# 4 異常事態 ②
そこにあったのは繭のような巨塊だった。
卵型というには少し歪で地面との接着点からは木の根っこに似た謎の触手が無数に伸びている。そしてその触手は巨塊周辺に倒れる調査隊員の遺体に刺さった状態だ。
遺体から養分を吸い上げる根っこ。
そんな惨い考えが頭を過ってしまい、思わず顔を顰めてしまう。
「これは、一体………」
推測通り、調査隊が消息を絶った地点に魔力を発する魔物———否、この場合は物体と言う方が正しいか―――がいた。
しかし、誰が想像出来ただろうか。
理解の及ばないものを前にすると人間は石のように固まってしまう。いくらか経って、レジーナが言葉をこぼしてくれたおかげで、おれは我に返る。
「メリィ、あれは何だ……?」
魔物の知識があるはずのおれが分からないのに、メリィが知っているはずがない。そんなこと分かっていたが、まずあの物体が魔物なのかどうかを知りたくて訊いた。
「まもの……でも、変なかんじがする」
巨塊に動きはない。
生きているのか、死んでいるのかさえ不明。
なぜ遺体に根っこのような触手が突き刺さっているのかも不明。
「未知」への恐怖は人間が持つ根源的な感覚に最も近いと言う。
この場にいる誰もが動けず、ただ黙って巨塊を見続けることしか出来ないのは当然なことだ。未知なものへ無策に接近するのは危険だし、十中八九あれが
「皆は、少しここで待ってて」
止められる前にメリィを連れ、進み出る。
「おいっやめとけよっ!」
「単独行動はっ」
当然ながら止められる。
声を上げたのはトーリとラウルだったが、その二人の声じゃない別の音も聴こえた。
おれは反射的に振り向き、口の前で人差し指を立てる。
静かになったおかげで周りの音がよく聴こえる。
何かが流れるような音か……脈を打つ鼓動の音も聴こえる。後者はあの巨塊からだ。実際に生きている生き物なんだと感覚を通じて理解してしまうと見分するのが怖くなる。
だからってやめるわけにはいかない。
遺体に刺さり、巨塊から伸びる触手は十五センチ大の太さで外見上は固そうに見える。変わらず遺体の損傷は激しく、腐り始めてもいる。触手にも遺体にも触るのは大分憚れる。
巨塊が生きた魔物である以上、動かない今は一種の冬眠状態なのか。そうであるなら、この触手は人間の遺体から養分を吸い取ってると言う考えも間違いじゃなくなる。
考えて、推測すればするほど、状況は悪化していく。
気乗りは全くしないが、触手の刺さる遺体の前で腰を落とす。
もし触手に動きがあれば切り落としていいとメリィに伝えている。鞘から取り出した大太刀がフードの中のメリィを綺麗に映し出す。
殺る気はあるみたいだ。
緊張する必要はない。メリィがいる。
おれは自分のすべきことをやるだけだ。
本格的に見始めると言っても、適当に弄り回すのは絶対に危ない。腰から引き抜いた短剣の切っ先で触手には触れないよう気を付けながら遺体を探る。
血まみれではあれが五体満足。右足は千切れかけてはいるが。
本当に酷い。こういうものには耐性があるので吐くようなことはないけど、まじで目を背けたくなる。
少し、動いてるな。
触手が脈動している。血を吸っているのだろうか。触手を解剖でもしてみなければ分からないが。
なるべく触手が動かないよう、短剣を使ってゆっくりと遺体を持ち上げる。胴に突き刺さる触手は貫通していないみたいだ。
「何なんだよこれは……」
何も分からない。
出た答えはそれだけだ。
「ショウヒっ!大丈夫かっ!?」
声量を抑え、それでいてぎりぎり聞こえるトーリの言葉に親指を上げて示す。おれは大丈夫だけど、何一つ分からないのは全然大丈夫じゃない。
未知を未知のままにしておくのは危険だ。
それが
一旦、皆の下へ戻ろう。
そう思った瞬間だった。
目の前を触手が通り過ぎた。メリィが引っ張ってくれたおかげで突き刺されずに済んだのだ。
ついさっきまで腰を落としていた場所の地中から突如、現れた触手をメリィは問答無用で切り捨てる。硬そうに見えた触手だったが、さも当然のようにメリィ振るった大太刀が切断する。
