第37話 冷遇妃は皇帝に溺愛される


「長くなるんだろう? 座ってくれ」


 大きな寝台だ。二人が並んで座るぐらいの広さは充分にある。

 焔は戸惑いつつも、鈴花から距離を置いて座った。


「――俺は、先の皇弟と、皇帝の下級妃との間に産まれた。不義の子、というやつだ」


 あっさりと告げられたのは、驚愕の内容だった。


(私は、これを聞いていいのか……?)


 既に若干後悔しつつも、鈴花はそのまま耳を傾けた。


「生まれてすぐに元武官に引き取られて、自分に流れる血が何なのかも知らずに生きてきた。そして、五年前……『紫涙の変』で、ほとんどの皇族が死んだ。皇帝も、皇太子も、黄景仁も」


 鈴花は黙って聞いた。一つ一つの言葉をしっかりと。彼の気持ちや境遇を想像しながら。


「その翌年、突然宮廷に連れてこられた。黄景仁になるように言われて、わけもわからず即位した。それからずっと種馬扱いだ」


 不義の子として生まれた焔を、殺しはせずに監視しておいて、皇族の男が全滅したら、連れ戻して、黄景仁として扱った。――影武者、ではなく身代わりだ。


 育ての親はどうなったのか、聞けなかった。

 おそらく消されたのだ。秘密が漏れないように。


 身体が震え、涙が零れる。

 もうすでに身体が崩れ落ちそうだった。


「――焔としてあなたの前に現れたのは、紅妃が死んだ理由を知りたかったのと……あなた自身を見てみたかった」

「私を?」


 いままでずっと無関心だったのに。

 焔は――皇帝は、頷く。


「あなたならどうするだろうかと。牢獄に入れるのを阻止したかったこともある」

「それはそれは……」

「女官に変装して動き回っているのを見たときは、度肝を抜かれたが……」


 少し気まずそうに言う。


「……気づいていたのか……?」

「気づかれていないと思っていたようだから、黙っていたが」

「……誰にも気づかれたことがなかったのに……」


 倒れそうになる。

 恥ずかしくて消えてしまいたい。


「歩き方すら変えていたのに……私に無関心だったくせに」

「無関心だったわけじゃない」


 慌てたように言う。

 少なくとも、嘘ではなさそうだった。


「――幽霊を調べさせたのは?」


 問うと、一瞬口ごもる。


「……宮廷に連れてこられてから、ある夢を見るようになった。あなたなら、何かわかるのではないかと思ったんだ」

「――何が、わかったんだ?」

「……確証はないが、確信がある。地下にあった、並んだ二人……あの二人は俺の両親だ」


 地下の霊廟にいた、死しても離れなかった二人の骸骨の姿が思い出される。


「昔、言っていた人がいる。『紫涙の変』は、お前の両親の呪いだと。罪を犯したくせに、我らを呪ってきたのだと」

「…………」


 焔にそんなことを言えるのは、生き残っている皇族の誰かだ。

 彼はここに至るまで、どれほどの目に遭ってきたのか。


 固く握られた焔の手が、わずかに震えていた。


 怒りや、悔しさ――憎悪。


 いまにも負の感情に飲み込まれてしまいそうな焔の手にそっと触れる。

 ――戻ってきてほしいと、願いを込めて。


 しかし、触れた瞬間、焔は怯えるように手を引いた。

 これはさすがに鈴花も堪えた。


「……そんなに私には触られたくないか」

「ち、違う! 俺に触ると、あなたが汚れる、から――」

「こんなことで汚れるわけがない」


 ――そういえば、自分の前ではよく手袋をつけていたことを思い出す。

 焔は、自分が汚れていると思っている。


「むしろ、愛しい男になら染められたいよ」

「――――ッ?」


 動揺があからさまに顔に出る。


「――でも、やめておいた方が賢明だな。言われているだろう? 白家の娘には手を出すな、と」


 いつの間にか縮まっていた距離を戻す。


「私はいずれ、お前を生き返らせて死ぬ身だ」


 白家の神器を受け継いだ者は、死者を蘇らせる力を持つ。

 ただし生涯でただ一度。代償は、術者の命。


「それに、白家の血を黄家に混ぜるのは、黄家は絶対に許さないだろうしな」

「そんなことはさせない。鈴花の命を犠牲にしてまで、生き長らえるつもりはない」

「お前にそのつもりがなくても、そういう契約なんだ」


 鈴花は線を引くように、強い言葉で言い切った。


「黄家を――龍を存続させるのが契約だ。我々は、言うことを聞くしかない」


 ――この大地には、神がいた。

 ある時、天から降りてきた龍に、神の座を譲った。

