盛大な誤解

(夜会など、社交界に出たらいずれはお会いするとは思いましたが……まさかそれが今日だとは思いませんでしたわ)

 目の前に現れたハイデマリーに対し、ローザリンデは一瞬動揺してしまう。

「お初にお目にかかります、エーベルシュタイン女男爵閣下。ローザリンデ・エマ・フォン・オルデンブルクでございます」

 ローザリンデは落ち着いて自己紹介をする。

「是非、ハイデマリーとお呼びくださいませ。お会い出来て光栄でございますわ、オルデンブルク次期公爵夫人」

 ニコリと明るい笑みのハイデマリー。嫌な感じは全くない。

「……でしたら、わたくしのことはローザリンデとお呼びください」

 ハイデマリーの考えが全く読めず、内心たじろいでしまうローザリンデだ。

わたくし、ずっと貴女とお話ししてみたいと思っておりましたの、ローザリンデ様」

 ジェードの目を輝かせながらふふっと微笑むハイデマリー。

(とにかく、エーベルシュタイン女男爵閣下……ハイデマリー様とは対立する意思がないことはお伝えしないといけませんわ)

 ローザリンデは深呼吸をする。

「ハイデマリー様、わたくしは自分の立場を弁えております。旦那様とお会いすることに関しましてはお邪魔だていたしません。ハイデマリー様と旦那様の間に生まれたお子を、オルデンブルク公爵家の後継ぎとして育てる覚悟も出来ております」

 ローザリンデは覚悟を決めた目でハイデマリーを見つめていた。

「えっと……一体何のお話でございましょうか? 旦那様と仰るのは……もしかしてオルデンブルク卿のことでしょうか?」

 ローザリンデの話を聞いたハイデマリーはかなり混乱している様子だ。

「左様でございますが……」

 ローザリンデはおずおずと答える。

「あの……どうしてオルデンブルク卿とわたくしの間に子が生まれることになっているのでしょうか? わたくしには夫のイェレミアスがいるのですが……」

 ハイデマリーは完全に困惑した様子だった。

(ハイデマリー様? ……一体どういうことでしょうか?)

 ローザリンデもハイデマリーの反応を見て困惑していた。

「あの、ハイデマリー様は旦那様と恋仲でございますよね?」

 ローザリンデは恐る恐る聞いてみた。

「そんなこと絶対にあり得ませんわよ!」

 ハイデマリーはジェードの目を大きく見開き、声も思わず大きくなっていた。ローザリンデはハイデマリーの勢いに肩をビクッと震わせた。

「取り乱して失礼いたしました。オルデンブルク卿とわたくしはただの幼馴染でございます。……確かに、オルデンブルク卿とわたくしが恋仲である噂が立ったことは存じ上げておりますが、それは事実ではございませんわ。当時はわたくしもその噂を打ち消す為に奔走しておりましたのよ」

 ハイデマリーは後半、当時のことを思い出したらしく、苦笑していた。

「あの噂も収束させることが出来たと思いましたのに、まさかオルデンブルク卿の妻であられるローザリンデ様からそう言われるなんて、思ってもいませんでしたわ」

 困ったように微笑むハイデマリー。

「それは……申し訳ございません」

 ローザリンデは視線を下に落とす。

「そこまでお気になさらないでください」

 ハイデマリーは優しく微笑んだ。

「ハイデマリー、どうしたんだい?」

 そこへ別の男性の声が聞こえた。

「あら、イェレミアス」

 ふふっと微笑むハイデマリー。

「ローザリンデ様、紹介いたしますわ。わたくしの夫のイェレミアスです」

 ハイデマリーに紹介されたイェレミアスはボウ・アンド・スクレープでローザリンデに礼をる。

「楽になさってください」

「ありがとうございます。改めて、先程ご紹介にあずかりました、イェレミアス・フィリベルト・フォン・エーベルシュタインと申します。ハイデマリーの夫です」

 イェレミアスはアッシュブロンドの髪エメラルドのような緑の目。そして穏やかな顔立ちの男性である。

「お初にお目にかかります。ローザリンデ・エマ・フォン・オルデンブルクでございます」

「お会い出来て光栄です、オルデンブルク次期公爵夫人。貴女がどんなお方か、ハイデマリーもとても気になっていたのですよ」

 穏やかな笑みのイェレミアス。

「左様でございますわ、ローザリンデ様」

 ふふっと微笑むハイデマリー。

 そして、ハイデマリーとイェレミアスは互いに顔を見合わせて微笑み合っている。とても仲睦まじい様子だ。

 ちなみにイェレミアスもルートヴィヒとは幼馴染で親しいらしい。

(本当にハイデマリー様と旦那様が恋仲であるという噂は嘘でございましたのね)

