第28話 広がる病
――新年の宴の翌日。
奇妙な胸騒ぎと震えを感じながら、鈴花は目を覚ました。
(今日は一段と寒いな)
部屋の空気は冷たく、吸い込むと痛いほどだった。
鈴花はもぞもぞと布団に潜り込み、小さく丸まって柔らかな温もりに包み込まれる。
寝台の中で静かに暖を取っていると、廊下からどたばたと足音が響いてくる。
「白妃様! 大丈夫ですか?」
女官の琳琳が慌てた顔で部屋に駆け込んでくる。
布団から這い出た鈴花は寒さに震えつつ、琳琳を見つめた。
「琳琳、どうした?」
「変なところはありませんか? 身体に、紫の痣がたくさん出ていたり」
「なんだいきなり……少し待ってくれ」
あまりの迫力に気圧されながら、自分の身体を確認していく。身体の調子、肌の色。腕に胸、腹に足、どこかに異変はないか。
見る限り、特に異常はない。
「大丈夫だ。いつもと何も変わらない」
「よかったぁ……」
声には心底からの安堵が込められていた。
鈴花は寝間着を整えながら、琳琳を見上げる。
「いったい何事なんだ」
「――実は、後宮中で変な病気が流行っていて」
琳琳の声は小さく、しかし重々しく響く。
「変な病気?」
「はい。他の宮の侍女の方々や、女官の一部、そして蒼妃様と、玄妃様にも症状が出ているようです」
「……それは、どんな症状だ? ……紫の痣が出るのか?」
「はい。ひどい風邪のような症状と、身体中に鱗のような紫の痣が出るそうです」
琳琳の言葉に、鈴花の心の中で不穏なものが浮かび上がる。
(とても……嫌な予感がする)
鈴花は琳琳の顔をまっすぐに見つめ。
「琳琳、すまないが、どんな者が発症しているのか、あるいはどんな者が無事なのかを調べてきてはもらえないか? 詳しい症状も知りたい」
「わかりました!」
「それから、琳琳自身は大丈夫なのか?」
「あたしは全然平気です!」
「それはよかった。では、頼む。ただし、くれぐれも気をつけてくれ。病人に近づきすぎたり、患部に触れたりは避けた方がいい」
「わかりました!」
琳琳は力強く頷き、元気よく部屋を飛び出していった。
鈴花はもぞもぞと着替えを始める。
(さてはて、いったい何が起こっているのか……ただの感染症なら、ほどなく収束するだろうが……とりあえず、全滅していなくて不幸中の幸いというところか)
全員が病にかかっているわけではなさそうだ。
まだ発症していないだけかもしれないが。
(感染症だとしたら、広まったのは昨日の宴でだろうな……)
大広間には多くの人間が詰めかけていた。
あれだけの人口密度が高い状況は、後宮ではほとんど発生しない。
(いったい誰が持ち込んだのか……いままで聞いたことのない病気だから、玄家の人間の可能性が高そうだが……後で確認しておくか。このような病気を聞いたことがあるか、対処法や治療法はあるのか)
衣を変え、帯を巻きながら、鈴花は後宮中央の天寧宮のことを思った。
(皇帝と……焔は、無事だろうか……)
その時、胃が空腹を訴える。
(今日は……朝餉は食べられるのだろうか……)
近々の不安を抱きながら、鈴花は琳琳の帰りを待った。
戻ってきた琳琳は、鈴花用の朝餉を抱えていた。
あたたかいお粥と漬物だけの朝餉だが、格別に美味しそうに感じた。
「とりあえず、女官の一部や、後宮女官や下女、宦官の方々は発症していないようです。ですから、食事については大丈夫です」
「それはよかった」
心の底から喜び、朝餉を食べ始める。
食事が提供されなくなれば、それこそ大事だ。食事と洗濯が止まってしまえば、それこそ別の病が発生する。
「痣が出ている方たちは、ひどい風邪のような症状を患っているそうです。熱が高かったり、咳が出たり、喉が痛かったり、身体中が痛かったりとか聞きました」
琳琳の報告を聞きながら、やはり風邪の一種なのだろうかと考える。
そして。
(なんというか……身分が高い者たちが患っている気がするな)
女官には、貴族の娘もいるが、大抵は貴族ではない、裕福な家の女子――あるいは非常に勉強ができる庶民の女子だ。後宮女官や下女は、外から職を求めてやってきた民たちだ。宦官は、後宮で皇帝に仕えるために――あるいは罰によって、去勢された男たちだ。
彼ら彼女らは無事なのは、やはり身体が強いのだろうか。
(私も一応貴族だが……龍帝国の貴族とは別物だ)
白家は地方貴族で、黄家や他の帝国貴族とは血を混ぜずに生きてきた。
他の貴族たちからすれば、異物である。
(まあ、このあたりは妄想か。病が、貴族かそうでないかを選んでいると考えるのは非現実的か)
考え込んでいると、琳琳がぽつりと呟く。
「……龍泉水ってもう残っていないのでしょうか」
「……うん?」
「万病に効く霊水ですし、この病気にも効くはずです」
「どうだろうな……割と大盤振る舞いしていたようだし」
残っていたとしても少量だろうし、だとしたら皇族や大貴族が独占するだろう。
「……琳琳は賜ったのか?」
「はい。少しだけでしたが、後宮にいる希望者全員、いただくことができました」
鈴花の心に疑念が浮かぶ。
「後宮にいる希望者全員が飲めたのか。それなら、なぜ病が流行している?」
「え? えっと、それは……飲んだ後に、罹ったとか」
「予防効果はないということなのか……? ……一度に罹った人数を見るに、感染症なのだろうが……罹った時期は、皆が揃った新年の宴だろうな……」
考えを口にしながら、更に考えていく。
そして鈴花は一つの結論に達する。
「事実だけを追っていくなら、龍泉水が原因としか思えないが」
「まさか! 龍泉水はありがたい霊薬だと、皆が言っていました。病気の原因になるなんてありえません。食事の中に悪いものが入っていたか、悪い風邪――そう、風邪です!」
琳琳は断言するが、鈴花の疑念は深まるばかりだ。
そもそも、龍泉水が真に万病に効く霊薬ならば、こんな病が蔓延すること自体がおかしい。
(それにしても、琳琳はどうしてこんなに龍泉水を信じているのだろう……いくら、神話由来だからと言って……)
龍泉水は初代皇帝がもたらした奇跡の水。それがただの水や薬以上の意味を持ち、信仰されているのは、鈴花にもよく感じられた。
――龍泉水は、龍の――皇帝の威光そのものであり、龍帝国の繁栄と安寧の証なのだ。
それを疑うなど、臣下として、民として、あってはならない。
そう無意識に刷り込まれているのだろう。
――鈴花は、正直なところ、そこまでではない。
誰かに聞かれれば不敬だと思われるような考えでも、普通に考える。
思考の内に、禁忌はない。
西宮で静かに思考に耽っている折、一通の文が鈴花の元へ届く。
皇帝からの、呼び出しだった。
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