第39話 虹色亭

 ユースラの中央部、最も高い建造物にその温泉宿はある。構造的に極少数の人間しか泊まれないため、一般予約は五年先まで埋まっており、特別予約と言われる枠は時価でしか買うことができない。興味本位で軽く値段を見たことはあるが、今の稼ぎでは百年働いても買えなさそうだった。この時は流石にルイザの提案を断ったことを後悔したものだが、予算に合わない旅館を諦めるのもまた旅の醍醐味として諦めていた。


 それがまさか、今日泊まれることになるとは。たまには街の一つでも救ってみるものである。


 という訳で、やってきました虹色亭!


「温泉か? まずは温泉か? それとも温泉?」

「落ち着きなさいよジン、ここは御飯も評判良いのよ。お腹空いたし、まずは腹ごしらえしましょう。すみません、女将さん、食事の用意お願いしますっ」


 落ち着けと言いつつユララも浮足立っている。なにしろここは最上階、展望露天風呂付きの和室だ。今すぐにでも湯に浸かりたいのをぐっと我慢しているのだろう。アメリアとカプーヤもはしゃいでいるように見える。


 それにしても高級畳の草の香りが落ち着く。異世界転移者は稀だと言うが、先人が頑張って畳を広めたのだろうか? 感謝しなくてはな。


 全員浴衣に着替えてくつろぐ準備は万端と言ったところで、夕飯が運ばれてきた。ちょっと遅い時間帯にここに来たので腹がペコペコだ。小型化したトテトテのぶんの食事も用意してもらっており大変にサービスが良い。


 豪勢な料理が並び、よだれが出る。なにしろ海も山も近い立地だ。海の幸も山の幸も盛大に盛り込まれている。ユララもカプーヤもアメリアもよだれを垂らしていた。全員で手を合わせる。トテトテも「キュポッ!」と鳴いた。


「いただきます!」


 これがこの食事で一番幸せな瞬間だったとは、俺は知る由もなかった。




 きっかけは俺の向かいに座ったアメリアの何気ない一言だった。


「ほらユツドーさん、これフライオクトパスの刺し身ですよ。一緒に温泉に入った時に見ましたよね?」

「おー、あの空を飛ぶタコか! よく捕獲できたなあ!」


 海岸沿いの温泉にアメリアと入った時に見た魔物だ。口に入れてみると、味は見た目通りタコって感じだが溶けるような食感がたまらない。俺が舌鼓を打っていると、横に座ったユララが俺の浴衣をくいくいと引っ張った。なんだ?


「ジン、あなたアメリア様と一緒に温泉に入ったの?」

「あ、ああ、まあな」


 責めるような響きを感じて少しどもってしまう。ユララは特に表情を変えずに「ふーん」とだけ頷くと、きのこ料理に手をつける。


「見てジン、ボヤきのこよ。一緒に温泉に入った洞窟のある森で採れるの」

「へーそうなのか。あの森も色々食えるものがあるんだなあ」


 ボヤきのこを噛じってみると、これも美味い。噛むたびにきのこ自体が熱くなるような不思議な食べ味だ。ボヤってもしかして小火か? きのこに夢中になっていると、アメリアがこちらをじっと見てくる。なんだ?


「ユツドーさん、ユララさんと一緒に温泉に入ったのですか?」

「お、おう、そうだな」


 妙な圧を感じてどもってしまう。アメリアは「うふふ」と微笑むと料理を食べるのに戻った。さっきからなんなの? 変な空気になってないか? アイコンタクトでカプーヤに助けを求めるが、カプーヤは「このお魚美味しいですね~」と幸せそうに頬張っていて気付かない。


 ユララとアメリアが話しかけてくるのはその後もずっと続いた。


「ユツドーさん、これは一緒に寝た森で採れるリロサビですよ」

「ジン、これヂツノーペにも使われているお肉だわ。一緒にデートした時に食べたわよね」

「ユツドーさん」

「ジン」


 ……。


 味分からなくなっちゃった……。


 二人が妙な圧をかけて話しかけてくるのが気になって、せっかくの料理が楽しめなくなってしまった。分からないのは俺に話しかけてきているように見えて、実はユララもアメリアもお互いを意識しているよう感じなのだ。友達になりたいけどきっかけがないから俺に話しかけているのか?


 こうなってはもうこの場を脱出するしかない。料理を一通り平らげた俺は、トテトテを肩に乗せて立ち上がった。


「ちょっと温泉入ってくるわ」


 すると何故かユララとアメリアも立ち上がった。


「あたしも一緒に入る!」

「わたくしも入ります」


 そして何故か釣られたカプーヤも立ち上がった。


「えっ? えっ? じゃあカプちゃんも!」

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