありません。王都に進むのみです。仲間もいません。私一人だけです」

「はぁ……参ったね。おまけに氷雨にびしょ濡れだ。行くぞ……どこか休める所を探す。今度こそ、勝手に一人で行こうとするんじゃないぜ。お前を探すのにはこれでも苦労したんだ……」

「分かりました……そうですね。この状況で闇雲に動いても危険だという事が分かりました」

「よし。洞窟か、木陰でもいい。濡れない場所を探すぞ」

「はい」

 エルドはそう言い山を下る道を走っていく。ファティアはブッコーラの残骸を振り返りながら、まだ信じられない気持ちのままエルドについていった。


 三十分ほど歩いたところで、二人は山小屋を見つけた。大分くたびれた様子で隙間風も吹きこんできたが、一応は雨風を凌げた。それに朽ちているわけではなく、使われている形跡があった。幸いにも火打石と薪が置かれてあり、エルドはそれに火をつけて竈に放り込んだ。

 じわじわと炎が大きくなり、部屋の空気も温まっていく。ファティアはかじかむ手を火に向けながら、膝を抱えて座り込んでいた。その隣では上着を脱いだエルドが火に背を向けて座り込んでいた。

「はあ、やっと一息つけるぜ。」

「そうですね。助かりました」

 それ以上会話は続かず、ファティアにとっては気まずい沈黙が流れた。一方のエルドは特に気にする風もなく火にあたっている。

「あの……」

「あん?」

「何度も聞くようで申し訳ありませんが……エルドさんは一体何者なんですか?」

 それはファティアにとっては重要な質問だった。助けてくれたのは事実だが、エルドは素性が知れない男だ。普通に考えればただの親切とも思えるが、ブッコーラとの戦いは命がけだったはずだ。ただの親切で命を懸ける……そんな人がいるだろうか。特に今は宝具が絡んでいるのだ。エルドも、ひょっとしてどこかの追手の一味で、セスチノやブッコーラとは別に狙っているのかもしれない。穿った見方をすれば、そういう考え方もできる。

 エルドを疑うのは忍びなかったが、ファティアにははっきりさせておく必要があった。

「俺は……化け者だってのは言ったな。俺は、何と言うか……」

 言いあぐねているエルドの声を遮るように、もう一つの声が聞こえた。

「魔人が憑いているのだ。我がな」

 壁の向こうから聞こえてくるような、少しくぐもった声。エルドの声ではない。ファティアはまた誰か追手でも来たのかと小屋の中を見回すが自分とエルド以外の姿はなかった。雨音と、ぱちぱちと燃える薪の音が響くだけだ。

「おい、勝手に喋るんじゃねえ!」

 エルドが慌てた様子で自分の左腕に話しかける。まるでそこに誰かがいるように。

「今のは……一体……?」

 ファティアが不審げな視線をエルドに向ける。ほとんど無意識に壁に立てかけた槍までの距離を意識しながら、ファティアはすぐに動けるように気息を整えた。

「ちっ……俺は、魔人憑きなんだよ。魔人が体の中に……この左腕にいやがる」

「魔人が……? 腕に?!」

 エルドは左腕をファティアに見せる。それは何の変哲もない腕に見えたが、エルドの言っている意味を計りかねてファティアは聞き返す。

「何かの比喩ですか?」

「違う、いるんだよ、本当に。ちょっと長い話になるが……どうせ雨が止むまでは動けない。時間つぶしにはちょうどいいだろう」

 そう言い、エルドはファティアの方に向き直る。

「もう三年ほど前になる。山道を進む隊商の馬車が道から落ちたっていうんでな、それを探してくれって村に話が来た。で、土地勘のある俺も呼ばれてな、一緒に探しに行ったんだよ」

 自分の左手を閉じたり握ったりしながら、エルドは言葉を続ける。

「長雨の続く夏だった。細い山道やら獣道を進んで、谷に続く場所を進んだ。しかし足場が悪くてな。怪我人が多く出て中止になった。それでもどうにかならないかって言われて、倍の金を出すってんで俺は一人で行ったんだよ」

「危険ではなかったのですか?」

「危険だから金がもらえるんだ。それに当時の俺は……ま、今もそうだが、その日暮らしの根性が染みついていてね。長生きする気なんかなかったから、そこで死ぬなら死んでもいいと、そう思ってたのさ。で、間抜けにも足を滑らせて俺も深い場所に落ちていった」

「大丈夫だったんですか?」

「大丈夫じゃなかった。かなり派手にすっ転んで、左腕は折れてた。他にも何か所も深い傷が……まあほっときゃ死ぬ怪我だった。しかし死ぬ前に、俺は落ちた馬車とやらを見つけた」

「隊商のですか?」

「ああ。しかし、それだけじゃなかった。見れば馬車は一つじゃなかった。それに、人の亡骸もあった。どうやらそこは谷の一番深い所らしくってな、山道から落ちたのは全部そこに集まっているようだった。そこで見つけたんだよ、こいつを」

「我をな」

 エルドが左腕を上げると、それに合わせるようにまたあの声がした。

「何でも腕輪に封じられて何百年か前に谷底に落ちたそうでな、それ以来ずっと岩の下だったらしい。たまに人が来ても滑落して大けがを負っていて話せる状態じゃなかったそうだ。で、そこに俺が来た。少なくともまだ口のきける状態でな」

「そうだ。あまりパッとしない風体だったがえり好みも出来ぬ。やむなくこの男と契約したのだ」

「契約?」

「左様。我はある罪により腕輪に封じられた魔人。ヴァーゴという。罪をあがなうためには、人の願いをかなえる必要がある。そしてこの男の願いをかなえるために、我がこの男の一部となって命を長らえさせたのだ」

「……はあ」

 あまりにも唐突な説明に、ファティアの口からは気の抜けた返事しか出てこなかった。今まで聞いた事がない話で、あまりにも突飛すぎた。魔人が腕輪に封じられていて、それが願いを叶えるために怪我をしたエルドと一体になった? まるでおとぎ話の世界だった。

「……ランプをこすると魔人が出てくるって外国の話は……おとぎ話は聞いた事ありますが、それと同じようなものですか?」

「違う。あのように使役されるものではない。契約とは一方的な物ではなく、相互的な物だ。我は願いを叶えるが、その代わりにこの男も対価を差し出さねばならぬ」

「対価? お金を取るんですか? だからエルドさんはがめついんですか」

「誰ががめついんだよ! お前こそ金を払え! そうじゃなくって、俺は……寿命を支払うんだ」

「寿命……命を、ですか?」

「そうだ。さっきも見ただろう。こいつはさっきの魔人と同じく岩の魔人でな。体をいろいろな鉱物に変えられる。鋼にしたり剣にしたり……ぶん殴られて死にかけたが、その怪我もこいつには治せる」

「人間のような単純な構造の生き物なら、治すことは造作もない」

 ファティアはエルドの戦いの様子を思い出した。確かに一度殴られてひどい傷を負っていたはずだ。しかし、そのあとすぐに持ち直してあのブッコーラを圧倒した。途中から雰囲気が変わったように見えたが、あれはヴァーゴという魔人の力だったのだろうか。

「……そうなんですか。すごい……なんといったらいいか。ところで、エルドさんの願いって何なんですか?」

「俺の願いは……」

 エルドは困ったように視線を逸らした。

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