第8話 砕かれる心

「なんだあ、娘っ子とは聞いてたが、本当に娘っ子じゃねえか」

 岩肌に見える黒い目がファティアをぎょろりと睨んでいた。不気味な彫像のような顔がそこにあった。

「魔人……何……?!」

 突如目の前に現れた魔人の姿にファティアは仰天する。この岩肌、あるいは山自体が魔人だとでもいうのだろうか。

「おうよ、擬岩のブッコーラ様よ。ちょろちょろと動き回るから見つけるのに時間がかかったがよ、こうなっちまえばこっちのもんだ」

 ファティアの体を押さえつける岩が更にその力を増していく。押し潰されるのは時間の問題のようだった。なんとかここから脱出しなければいけない。ファティアは冷え切った体を奮い立たせ、反撃の機会をうかがう。

「セスチノをやったっていうからどんな娘っ子かと思ったら、ただの人間じゃねえか。魔法使いでもねえ。お前、どうやってセスチノをやったんだ?」

 どこな呑気な口調でブッコーラが尋ねる。今にも殺されそうになっている状況でかけられる言葉ではなかった。舐められている。その状況にファティアは歯噛みするが、反撃どころか逃げ出す方法すら思いつかないこの状況では無理もなかった。

「……どうやってやったか知りたい?」

「うん、そうだなあ。知りたい」

 ぎりぎりと押し付けてくる岩の拘束が僅かに緩んだ。付け入る隙があるように、ファティアには思えた。

「……なら、正々堂々姿を見せて私と戦いなさい! そうしたら、その身をもって教えてあげられるわ…!」

「はははは! おもしれえ事を言う娘っ子だな! いいだろう。セスチノの弔いがてら、奴をやったっていうやり口を見せてもらおうじゃねえか!」

 ブッコーラがそう言うと、ファティアの体を押し潰そうとしていた岩塊はガラガラと地面に崩れ落ちた。一気に拘束が解け、ファティアは押し付けられていた岩肌から素早く離れる。

「ふうん。セスチノの野郎は腹をぶち抜かれていた。しかも焼けていた。その細っこい槍で突いたもんじゃねえ。しかし魔法の痕跡はなかった。一体お前、何をやりやがったんだ?」

 岩壁に張り付いたブッコーラが、言いながらその姿を現してくる。岩肌が人の形に盛り上がり、一ターフ一.八メートルをゆうに超える巨躯が姿を見せる。頭部は山型で肩と繋がっており、首は極端な猪首いくびだった。腕や脚は以外にもほっそりしているが、手や足先は壺のように太くなっていて、短い指が申し訳程度に生えていた。

「魚が火で焼けるのは道理だ。しかし俺の体は岩だからなあ。燃えたりしねえ。お前がどんな力を使うにせよ、俺には通じないぜえ」

「それは……やってみなければ分からない……」

 セスチノはエルドが倒した。その腕を灼熱する鉄に変え、その腕で殴り貫いたのだ。聞いた事もない魔法……いや、ブッコーラは魔法の痕跡はなかったと言っていた。ファティアはその意味を考える。魔法の痕跡がないのだとすると、魔法による熱ではなく、本当に腕が焼けた鉄に変わっていたという事なのだろうか。

 しかし、それを確かめる術はない。そして当然ながら、同じようなことをファティアが真似することも不可能だった。

 だがブッコーラはその事実を求めてファティアを自由にした。奇矯な趣味の持ち主らしい。自分が負けることはないという強い自信があるのだろう。そして実際、ファティアには勝つための方法が見つからなかった。

 ファティアに出来ることは一つ。手にしたワルキューレの槍で突くこと。それだけだ。五年の修行課程を終えたワルキューレならば魔法を使うことも出来るが、三年目のファティアにはまだ使えない。基礎的な知識はあるが、それは座学だけのことで実際に使えるわけではない。理屈だけは備わっているが、実践したことはない状態だ。

 仮に炎の魔法が使えたとしても、ブッコーラのいうように岩は燃えない。多少は焦げるかもしれないが、その程度だ。

 なら、どうするか。

 簡単な話だった。出来ることをやるだけだ。

「うわああ!」

 ファティアは両腕を上げ、上段に構えた槍でブッコーラに突きかかる。裂帛の気合と共に、今できる最大の力で。

「むう」

 槍の切っ先がブッコーラの首に迫る。しかしブッコーラは素早い手の動きで槍を払う。ファティアは素早く槍を引き、追撃する。二度、三度。しかし槍はいずれもブッコーラの手に阻まれその体に当たることはない。

