第9話 紫刃
「化け物だとお……」
ブッコーラがエルドを睨む。その黒い瞳に怒りが宿り、妖しく光を反射していた。だがエルドは怯む様子もなく、ブッコーラに涼しい視線を返す。
「ま、岩の化け物のお前に比べりゃ負けるけどな。さあどうする? もっとバラバラにされたいか?」
そう言い、エルドは右腕を顔の高さにあげる。その腕は肘から先がいくつもの紫色の結晶に覆われ、何本もの剣を束ねたような形になっていた。その中でも一際長く伸びた結晶……それがブッコーラの腕を切断した刃だった。
「紫刃砒晶……お前さんくらいの硬さなら、十分に斬り裂ける。そのでかい頭を切り落とされたくなかったら、とっとと尻尾捲いて帰るんだな」
ブッコーラは少し考えこむように黙り込み、そして低い唸り声を発した。それはすぐに笑い声に変わり、濁った音の哄笑が辺りに響いた。
「ぐははは! 俺の腕を切り落としたのは驚いたが……何だ、それは? 面白い技だな。魔法じゃないな? お前の特質か? まるで魔人だな」
「……ふん。化け物だって言ったろう」
「しかし……はははは! その程度で俺をどうにか出来ると思っとるのかい? 能天気だわなあ!」
ブッコーラは笑い、そして切り落とされ短くなった腕を振った。その動きで、エルドの傍の岩壁が動きせり出してきた。
「うおっ?! 何だ?」
突き出てきたのは五本の太い岩の柱。人の大きさほどもあるそれが、エルドを包み込むように迫ってくる。
エルドは足元のファティアの腰ベルトを掴み、大きく後ろに飛んで避けた。その直後、エルドがいた空間を巨大な岩の柱が押し潰していく。それはまるで……巨大な岩の手のようだった。
「どうせ斬るなら、最初に俺の首を斬るんだったな! 手足の形なんざ俺には関係ねえ。岩があるなら、それが俺の体だ!」
ブッコーラの周りの岩が蠢き、その体を包んでいく。岩の表面には三倍ほどの大きさになった顔が浮かび上がり、そして岩塊はなおもその容積を増していく。岩からせり出した手のような柱は、ブッコーラの体の岩塊とつながりまさに左腕へと変わっていく。右腕も同じように周囲の岩が変形し、寄せ集まり、巨大な塊を形作っていく。そして、ブッコーラは
「何……あれ? めちゃくちゃじゃない……!」
エルドの少し後方、地面に横たわったファティアが上体を起こしながら呟いた。
「へっ! ろくな魔法も使えないくせに相手をしてようとしていたのはあんただぜ? まったくよう……」
「エルドさん……あなたが、どうしてここに……?」
「誰が死のうが、この国がどうなろうが、俺みたいな奴には関係ないがよ……みすみす死なせに行かせたんじゃ、流石に寝覚めが悪くってな」
「あなたは……魔法使い……? その腕は一体……?」
「色々事情があってな……それは後だ! お前は後ろに下がってろ!」
巨人となったブッコーラは、その巨大な脚を動かしてエルドに近づいてくる。一歩の歩幅が大きく、鈍重な見た目に反して動きが速い。エルドは走りだし、そして大きく跳びあがった。
「やるぞヴァーゴ! 緋弾雷石!」
エルドの体は軽々と跳びあがり、巨大なブッコーラの背を追い越した。思わず見上げるブッコーラの顔に向かい、エルドはその右腕を向ける。右腕から生えていた紫色の結晶は、今度は赤い柱状節理のように変わっていた。
赤い岩が爆ぜた。そして、右腕から生えた岩塊がすさまじい勢いで射出される。雷鳴がとどろくように爆ぜる音が続き、ブッコーラの顔面に赤い岩が降り注いでいく。
「ぬわわわ」
ブッコーラが悲鳴のような声を上げ、その巨体が揺らぐ。エルドはブッコーラを飛び越してその後ろに着地し、右腕をブッコーラに向けて構えた。その右腕からは、再び紫色の刃状の結晶が生え伸びていく。
「こいつでバラバラにして、うおっと!」
