Track:5 - Sophisticated Lady



「……時に、ここで何を?」


 得体の知れない凄み。そして、不思議なことに気品を感じる語り口。彼女が単なるいち役人でないことはリオンでも分かった。



「新人の教育はどうなってるんだ。ここには巡回の必要がないことを教わらなかったか。ハッ! さては支部内でハブられてるんだろ!?」


 仏頂面のフランクは声を張り上げる。険悪な中、リオンは逃げ出すこともできず、息を潜めて様子を見守った。



「『ならず者バスタード』風情が。天下の企業連合“ヘックス”に向かってどの口で?」


 彼女は耳に手をあて、大げさなジェスチャーで挑発する。しかし、フランクもいたって冷静だ。


「フン、下らん。もういい、失せな」

「おっと……あまりにもバカげていたかしらね。“アサイラム・・・・・に逃げ込んだ彼・・・・・・・をかばうのであれば、後悔させてあげましょう」



「――――ッ!?」



 リオンは耳を、そしてその両目をも疑った。

 その保安局員は武装を全くしていないフランクに向かって、リボルバー銃を構えたのだ。



「末端の使い走りにしては大きく出たな。サイコパスか?」

「“彼”を出しなさい」


「見間違いだな。ここには俺と、そこの坊主しかいなかった。ハナっからな」


 彼女は無言のまま、銃の先を少し上向けた。そして、引き金に当てられた細い指が動き始める。



「――ちょッ、ちょっと待ってください! その人は何も悪いことはしてないですよね!?」


「……いつ横槍を出すかと思えば。我々、特に保安局員への虚偽は罪に他ならない。君も同罪でしょうが……どうやら温室育ちに見える。顔をよく見せてください」


 彼女は銃を下げることなく、反対の右手で端末を取り出した。先端にはレンズが備わっている。

 リオンに端末を向けた彼女は不気味な笑みを浮かべた。


「ふふっ……そうか、そうかそうか。コーエン博士のご子息でいらしたか」

「父のことを知ってるんですか!?」



 横に伸びた口が開くことはない。にこやかな笑顔をたたえたまま、彼女はフランクに向き直った。



誘拐罪・・・



 閃光。銃声はほんの一瞬だけ遅れて聞こえた。



 ――まさか……本当に?



 撃たれた? フランクは撃たれてしまったのか?



 何かが倒れた音が聞こえる。呼吸が荒くなる。

 リオンは目を開けたくなかった。



 ――しかし、そんな恐怖も驚愕へと変えられた。他ならないフランク本人の一言によって。



「指はくっついたままか? 幸運だったな」


「……その言葉、そのまま返そう。生きていることに感謝することだ」


「へ……?」


 フランクは生きていた。余裕を持って構えている。しかし、保安局員のほうの彼女は左手を抑え、その場に座り込んでいた。



 ――拳銃は? どこへ行った?


