# 3 純潔の騎士 ②

 ラウルや団員の下を逃げ出して、一人、湖の畔を歩き続けた。


 湖面に反射する太陽の輝きに目を細め、澄み切った青空は荒んだ心を癒してくれる。軍人は常に集団行動を求められる。誰かが近くにいるのが当たり前になって、時おり無性に一人になりたくなる時がある。


 最近は特に。

 誰かといると気疲れしてしまう。今の私には余裕が無くて、酷い人間になっている。


 若葉の隙間から霧雨のように降り注ぐ木漏れ日に誘われ、私の足は湖畔近くの林道へ向く。鳥のさえずり、林道を吹き抜けるそよ風、降り注ぐ暖かな日差し、踏みしめる砂利道、全てが心地よく感じる。


 嫌なこと全部忘れていられる。

 もうずっとここにいたいとさえ思う。


 ここ一帯の魔物の目撃情報は少ない。生息する魔物も王国軍が定める低級な魔物しかいない。群れるような魔物もいないため、こうして私が単独であったとしてもまず負けない。


 油断は時として死を招く。

 ラウルが口癖のように言っていた。私も同感だが、今はもう少しだけ、ここにいせて欲しい。


 ちょっとした林道も終わりに近付いてきた。

 林道を抜けたら、団員たちのところに戻ろうと決めていたので一抹の惜しさを感じつつ、踵を返そうとした瞬間だった。


 林道を形成する木々のいくつかに傷が入っているのが目に入った。


 目に入った瞬間に思わず足を止めてしまうくらいには大きな傷だった。


 近付いて、さらにその傷跡の大きさに圧倒される。木の根本から木目に沿って数メートルにも及ぶ爪痕のような傷跡。それが周辺の木々にいくつも付けられている。


 さっきまで心地良い世界に浸っていた私を、現実に呼び戻すには事足りる異様さだった。


 ドリスまで二日も掛からないとラウルが言うくらいには異常事態イレギュラーの起こった場所に近付いている。


 この異様な光景は今回の任務と何かしら関係があるのかもしれない。


 そう思い付いた矢先、後方から、団員たちが休息を取っていた場所から警笛が鳴り響いた。あれは襲撃時に鳴らされる笛音だ。


 油断は時として死を招く。

 それは今の私に対してだけじゃない。団長不在の部隊に襲撃。ラウルがいて、団員たちも各々修羅場を潜り抜けてきた実力がある。


 だとしても、これで団員に何かあれば完全に私の落ち度だ。団員の命を預かる団長としてではなく、休息中に一人単独行動をしていた規律違反。


 違う。そうじゃない。何を言っている。

 団員に何かあったら規律違反をした自分が罰せられる。確かにそうだが、今、私は罰せられることを強く恐れてしまった。


 最低だ。

 噛み締めた唇から血が流れ出る。


 最低な味だった。


 異様な傷跡の付く木々に背を向け、木漏れ日の差し込む林道を駆け抜けた。さっきまでの心地良さは、もうどこにもない。


 ゆっくり歩いていたから、ここに居たかったから長く感じていた林道は、駆け抜けるとあっという間だった。


 林道の入口からでも休息場所は見える。

 そう遠くないし、湖に沿って歩いただけだ。


 休息場所だったところで団員たちと魔物が乱戦状態になっていた。遠くからでも魔物の正体は掴めた。


 フォレストウルフだ。

 群れを成して獲物を狩る。その名の通り、狼のような生態で、狼と同じような姿形をしているものの、体躯は一回り大きい。


 私の率いる騎士中隊は30人編成だが、それを優に上回る数のフォレストウルフが団員と乱戦状態にある。


 劣性には見えないが、保てている均衡がいつ崩れてもおかしくない。


 一個体の魔物として、フォレストウルフはさして強い魔物ではない。だが、数匹の群れを成して狡猾な狩りをする。群れて集団行動をするくらいには知能もあり、それなりに厄介な魔物だ。


 そんな魔物が、群れの規模を遥かに超えた群勢で襲撃してくれば不利な状況に立たされるのは道理だ。


 立ち止まってなんていられない。

 自分の感覚では二、三歩だった。遠くないといっても数歩で届くような距離ではない。だから、私の感覚だ。


「団長っ!東方向から増援だっ!!」


 腰に差していた半曲した刀剣———サーベルを抜くと同時にフォレストウルフの首を断ち切る。


 突如姿を現した私に数匹のフォレストウルフが連携を伴って迫る。左右と正面。愚直に真っ向から向かって来てくれれば諸とも切り捨てられると言うのに。


 それなりの知能を有するが故にフォレストウルフとの多対一は面倒くさい。


 地面を蹴り飛ばし、こちらからも距離を詰める。真正面から迫ってきたフォレストウルフを真上から切り下ろし一刀両断。


 そのまま刃を切り返して右側から飛び掛かってきた二匹目の前足を二本とも切断する。


 切られた足から血を吹き出しながら突っ込んでくる二匹目を躱し、三匹目の鼻頭をサーベルの護拳———柄を保護する半円状の鍔でへし折った。


 前足を失ったフォレストウルフの首にサーベルの切っ先を突き立てながら、私は指揮を飛ばす。


「増援は魔法で迎撃!!!白兵は援護に回って!!!」


 魔法を扱える者が、私の指示に従って増援の迫る東方向に向かい始める。迎撃の際は筆頭魔法使いのラウルが取りまとめてくれるはずだ。


 私のように魔法使いではない白兵特化の者はその護衛に転じながら、フォレストウルフの数を着実に減らしていく。


 団員が一匹のフォレストウルフを討ち取るまでに、私は三匹のフォレストウルフの首を切断する。


 狼同様、体毛と肉と骨しかないフォレストウルフは振るったサーベルの一太刀で容易に切断出来る。切断し切れないほどの肉厚さも、身体を守る外骨格も、フォレストウルフにはない。一回り大きいだけで、身体的な機能は狼と変わらない。


 乱戦と化していたのも束の間、今では一方的な展開となる。逃げ出すフォレストウルフもいるが、殲滅を目的にしてるわけじゃない。いなくなってくれるなら、それでいい。


 ラウル指揮の下、魔法による迎撃準備も素早く整った。


「ローグ・バーンズ・レディット」


 精霊魔法による詠唱から生み出された火球が上空に赤い絨毯を作り上げる。向かって来るフォレストウルフの群れに一斉に着弾した火球は同時に炎を伴った爆発を引き起こす。


 爆風と熱風が吹き付ける中、私は残党のフォレストウルフ、その最後の一匹を切り捨てた。


 刀身に付着した血を振って飛ばし、腰に提げた鞘に差す。


 ひとまず、私たちの勝利は確定した。

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