 その古き神の末裔が白家だ。


 古き神は龍に負けたのだ。

 敗者は勝者に従うしかない。

 でなければ、完膚なきまで磨り潰される。


「触れたら汚れるのは、お前の方だ」


 呟いた刹那、強い力で抱き締められた。

 隔たりがなくなり、熱を感じる。


 抱き締められるのは二度目だ。

 だが、これはあの時とは違う。

 自分の体温も一気に上がる。


「焔、離して――」


 自分が変わるのが、変わってしまうのが、怖い。

 押し返そうとするが、まったく動かない。


「嫌だ」


 耳元で響く声は、苦しくなるほど切なかった。


「あなたを初めて見たとき……なんて美しいんだろうと思った……自分が触れてはいけない存在だと思った」


 言葉とは裏腹に、抱き締める腕に更に力が入る。


「……距離を取るべきだと思っていた……知れば知るほど惹かれて、自分でもどうしようもなくなって……離れた方がいいと思った……」


 ――だから、焔を後宮には出さないと言ったのか。


 縋るような腕に抱かれながら、鈴花は思った。


「本当に、自分勝手な男だな」


 背中をぽんぽんと叩く。

 ここに自分がいることを教えるように。


「どこにもいかないよ。でも、苦しいから緩めてくれ」


 ようやく少し力が弱まり、鈴花は大きく息を吸い込んだ。焔の体温と匂いと共に。

 頬に熱が溜まるのを感じながら、顔を見上げる。


見つめ合う


「……俺は、こんな血は滅びてしまえばいいと思っていた」

「…………」

「自分で命を絶つことも考えた。だがそのせいで、あなたが犠牲になったらと思うと、できなかった」

「……思いとどまってくれて、嬉しいよ。でなければ私は、お前の死体の前で、お前の正体を知っただろうからな」


 もしそうなっていたら、自分がどうなっていたかわからない。


「――いつか、白家に帰すつもりだった……だが、空の黄龍を見たとき――」


 西の夕暮れの空に現れた、巨大な黄龍の雲。

 黄金に輝き、炎を纏ったような姿。

 鈴花も鮮烈に覚えている。


 ――焔と、目が合う。


「いままでとは別の夢を見た」


 吸い込まれそうな、まっすぐで、力強い眼差しだった。


「鈴花といる未来を願った。俺が、ここで、こうして生きていることに意味があると――信じたくなったんだ」


 強い言葉に込められた、強い意志が眩しかった。


「俺は、この国を、より良いものにしていきたい。より強く、より豊かに。古い因習を打ち破り、俺自身として生き、この国を変えたい」


 その姿は本当に、炎を纏った黄龍のようで。

 だが、人間で。


「――鈴花……俺の、唯一の妃になってほしい」


 そう願う姿は、ひとりの男のものだった。


「……ひどい男だ。私の心を弄んで」

「そんなつもりは……いや、身勝手なことはわかっている……」


 この先にあるのが目映い未来か、破滅的な道か、いまは何もわからない。

 だが焔は歩き出そうとしている。自分の道を。

 その彼が必要としてくれるのなら、共に地獄まで堕ちてもいい。


 ――だが。


「物事には、順序というものがある」


 伸ばした指で、そっと唇に触れる。


「皇妃となれるのは、皇子を生んだ妃だけだ」


 恋心というのは、誰にも止められない。

 たとえ、自分自身であっても。


「順序……そうだな、すまない。順序が滅茶苦茶だった」


 焔は恥じ入るように視線を逸らし、そして再び鈴花を見た。


「好きだ」


 短い言葉に、心臓が大きく跳ねる。


「好きだ、鈴花。もう、あなたのいない世界は考えられない。苦労を掛けることになると思うが、俺は、鈴花と共に生きていきたい」

「私も――私も、好きだ」


 込み上げる喜びのままに抱き着く。


「愛してくれ、焔」


 神も龍も関係ない。新しいも古いも関係ない。誰かの思惑も、しきたりも。


 鈴花の唇に焔の唇が重なる。その感触が、いままでにない高揚感をもたらす。


 因習を打ち破りたいとか、新しい国をつくりたいとか、そんな崇高な気持ちではない。

 いまここにあるのは、純粋な気持ちだけだ。


 愛しい男と共に生きたい。

 ただ、それだけ。


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後宮冥妃の検視録~冷遇妃は皇帝に溺愛される 朝月アサ @asazuki

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