第3話 どうして私の身体は弱々しく、また周囲の人々は弱々しい振る舞いを求めるのだろうか

 6月7日、急遽 休憩に立ち寄った道の駅のアスファルトはまぶしい太陽を反射していた。こんな夏日なのに、梅雨森つゆもり地方は明日から梅雨入りする予報が出ている。

 千早は高地の空気を深く吸いこんで、ゆっくりと吐きだした。吐息は風に乗って、柵のむこうの谷底へと降りてゆく。この山の香りに満ちた空気が療養に良いのではないかと、みんなは気休めを言うのだ。展望台エリアから東にそびえる火原ほのはら山脈を一望していると、ボディーガードのライカが純白のカーディガンを肩にかけてくれた。


「お嬢様、お身体が冷えてしまいます」

 千早は礼を言って、カーディガンに袖を通した。


「売店に寄りましょう」


「かしこまりました」

 千早が歩きだすと、彼女は数歩の距離を保ってうしろをついてくる。売店の自動ドアはアンティークのような品があって、店内には駐車場と同じ森の香りに満ちていた。

 見たこともない商品たちが商品棚で輝きをはなっている。目を輝かせた千早だったが、レジの店員さんと少年の口論に気づいて耳を澄ませた。


「坊主、おまえ親はどうしたんだよ」


「車で待ってる。早くレジやってよ」

 レジの向こうにいる壮年そうねんの男性は訝しい瞳で少年を観察している。店員さんが怪しむのも当然だった。伸び放題の黒髪にはフケや油汚れが目立っているし、背中のリュックサックには穴が開いている。

 ちらっとライカに目をやると、彼女はすでに警戒網を張るべく片手でスマホを操っていた。売店のガラス張りの壁のむこうでは、千早のボディガードたちがこっそりと応援の態勢を整えている。


「もういいよっ」

 少年は買い物かごをレジに置いたまま、売店の出入り口にむかって歩いてゆく。その自暴自棄になったような横顔が気になって、千早は思わず彼をかばってしまった。


「あのっ。実は彼、私の父の知り合いの子なんです。保護者の代理でしたら付き人がいたしますので、どうかお買い物をさせてくださいませんか?」

 目で合図を送ると、ライカは珍しく動揺していた。


「えっ…………いや買い物は良いんですよ。ただ、坊主の恰好かっこうが気になったもんで、家出なら警察呼ばなきゃいけねえし」


「山小屋にはシャワーがありませんから致し方ないんです。今日は私たちを迎えに来てくれたのよね?」

 少年は唖然あぜんとした様子で、ワンテンポ遅れてうなずいた。


「いやあそうは言われても…………」


「彼、私と話すときはいつも緊張してしまうんです」

 千早は上目遣いで店員さんを見上げた。


「あ~、なるほどなあ…………わかりました」


「すいませんでしたお客様。すぐに会計しますんで少々お待ちください」

 壮年そうねんの店員さんは割りきってくれたようだ。山のように商品の入った買い物かごふたつを手際よくレジに通して、少年の会計を済ませる。千早は後ろ髪を引かれながらも、少年と一緒に売店を出た。


「ありがとう」

 少年はぶっきらぼうにお礼を言うと、そのままどこかへ歩いていこうとする。千早は彼を諭して自分たちの車に連れていった。いつも優しく美しいライカの顔が氷のように固まっていたことは、生涯忘れられないだろう…………。

 運転手さんが送迎車の扉を開くと、少年はなぜか唖然あぜんとしていた。理由をたずねると、後部座席にテーブルがある車なんて初めて見たからと少年は瞬きをした。

 送迎車が3人を乗せて駐車場を出ると、他のボディガードたちの乗った乗用車がうしろについてくる。前方をリードするのもボディガードたちの乗る別の乗用車だ。


「何か飲まない?」

 千早が微笑むと対面に座る少年がぎこちなくうなずく。こうして見ると顔は思ったよりも幼い。背が高いから年上かと思っていたが、年下かもしれない。


「ミルクティーは飲めるかしら」

 恵太が再びうなずくと、ライカが紅茶を淹れてくれる。


「安心して、何も詮索したりしないから。私は有地ありち千早ちはや 中学3年生です」


「浜家恵太です」

 明らかに警戒している様子だ。


「降りたいところが来たら教えて、車を停めさせるから」


「ありがとうございます…………お店にもまた行けるようにしてくれて、色々かばってもらって」


「また行けるって————」

 あ、そうか。山小屋から子供がたまに買い出しに来るって思われていれば、恵太くんはいつでもあの売店で買い物ができるのか。理解するのに少し時間がかかったが、千早はどういたしましてと笑んだ。


「でも気をつけてね。もしも近く『ダンジョン』があったら『モンスター』が徘徊してるかもしれないから」

 千早がこんな時期に別荘に向かっているのも、モンスターの出没が原因で九条学院が在宅授業に切り替えたことに起因する。当然、通学の目途はたっていない。

 追想を終えたところで千早は自分の見落としに気がついた。


「あ、ダンジョンって言うのは5月下旬に発見された恐ろしいモンスターの巣のことで、」


「『スペックアップ』っていう恩恵もあるんだけど、とっても危ないところだから近づかないようにね」

 連日のニュースは、スペックアップの魅力に取りつかれてダンジョンに入る人々に警鐘を鳴らしている。


「…………千早さんはダンジョンに行きたいんですか」

 

(私って嫌な女ね…………、自分はダンジョンを探しまわっているのに)


「————————えっ」


「千早さんはダンジョンに行きたいんですかって聞いたんです」


「ごめんなさい失念していて…………どうしてそんなことを?」


「なんとなく、そうかなって」

 気まずい沈黙が流れる中、ライカがティーカップを配ってくれた。温かい茶葉とミルクの香りが車内に充満する。


「ダンジョンその辺にあったから」

 恵太が沈黙を破って窓外を指さす。千早は思わず運転手に車を停めるようスマートフォンを手に取ったが、ライカにいさめられた。

 それからしばらく走ったところで、恵太くんは車を降りて山奥へと消えていった。

 車はふたりを乗せて再び道路を走りだす。


「お嬢様、あまりにも不用心です」

 ふたりになった車内でリンカがなだめるような優しい声を発した。


「ごめんなさい。気が気じゃなくて…………」


「売店で彼をかばったこともそうですが、彼を車に乗せ、彼の言葉のままに車を停めようとしたことはボディガードとしても友人として戒めなければなりません」


「本当にごめんなさい」

 まさか切望していた情報が家出少年の口から出てくるとは思わず、つられそうになってしまったのだ。

 警察官の娘として防犯リテラシーには自信があったのだが、自分は大丈夫だと思っている人が詐欺に引っかかるというのは本当らしい。その証拠に、嘘かもしれないとわかっているのに、まだ期待を捨てられなかった。


「…………恵太くんが言ってた辺りを調べるのは危険かしら」

 彼が指さした谷底の遠くに広がる森が頭から離れない。調べれば廃れた山小屋のひとつくらい見つかるかもしれない。


「お嬢様が現地におもむくことは許容できませんが、家人の皆さまにお願いするならば」


「ライカっ」


「千早様を選択的に狙った痕跡があった場合は、ご遠慮くださることを約束してください」


「わかってる、ありがとう ♪」

 ふたりを乗せた送迎車はそのまま火山県ひやまけん火山市ひやましの別荘地に入った。千早のもとに家人の調査結果が届いたのは、それから2週間後のことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る