# 4 異常事態 ①

 ドリスを出たのは早朝だった。

 それにも関わらず異常事態イレギュラーの鎮圧に向かう騎士中隊を応援しようと多くの人が、ドリス東側の関所に集まった。


 期待と羨望が飛び交い、騎士中隊に混じる有志のハンターたちは中々に窮屈な思いをした。しかし、トーリだけは手を振って、あちこちに笑顔をばらまいていた。


 声援の多くは「純潔の騎士」として名の知れ渡るレジーナに向けられていたが、馬鹿トーリのように手を振ることも、目を向けることもせず、ドリスを発った。


 でもこういうのは普通、無事に戻って来られた時に行われるものだろう。華やかななのは勝手だが、どこか住民たちは勘違いしている。異常事態イレギュラーを甘く見過ぎているのではないかと思わずにいられない。


 商業都市ドリスでも、これまで何度か異常事態イレギュラーに見舞われている。しかし、そのどれもが派遣されて来た王国軍によって被害が拡大する前に鎮圧された。これまでの経験上、今回も大丈夫だろうと考えているのなら間違いだ。


 レジーナ含め騎士中隊の人たちに余裕は感じない。


 森林へ向かう道中も、これといって会話が弾むようなことはなく、到着してからは陣形を崩さず北西へ進み続けた。


 ドリスを発って半日の昼過ぎ。

 ラウルの持つ地図と探知石アリアドネの併用による現在地の取得で森をどれくらい進んだかを把握出来る。その地図によれば北西方向に進み、森の半ばまで辿り着いていた。


「全然魔物がいないな」

「それだけ強い魔物がいるってことなのかな……?」


 騎士中隊と有志のハンターを合わせて四十三人。それなりの大所帯であり、森の中を歩いていれば酷く目立つ。


「いるだろうな。外部から来た何かが北西一帯を縄張りにして、本来生息していたはずの魔物が追いやった」


 トーリとエリナの疑問へ律儀に対応するラウルだったが、その表情はどこか優れない。


「ラウル、何かあるの?」


 おれと同様にラウルの異変にレジーナも気付いていた。


「……あぁ。確かに、この片眼鏡魔道具で北西の方に微かな魔力を感じる。だが、弱いんだよ。弱過ぎる。異常事態イレギュラーの元凶とは思えないくらい」


 ラウルの掛ける片眼鏡モノクル型の魔道具は見た者の魔力を測るだけでなく、視界に映る魔力を見て感じ取れると。とんでもない代物だ。一体いくら出せば、こんな魔道具を買えるのだろうか。


「どうなの、メリィ?」


 声を潜め、地面に座るメリィに屈んで腰を合わせる。


「かんじるけど弱い。ラウルとおなじ」

「嫌な予感するな……」

「ショウヒはわたしがまもるよ?」

「おれだけじゃ、意味がないんだよ」

「そうなの?」


 どうしてこうなってしまったのか。

 今になって考えたところで、それこそ意味がない。出来る限り最善は尽くす。きっとメリィに頼ってしまうだろうが。


「ここまで来た以上、進むしかない」

「そうだなっ。レジーナの言う通りだ」


 そう言って立ち上がったトーリを引き金に北西への進行を再開した。


 地図が無ければ確実に迷ってしまう。

 背の高い木々が周囲に乱立する。入った時から全く変わり映えのしない、そんな景色は本当に進めているのかさえ怪しく感じてしまう。それに同じ場所を永遠に歩き続けているみたいで恐怖を掻き立ててくる。


 変わらない景色が永遠に続いているため、ちょっとした変化にも敏感になる。


「リュック……それに傷痕……」

「前に見たのと似ているのか?」

「ええ」


 木々に残る大きな傷跡を前にレジーナとラウルが言葉を交わす。


「何だよこれ……」


 トーリも木に残された異様な傷痕を前にして思わずといった具合に声を上げる。

 それもそのはずだ。突然現れた傷痕の大きさは、まずこの森に生息する魔物がつけられるようなものじゃない。元凶が「はぐれオーク」だという推測も、この爪痕のような傷を見た後だと、そうは思えなくなる。