「構えろっ!」
レジーナの掛け声を共に騎士中隊の団員が武器を引き抜く。少し遅れてトーリたち有志のハンターも武器を構える。
切断されて尚、触手は気持ち悪く動き続ける。
そんな触手からは素早く距離を取り、素早く皆のいるところまで後退した。
「何をしたんだショウヒ!動き始めたぞ!」
「おれは別に何もしてませんよ……」
振り返ることはせず、背後で叫ぶラウルに答える。
本当におれは何もしていない。
振り返らなかったのは振り返る余裕がなかったから。
なんせ現在進行形で触手が動き始めているのだ。遺体に刺さっていたものだけでなく、地中からも何本か姿を現した触手は、まるで別々の生き物かのように忙しなく動き続ける。
普通に気持ち悪い。
こんなに嫌悪感を抱かせる魔物はそういない。
地中から飛び出してきた触手はメリィが引っ張ってくれていなければ、おれの頭部に当たっていた。当たると言うか、貫通していたかもしれない。
今、目の前で動き始めた触手はざっと数えて二十くらい。メリィに切断された触手も動いているが、先っぽの方は地面に落ちたきり動かなくなった。
触手はくねくねと動くだけで、さっきみたいに襲ってくることはない。触手の持ち主であろう巨塊にも変化はない。
「団長、指示を」
冷静さを取り戻したようで、ラウルがレジーナへ指揮を求める。
「ひとまず、誰も動くな。あれの正体が分からない以上、下手に動けば襲ってくる可能性がある。ラウルたち、『魔法使い』はすぐに放てる準備をしておけ」
「はっ」と短く、それでいて息の揃った返事に遅れること数秒、「はっはい」と裏返ったエリナの声が耳に届く。
「わたしが殺る?」
右手に持つ大太刀を構えることもせず、簡単なことかのようなメリィの一言には、いつもながら安心させられる。そしてそれはメリィが殺れると判断した結果でもある。
「いい。レジーナの言う通りにして」
「……わかった」
今のところ触手に敵意は感じない。
さっきのこともあるので敵意を感じないからと油断はしない。
しばらくの時間、動き続ける触手を眺め、ついに触手は遺体に戻った。動く前と同様に遺体へ刺さり沈黙する。
「一旦後退する」
構えたサーベルを腰の鞘に戻し、最後尾の団員から後退を始めた。巨塊と触手からそれなりに離れたところに数名の団員を配置し、レジーナは監視を命じる。
監視の団員から、また少し離れたところで野営地を作ることになった。
「結界石はドリスにあるだろうか?」
団員や有志のハンターたちが拠点作りを始める中、レジーナとラウル、おれ、メリィ、トーリ、エリナ、クリスさんは一ヶ所に集まっていた。
「あるとは思う。ドリスは商業都市だ。珍しい
クリスさんの意見は最もだ。
結界石は拳大の鉱石。込められた魔力量によって結界の強度が大きく変わり、閉じ込めたい対象へ投げ当てるだけで、後は勝手に対象を閉じ込める魔力結界が張られる。破るためには込められた以上の魔力をぶつけなくてはならず、外側からであれば結界の内側への透過性がある。
『至高の魔法使い』の一人が開発した最上級の魔道具だ。
結界の強度が込められた魔力量によって左右され、対象に投げて当てなきゃならないため汎用性があるか問われれば難しい。
「それが最善手だ。現状、あれに動きはない。結界石を使うには好都合で、『至高の魔法使い』と同等の魔力量を有するエリナが使えば、絶対に破れない。そうなれば、こちらが一方的に攻撃可能な檻が完成する」
あの魔物は未知の生物と言っていいかもしれない。
対面張って戦いを仕掛けるより、相手に動きがないのなら万全の準備を期すのは悪くない判断だ。
「誰が行く?僕も結界石がドリスに無いとは思わない。
「戦力は残して置いた方がいい。
「そう言うクリスさんも残った方がいいですよ、絶対」
「そうか?エリナ」
クリスさんへ大きく頷いて見せるエリナは錫杖を握り絞め、意を決したように口を開いた。
「私たちが取りに行きます!」
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