第25話 結末


 ――小紅妃の事件から数日後。

 後宮の庭園は薄い雪が積もり、純白の絨毯を敷き詰めたように、清純で穏やかな風情を醸し出していた。

 そんな中、鈴花の住む西宮では茶会の準備が整っていた。


 他の妃を招いての、初めての茶会だ。


(まさか、私がこんなことをするようになるなんてな……)


 茶と茶菓子、そして白い磁器の茶碗と茶釜を見つめ、感慨深くなる。不思議な心境だったが、不快ではなかった。むしろ達成感がある。


「――白妃様、蒼妃様がいらっしゃいました」


 琳琳に告げられて、鈴花はすぐさま蒼月瑛を出迎えに、宮の入口へ行く。

 後ろに侍女を二人引き連れた蒼月瑛は、今日も――いや、今日は特に美しかった。細部まで繊細な化粧をしていて、青い衣も、澄んだ青空のように美しい。


「本日はお招きいただきありがとうございます。白妃様――」


 蒼月瑛の笑顔が一瞬、固まる。その視線の先は、鈴花の隣にぴったりと寄り添う紅明璃に向けられていた。


「蒼妃、来てくれてありがとうございます」


 鈴花が笑顔で蒼月瑛を迎えると、紅明璃もぺこりと頭を下げる。


「こんにちは、蒼妃さま。先日は騒がしくしてしまい、申し訳ございませんでした」


 ――あの一件以来、紅明璃はすっかり鈴花に懐いていた。いまでは互いに頻繁に宮を行き来するほどだ。

 鈴花も南宮に行き、紅明璃と小夏と遊ぶのが楽しくて仕方なかった。自分も猫を飼いたいと思うほどに。


 蒼月瑛は彼女らしくなく口元を引きつらせたまま、そっとそれを袖で隠す。


「小紅妃様もいらっしゃったのですね。先日は大変心配いたしましたわ。ご無事で本当によかったです」

「ありがとうございます、蒼妃さま」

「それにしても、白妃様と随分仲良くなられたようですわね」

「はい! わたし、鈴花おねえさまが大好きです! とっても凛々しくて、格好よくて、きれいで、やさしくて、すごくすごく、大好きです!」


 明るく笑いながら、ぎゅっと鈴花に抱きつく。


「あら、まあ……」


 蒼月瑛は、すぅ、と息を吸い、目を細めた。


「とても微笑ましいこと。ですが、白妃様と過ごした時間はわたくしの方が長いのですよ。白妃様の読まれる詩の美しさや、舞いの素晴らしさは、まだご存じではないでしょう? あの端々にまで込められた美意識を」


 紅明璃が鈴花の裾をつまんだまま、む、と頬を膨らませる。


(……ふたりは、何の話をしているんだ?)


 会話を楽しむのなら、茶を飲みながらにしてほしい。

 どうして部屋にも入らずに、敵愾心を燃やしているのだろう。


「蒼妃さまと鈴花おねえさまは、仲がよろしいのですか?」

「ええ、よく一緒にお茶もしていますし」


 蒼月瑛が答える。


「わたしも、鈴花おねえさまとよくいっしょに遊んでいます」

「まあ、可愛らしいこと……」


 和やかな雰囲気に見えて、何故か緊張感が漂っている。

 奥に控えている琳琳も、何故か緊迫した表情をしていた。


 その次の瞬間――蒼月瑛が短くくしゃみをする。


「蒼妃、大丈夫ですか?」

「し、失礼しました――くしゅっ、くしゅんっ」


 蒼月瑛のくしゃみが止まらない。瞳は湿っている。

 ひとしきりくしゃみを繰り返した後、蒼月瑛は口元を袖で隠したまま、弱り切った顔を見せる。


「……申し訳ございません。風邪を引いてしまったのかもしれませんわね……とても残念ですが、ここで失礼させていただきます……おふたりに移してしまったら大変ですもの」

「いえ、気にされないで、お大事になさってください」


 蒼月瑛はそのまま侍女と共に、回廊を引き返していく。

 鈴花は残念に思いながらも、その背中を見送った。


(風邪が悪化しなければいいのだが)


 紅明璃も心配そうに蒼月瑛を見送っていた。

 鈴花はその手を握り。


「お茶にしようか、小紅妃」


 宮の中に入り、部屋にまで戻る。

 月餅を火箸の上に置いた網の上に置き、茶を淹れていく。


 まずは、少し冷ました湯を使って、飲みやすい温度の茶で冷えた身体を温める。次に熱い茶で芯から温める作戦だ。


「どうぞ」


 ややぬるめの茶を紅明璃に差し出す。

 温度の関係で、やや甘く感じるはずだ。茶を飲んだ紅明璃の顔がぱあっと輝いた。


「……おいしいです!」

「それはよかった」

「――そうだ! 昨日皇帝陛下とお話ししたんです。皇帝陛下も、鈴花おねえさまはすごいとおっしゃっていましたよ」


 紅明璃は無邪気に笑う。


(皇帝に話したのか……)


 どんな意味ですごいと思われているのか。

 考えると怖いので、気にしないようにしておく。


「困っていることがないかと聞かれたので、食事が冷めているのが嫌だと言いました! なんとかしてくれるっておっしゃっていました」

「それは素晴らしいことだな。楽しみにしておこう」


 紅明璃の熱視線を感じ、視線を向けると、紅明璃は目をきらきらと輝かせながら鈴花の髪を見つめていた。


「――鈴花おねえさま、今日の髪飾り、とても似合っています」

「ありがとう」


 焔からもらった髪飾りを、今日初めて身に着けた。皇帝から賜った簪と一緒に。

 宮の外に出ない日ならいいかと思って、今日という日にした。

 髪飾りにそっと手を触れる。


「とても大切なものなんだ」


 その時、月餅の焼ける香ばしい匂いがふわふわと漂ってくる。


「――さあ、月餅が焼けた。一緒に食べよう」


 そしてその日は、二人で熱い茶と熱い月餅を楽しんだ。

 寒い日の、とても暖かい記憶として、鈴花の胸に刻まれた。


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