巨大な振り子のように振られたブッコーラの右腕がエルドの体を叩く。ブッコーラに比べれば小さなエルドの体だったが、吹き飛ばされることはなくその場で踏みこらえる。だがブッコーラの追撃が続く。今度は左腕が破城槌のようにエルドに襲い掛かる。
「ぐ、うわっ!」
エルドはこらえようとしたが、真正面からの強い衝撃に吹き飛ばされる。その体が軽々と
ひどい音だった。崖から飛び降りてぶつかったような音。確実に命を奪ったであろう衝撃。だが、エルドは立ち上がりブッコーラを睨んだ。
背中は不自然に曲がり、頭からも血が流れていた。だがその血はすぐに止まり、雨に流されていく。折れた背骨も何事もなかったかのように元に戻り、エルドは鋭く息を吐いた。
「二回くらい死んだか……くそ、帳尻が合わねえぜ。別の腕はないのか?! あいつを一発で殺せるような奴はよ!」
エルドは自分の左腕に向かって話しかける。返事はないが、エルドは何かに耳を傾けている様子だった。
「ぐおおお! ぶっ殺してやる!」
ブッコーラの野太い声が頭上から響く。振り上げられた両腕は唸りを上げ、その大質量が一気に振り下ろされる。
地面が揺れた。山が崩れたかのような衝撃。そして火花が散り粉塵が立ち上る。まともに食らえば人間など、潰れるどころか粉々になってしまうだろう。だがその攻撃の下に、エルドはいなかった。寸前に横に飛んで回避し、そして壁を蹴って宙に舞う。
「うおおっ!」
エルドの右腕の紫刃がブッコーラの腕に斬りつけていく。ブッコーラを形成する玄武岩の表面に浅い傷が入るが、ブッコーラは意に介さないように攻撃を繰り返す。
「ぬうう! ちょこまかと!」
ブッコーラが怒りと共に攻撃を繰り返す。巨大な手足を振り回し、殴り、踏みつけ、自分の周囲を動き回るエルドを叩き潰そうとする。しかし攻撃はいずれも当たらず、代わりにエルドの斬撃はブッコーラの体に刻み込まれていく。
「どうしたどうした、デカブツ! 強そうなのは見た目だけか?」
「ぬがああ!」
エルドの挑発にブッコーラは狂ったように攻撃を仕掛ける。足元に向かって何度も両の拳を打ち込んでいく。一撃ごとに地面が揺れ、足元の岩は砕けていくが、エルドは素早い動きでその全てをかわし、ブッコーラを翻弄していく。
「すごい、何あれ……」
離れた位置で戦いを見守るファティアは、エルドの動きに驚嘆を隠せなかった。あの巨大な魔人を相手に一歩も引かない。あれだけの動きを続けられるのは、正に神業だった。それになにより、あの右腕……今は紫の剣のようになっているが、さっきは赤い岩になっていた。それにセスチノを倒したときは、赤く灼けた鉄の塊だった。
自分の体を強化する魔法……そういったものがある事をファティアは知っている。しかし、それとはどこか違うようだった。強化魔法はあくまで本来備わっている力を強化するだけだ。無い力を付与するという事はできない。それはもっと高度な魔法で、人間では恐らく無理だろう。それこそ魔人でもなければ……。
一体あのエルドという男は何者なのだろうか。高名な魔法使いが世捨て人のように生きているという事はまれにある。しかし、あの風体は魔法使いには見えない。何より若すぎる。謎だらけの男だった。
だが、その男が自分を守るために戦っていることは間違いのない事だった。ファティアはその行為に困惑しながらも、感謝をしていた。そして祈った。エルドがブッコーラと名乗る魔人を倒すことを。そうなれば、自分も役割を果たすことができる。
他力本願であることは否めなかったが、ファティアはエルドの邪魔をしないように、離れた場所でその戦いを見守っていた。
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