「はあっ!」

 腹に力を込め、一番得意な中段の突きを入れる。だが――。

「ふん!」

 ブッコーラの両手がファティアの槍を掴んでいた。切っ先は僅かにブッコーラの腹に沈んでいるが、大した傷ではないようだった。

「お前、馬鹿にしてんのか?」

 少し苛ついたような声でブッコーラが言う。そして槍を掴んだ手に力を込める。

「ぐ、うっ!」

 ファティアは槍を押さえようと体重をかけるが、ブッコーラの力はそれを上回る。人間ではありえない膂力がファティアの体ごと槍を持ち上げていく。

「こんな細っこいもので俺が殺せるかよ」

 ブッコーラの腕が振られ、その勢いでファティアは岩肌に叩きつけられる。

「きゃっ!」

 全身を強い衝撃が襲う。よろけて倒れ込みそうになるが、その暇はなかった。巨大な岩の拳がファティアに迫ってきていた。

「ふん!」

 ファティアが頭を下げたその瞬間に、ブッコーラの拳が通り抜け岩肌を強く打つ。砕けた岩の欠片が飛び散りファティアの顔にも当たる。まともに食らっていれば、人間の頭などひとたまりもないだろう。額には鉢金をつけてはいるが、それごと叩き潰されてしまいそうだった。

「俺は! お前の力が! 見たいんだよ!」

 続けざまにブッコーラの拳が放たれ、ファティアは転がるようにして後ろに下がりながら回避する。ガツンガツンと拳が岩を打ち、焦げ臭さがファティアの鼻をつく。一度でも食らえば終わりだ。

「あの力を使ってみろい!」

 今度はブッコーラの脚が伸び、その爪先がファティアに襲い掛かる。ファティアは辛うじて槍で防御するが、衝撃で数ターフ数メートル吹き飛ばされる。

「どうにも解せんな」

 呟くように言い、ブッコーラはゆっくりと地面に倒れ込んだファティアに近づいていく。ファティアは吐き気をこらえながら立ち上がろうとするが、腹部に受けた衝撃はそれを許さない。体が痺れ、まともに動くことさえできなかった。

「普通の魔法じゃなかった、セスチノをやったのはな。人間どころか魔人にだって中々出来ない芸当だ。ただ殺すんならともかく、あんな風に魔法の痕跡さえ残さないのはな……」

「ぐ……う……」

 ファティアは近づいてくるブッコーラを見上げながら睨みつける。しかし視線は無力で、ブッコーラは構わずにファティアの襟首を掴んでその体を持ち上げる。

「まだ出し惜しみしているのか? 出せない理由があるのか……いや、違うな」

 ブッコーラの目がファティアの目を覗き込む。

「お前じゃないな? セスチノをやったのは?」

 ファティアはその言葉には答えず、荒く息をつきながら視線を返すだけだった。もう槍を持つ手にも力が入らない。

「誰だ? セスチノをやったのは? 仲間がいるのか?」

「どう、かしらね……」

 エルドの事が脳裏によぎる。彼のことを話せば、もう少し位は時間を稼げそうだった。殺されるまでの時間を。だが関係のないエルドを今以上に巻き込むことになる。それは避けなければならない事だった。

「逃げたのは一人……そう聞いている。娘っ子が宝物を盗んで逃げて行ったってな。お前なんかじゃセスチノを殺せっこない。あいつは俺より弱いが、それでも魔人だ。ましてやこんなしょぼい槍しか使えない小娘に遅れをとるわけがねえ……分からねえな」

「知りたい……?」

「ふん。もうその手は食わねえぞ。思わせぶりなことを言いやがって。お前、時間稼ぎしているだけだろ? 誰かを逃がす為か? しかし……」

 ファティアが腰に提げている袋にブッコーラは視線を移す。

「例の宝物ってのを持ってるのはお前みたいだしな。お前がここにいて、他の奴を逃がしているってのは理屈に合わねえ。よく分からねえなあ……」

 冷たい雨がファティアの体を打つ。一秒ごとに力が失われていくようだった。死ぬことへの恐怖よりも、悔しさが強かった。何もできずにここで死んでしまう……自分を信じて送り出してくれた教官にも申し訳が立たない。

「……ま、いいか」

 ブッコーラがファティアをつかむ腕を上げる。ファティアの顔が、ブッコーラの顔と同じ高さになる。

「細かい事を考えるのは俺の仕事じゃねえしな。その腰の物を頂いて、俺は帰るだけだ。それに……」

 ブッコーラの岩の顔が微笑むように動いた。

「人間の娘っ子を絞った汁を浴びると若返るって言うしな。ちょっと試してみるか」

 ブッコーラの反対の手がファティアの頭を無造作につかむ。そして万力のような力が込められる。ファティアは声を上げることも出来ず、自分が死んでいくことを確信した。

「趣味が悪いぜ、クソ魔人がよ」

 声と同時に、風が走った。硬い岩を断ち砕く音。ブッコーラの両腕が肘で断たれていた。

「な、にいっ!」

 ブッコーラが驚いて後ろに下がる。地面に倒れ込んだファティアの傍らに、エルドが立っていた。

「あのまま行かせたんじゃ寝覚めが悪かったが、案の定こんな状況とはな……」

「てめえ、何者だ!」

 ブッコーラが気色ばんで叫ぶ。エルドは不敵な笑みを浮かべて答えた。

「俺か? ただの化け物だよ」

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