 ローザリンデはハイデマリーとイェレミアスの様子をまじまじと見ていた。

「……でしたら、旦那様と恋仲であるお方はどなたなのでしょう?」

 ローザリンデは新たに生じた疑問をポツリと漏らしていた。

「「……はい?」」

 ハイデマリーとイェレミアスはきょとんとしている。

「オルデンブルク卿はローザリンデ様に想いを寄せているはずでございますわ」

「いえ、それはあり得ません。わたくし達は白い結婚でございますし、旦那様にわたくしをエスコートする理由を聞いた際に、愛する人がいると仰っておりましたので」

 ローザリンデは以前ルートヴィヒから言われたことを覚えていた。

 卒倒しそうになるハイデマリーと、彼女を支えるイェレミアス。

「……ローザリンデ様、オルデンブルク卿との間にあった出来事を詳しくお聞かせ願えますか?」

 ハイデマリーはため息をつき頭を抱えていた。イェレミアスも苦笑気味だ。

「えっと……」

 ローザリンデはルートヴィヒとの間にあったことを話し始めた。

 ローザリンデをエスコートする理由を聞いた時、『俺には……愛する人がいる』と言われたこと。それを了承したらルートヴィヒが嬉しそうな表情になったこと。初夜の際に『む、無理だ……俺には無理だ!』と拒絶されたことなど、全てを話した。

「全くあの男は……それではローザリンデ様に伝わりませんわ」

「本当に……彼がここまでだったとは……」

 ハイデマリーとイェレミアスは長大息ちょうたいそくをつき呆れながら頭を抱えていた。

「何だ、ハイデマリーとイェレミアスも来ていたのか」

 そこへ仕事の話を終えたルートヴィヒが加わる。ある意味凄いタイミングである。

 ハイデマリーはギロリとルートヴィヒを睨む。

「ルートヴィヒ! 貴方はいつも言葉足らずなのよ!」

「ハイデマリー、一旦落ち着こう」

 幼馴染とはいえ筆頭公爵令息のルートヴィヒには礼を取る必要があるのだが、ハイデマリーはそれを忘れて怒鳴り付ける。イェレミアスはそれを宥める。

「ハイデマリー、いきなり何だ?」

 ルートヴィヒは怪訝そうな表情だ。

「貴方の言葉はローザリンデ様にきちんと伝わっていないわ!」

「どういうことだ? というか、馴れ馴れしく彼女の名前を呼ぶな。女神の名前をそう簡単に呼んではいけないだろう」

「……女神? どういうことでしょう?」

 ルートヴィヒの言葉にローザリンデは首を傾げる。するとルートヴィヒはタンザナイトの目を見開きローザリンデを見る。

「君は……自分が女神であることに気付いていないのか!?」

 信じられないとでも言うかのような表情である。

「……はい?」

 わけが分からずローザリンデはきょとんとしている。

「えっとルートヴィヒ、ちょっと話がややこしくなるから今それについては置いておこうか」

 イェレミアスが苦笑しながらルートヴィヒを止める。完全に幼馴染モードである。

「ルートヴィヒ! 貴方はローザリンデ様からエスコートする理由を聞かれた際に『愛する人がいる』って答えたそうね!」

「……ああ、それがどうした?」

 ルートヴィヒはチラリとローザリンデの方を見て頬を赤らめる。

「ローザリンデ様はね、貴方が自分ではなく別の人を好きなのだと勘違いしていたのよ!」

「何だって……!?」

 ルートヴィヒはハイデマリーの言葉に驚愕してローザリンデの方を見る。

「そう……なのか? あの時君は承知したと言ってくれたからてっきり俺の気持ちに答えてくれたのかとばかり……」

 ルートヴィヒはタンザナイトの目を零れ落ちそうな程大きく見開いていた。

「これは重大なコミュニケーションエラーだね……」

 イェレミアスは苦笑する。

 ローザリンデ達は近くにいた一部の者達から注目を浴び始めていた。会場全体からではないのが幸いである。

(では旦那様があの時嬉しそうな表情をしたのはもしかして……)

 当時のことを思い出したローザリンデはほんのり頬を赤く染める。

「俺の気持ちが君に伝わっていなかったとは……」

 しょんぼりと肩を落とすルートヴィヒ。

「だったら今きちんとローザリンデ様に伝えなさい」

 ハイデマリーは呆れながらルートヴィヒの背中を押す。

 ルートヴィヒはゆっくりとローザリンデを見つめる。

(ええっと……これは一体どういうことなのでしょうか?)

 ローザリンデは目の前の状況に困惑していた。

 ルートヴィヒは頬を赤く染めながら真っ直ぐローザリンデを見つめている。

 周囲は生暖かい目で2人を見守っている。

 2人の間にはしばらく沈黙が流れた。

 そんな中ローザリンデは勇気を振り絞りルートヴィヒに聞いてみた。

「つかぬことをお伺いいたしますが、わたくしはお飾りの妻ですよね?」

「そんなつもりはない! 俺は……俺はずっと君のことが好きなんだ!」

 頬をりんごのように真っ赤に染めるルートヴィヒ。タンザナイトの目は真っ直ぐローザリンデを見据えている。

(そんな……まさか……)

 ローザリンデは混乱していたが、ルートヴィヒが冗談を言っているようには見えなかった。

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