 彼女の手を離れた銃はフランクが踏みつけていた。

 リオンは胸をなでおろす。ひとまずの危機は去ったようだった。



「あの頃よりも射撃の腕が良くなっているとは……暗闇の中でも撃ち抜くか…………」


 彼女は固まったまま微動だにせず、何かぶつぶつと独り言を呟いている。

 リオンには状況が飲み込めず、心神を喪失したような彼女の姿に釘付けになった。


「坊主、今日は家へ帰んな。この女は気が狂っちまってるみたいだ。幸い、スナイパーさんが銃を取り上げてくれたようだからな」



 半笑いのフランクに頷いて、言われるがままに逃げ出そうとした。


「レオナルド・リー・コーエン。君はヘックスに楯突いたらどうなるか、ご存知かな?」


 背後の彼女はこんなことを口走った。

 足が止まる。冷淡な口に、足首を掴まれたかのようだった。


 そして恐る恐る振り返ると、彼女の笑顔と、切り裂くような鋭い目つきがリオンに浴びせられた。

 真紅の瞳に己の姿が映る。



「君の家は分かる。母親のことも分かる。家へ帰るというのなら、また会いましょう」


 目が笑っていない。その視線からは逃げられるような気がしなかった。自分だけではない。母親にも、もしかするとQにさえ危害が及ぶかもしれない。



「それが嫌なら……ふふ、私に着いてきてもらえますか?」



「チッ、口の多い女だ」


 フランクが銃を拾い上げようとする。それが信じられない光景になるのに、須臾の時間すらもなかった。


 時間というものがコマ送りなのだとしたら、フィルムとフィルムの間に何かが起きた。時間の外側で何か起きた。

 そう表現するしかない。



 銃を手にしたのは保安局員。痛みもしない左手を抑えているフランクが、彼女越しに見える。

 それが次のフィルムだった。


「え……?」



「――息災か、“イービルアイ”! コーエン博士の嫡男ちゃくなんは私が預かります。この男を殺されては、お前も不都合でしょう」


「クソ、“ペンデュラム”か……」


窮地ピンチ好機チャンスに。土壇場なら優位の逆転は簡単に起こせる。これは能力ではありません」


 彼女はフランクへ銃を構えたまま、リオンに歩み寄ってきた。思わず後ずさってしまう。



「どうしました? 怖がることはありません。私はヘックスの人間です。あんな薄汚い『ならず者バスタード』じゃない。君の父親とも仕事をしたことがある」



 嘘か、嘘じゃないか。彼女についていくべきか、逃げるべきか。頭が回らなかった。


 一歩一歩、足音もなく距離は詰められる。その度にリオンは自分の意識が保てなくなりそうだった。



「バカ野郎……俺は死んでもいい。お前は、やることがあるんじゃないのか。さっさと失せやがれ」


 朦朧とする中、フランクの言葉が響く。



「――!? そ、そんな……見捨てたりなんてできません……」


「舐めんじゃねェ……俺はてめえに見捨てられるほど落ちぶれてねえよ。俺がどうなるかじゃない。てめえがどうするかだ」



 彼は保安局員から視線を外さない。しかし、その心は間違いなくリオンに向けられていた。

 そして、リオンもまた、そのことを理解している。



「……ぼく、ついていきます」


 自分のことを思ってくれているからこそ、その気持ちを無下にしてでもフランクに無事でいてほしかった。



「あらあら、良い子ね。貴方、この子に感謝したら?」


「チッ、クソが。好き放題言ってくれる……」



 ――先程の銃撃はQがやったものなのだろう。とすれば、今も彼はリオンのことを見ているはずだ。保安局員についていくことは、ヘックスを嫌うQの思いを踏みにじることかもしれない。


 リオンはフランクとQを思い、頭を下げた。そして、ラジオを指さす。



「……私を出し抜けるとは思わないことです。レオナルド君、ライトを借りていきましょう」


 保安局員はフランクが見えなくなるまで、後退りでその場を後にした。





 裏路地の更なる深み。ここまで来ると一周まわってゴミは全く見られない。しかし、動物の排泄物、死骸が散乱している。

 人の手が入っていないということだ。



「まるでジャングル。私も現場に出向いたのは久しぶりだけど、裏世界はまるで進歩していない……」



 やがて、2人の前にフェンスが現れる。


 彼女が地面を蹴るとその振動はリオンにも響いた。2mほど飛び上がった彼女はフェンスの向こう側に着地する。

 しなやかに身を翻らせた彼女はその金網を掴み、リオンが通れるほどの穴をこじ開けてしまった。


 呆気にとられているリオンに、金網の間から彼女の手が差し伸べられる。



「疲れましたか? 路地を抜けた先に車を手配してあります。それまで我慢……いや、私が背負って行くほうが早いか」

「い、一体、何なんですか? ただの保安局員さんじゃない、ですよね……?」


 こんな人に背負われるなんて冗談じゃない。


「疑わしい? それなら名刺をプレゼントしましょう。記念よ」

 

『ヘキサ・デシクラフト特殊執行機関 最高顧問 カレン・コルトレーン』



 銀箔の高級感、やたらと長い肩書き、『最高顧問』の四文字。

 続けざまに彼女は保安局の端末の画面を見せてくる。そこには彼女の顔写真とともに保安官と記されていた。


「昨日付けでケネル地区に配属されました」


 身分は分かったが、彼女が何者なのか余計に分からなくなった。最高顧問に……保安局員。あまりにも不釣り合いな2つの肩書き。

 総合的に見て、保安局員だということは真実だろう。



 ――それなのに、彼女は軽率に銃を抜いて、人を脅した。



 得体の知れない凄みが不信感という型に収まったような気がした。身分不明なままリオンを助けたQのほうが信用できる。



「……君の父親のことはよく知っている。よく使っていた黒檀の杖があったでしょう。あれは私が贈ったものですよ」


 まるでリオンをたぶらかそうとでもしているかのような一言。リオンとて、警戒を解くほど何も考えていないワケではない。



「しッ、証拠はあるんですか……! あなたが贈ったっていう」

「ここにはない。だから私は君をヘックスの本社へ招待しようとしている」


 カレンが指を鳴らすと、2人の位置は逆転した。リオンが先にいて、カレンはフェンスの反対側。


 その瞬間、リオンは誰かに首元を掴まれ、振り回されるようにして体勢を崩した。不意打ちで抵抗する間もなく、両手両足に手錠をかけられる。

 地面にぶつかるすんでのところで、リオンは引っ張り上げられた。


「ご苦労。バイクに見張りは付けたか」

「はッ、いえ。路肩に停車し、こちらへお迎えに上がった次第でございます!」


「バカね。“彼”のことだから先回りをして足を奪うはずよ。応援を呼びなさい」


 首を回して、背後にいるカレンの部下を確認する。

 赤い髪で、カレンと同じ制服を着た小柄な少女。リオンよりも一回り年上という印象だった。



「――何をするんですか! やっぱり、ぼくのことを騙したんですか!?」


 カレンは喚くリオンを見下ろし、彼の口元に指を当てる。



「お荷物は喋らない。私の期待は裏切らないほうが、身のためだと思わない?」



 カレンの恐ろしい笑みを最後に、リオンは目隠しをさせられたのだった。

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