 現在地から調査隊が消息を絶った地点は近い。

 逃げる際に捨てたリュックなのか。


 ラウルがリュックの検分は始めたので、それは任せてしまっていいだろう。


 おれはこれでも魔族研究者の息子だ。魔族だけでなく魔物についても両親から色々と教えられた。魔物の生態については人並み以上に知識がある、はずだ。


 傷の大きさは二メートルいかないくらい。深さはそれほどでもない。一番深いところで十五センチくらいか。鋭利な武器のようなものでつけられたにしては傷痕は荒々しい。切ったというより、削り取ったみたいな。竜種ワイバーンの止まり木にされた木には、こんな感じの鉤爪による傷痕が残る。


 とは言え、それは竜種ワイバーンが止まり木に出来るくらい巨大な樹木でないとあり得ないし、木の側面に残るわけもない。


 分かんないな……

 未だ見当さえ付かない。


 下半身の潰れたハンターから、人間を潰せてしまえるほどの巨躯。

 全身に裂傷を浴びていたハンターから、鋭利な武器か、爪のような部位。

 手足を欠損したハンターから、人間の手足を引きちぎれる力(欠損断面から噛傷によるものでなかった)。


 加えて、この傷痕、数メートル上空の木に突き刺さったハンターの遺体、生き残った調査隊員による証言等々。


 同一の個体が起こしたことだとは思えない。

 でたらめに憶測を広げるのを止めれば、調査隊員の証言を信じてしまう方がいい。


 体長三メートル。二足歩行の筋肉質な体躯。口元の拘束具。両手に持つ刃。


 オークであるなら、この傷痕は一体どうやって作ったというのか。証言にもあったように鋭利な刃物を持っているのは確実。ここにいるほとんどの人たちはその武器によって付けられたものだと思っているだろう。


 おれからしたら、爪痕のようにしか見えない傷だが、別に刃物でも形成することは可能だ。


 突き詰めて考え過ぎているだけだろうか。

 それでも、納得はいかない。


「ダン・レーベル、消息を絶った調査隊員のもので間違いない」


 リュックの検分を終えたラウルが戻って来た。


「しかし、本当にオークなのか?こんな風に傷痕を作って、縄張りを誇示する習性なんてオークにはないだろ」

「理性を失って凶暴化してるとかはどうなんです?」


 顎に指を当てて、目を細めるエリナが言う。

 安直な考えではある。だが、誰だってそう考えるだろう。


「凶暴化なぁ……俺たち、オークを見たことないから、あんまし分かんないな」

「それもそうね」


 「はぐれオーク」による人的被害は年に何回かという頻度だ。トーリたちがオークを見たことなくても不思議ではない。おれだって、文献に載った精巧なオークの絵を見たことがあるだけで実物を目にしたことは一度もない。


「凶暴化も十分あるだろうな。それで片付けてしまった方が楽でもある」

「魔力の反応はどう?」

「弱いままだ。距離感は掴めないから、近いのか遠いのか。僕にも分からない」


 何かがいるというのは確実で、動きがあれば伝えるようメリィには言ってある。さっきと同じように声を潜めて問う。


「距離はどう?」

「あとちょっと。でも、うごいてないよ」

「あとちょっとなら教えてよ……」

「うごいてないから」


 まぁそうだけどさ。「あとちょっと」のところまで近づいているのなら、ちゃんと教えて欲しかった。


 メリィの言う「あとちょっと」がどれくらいなのか、正確には分からない。詳しく聞いたところでメリィの語彙力ではきっと理解できない。


 しかし、ある程度の推測を立てるのは容易だ。

 このまま北西方向に進み始めば調査隊が消息を絶った地点に着く。調査隊の失踪地点というのは同時に調査隊を壊滅させた魔物がいたことを示す。


 「あとちょっと」という言葉から推測するなら、魔物が未だそこに居座っている可能性もある。


「こっから先は警戒して行こう」


 口には出来ないが、警戒を促すことはしてもいいだろう。


「そうね。魔物は近いかもしれない」


 レジーナも同調してくれた。

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