第20話 買い物



「次はあの店に行ってみましょうか」


 汁粉屋を出てすぐ、焔が提案した先には、「錦華院」と看板が掲げられた大きな店があった。

 ずっしりと店構えや、細部の彫刻や細工が、店の歴史と高級感を感じさせる。



 扉が開いた瞬間、高貴な雰囲気が鈴花を包み込んだ。

 店内に並ぶのは、美しい絹織物、繊細な陶器、輝く宝石。

 それぞれ一流の仕事と感じさせるものばかり。まるで宝物庫だ。


 豪華な絨毯に足を沈め、店内を進む。絢爛な商品が作り出す幻想的な光景に吸い込まれてしまいそうになりながら。


 不思議なことに、店内には店員らしき人間のほかに客はいなかった。

 ――鈴花は知らないことだが、今日この店は貸し切り状態となっている。

 静寂が、店内を厳かな空気にしていた。


 特に目を引いたのは、店の中央に鎮座する陶磁器たちだった。

 その中でも一つの香炉に、鈴花の目が奪われた。


「お目が高い。その香炉は亡き名工の手による逸品です。どうぞ、お手に取って見てください」


 奥から出てきた店主らしき中年の男が勧めてくる。

 焔が棚からそれを取って、丁寧に鈴花に渡してきたのを受け取った。


 深い緑の陶磁器は、表面に微細な光沢が浮かんでいる。指先でその艶やかな表面を撫でた。

 重厚感がありながらも繊細な造形で、金色の細工と紋様が美しい。龍や鳳凰が空を飛ぶ姿や、花々や葉が風に舞う様子が、精緻な筆使いで描かれていた。


 香炉の内側を覗き込むと、淡い金色の釉薬が施されていた。その光沢が照明の下で反射し、夢のような美しさだった。


「買って帰りますか?」


 訊いてくる焔に、鈴花はそっと耳打ちをした。


「これは、本物じゃないかもしれない」


 香炉を焔に返すと、焔の瞳が香炉を細かく観察していく。

 そして、店主を見る。


「――店主。この店は、偽物を販売する場所なのか?」


 焔が店主に向かって言った言葉に、店主の顔色が変わる。

 鈴花も驚く。まさか真正面から直接切り込むなんて。


「い、いやいやいや、まさか」


 店主は焔から香炉を受け取ってじっと見る。

 彼の手は緊張でわずかに震えていた。細部までしっかり確認していくその顔が、赤くなり、一瞬震えて青くなり、白く変わっていく。


「……偽物でした」


 店主は肩をがくりと落とし、唇を噛み締める。


「決め手は底の刻印です。微妙に傷が入っている。この時期の本物ではありえません」

 

 偽物に騙された悔しさと怒りと恥で、わなわなと震えていた。


「偽物を店頭に並べたとなると、店の評判に関わります。この店のものなんでも差し上げますので、どうか黙っていていただけませんでしょうか」

「では、これが欲しい」


 鈴花は偽物の香炉を指差す。


「これは、素晴らしい出来だ。そして職人の執念も感じる。俺の魂を見てみろ、と声が聞こえるようだ。これだけの腕ならもっと完璧なものをつくれただろうに、それをしなかった。なかなかないものだ」

「申し訳ございませんが、偽物をお譲りするわけにはまいりません」


 店主の言うことは商売人として至極もっともだ。


「では、これを作った職人がもし見つかったら伝えてくれ。技術と美意識は本物だ。次からは、自分の名前で売ってみろ、と」


 呆気に取られている店主に背を向け、店内に並ぶ品々を見つめる。


「ふふっ、楽しみができた。きっとこの先、素晴らしい逸品を生み出してくれるだろう」


 それはきっとここにも並ぶだろう。


「――ああ、この櫛もいいな」


 鈴花は、紫檀で作られた美しい櫛を指差す。深紫の木目には繊細な模様が刻まれており、光の当たる角度によって異なる表情を見せる。


 艶やかな紫檀の木は、使うたびに少しずつ変わる色合いを楽しませてくれるだろう。


「これをいただこう。お代はちゃんと払うよ。こちらの者がな」


 背後にいる焔を見上げ、微笑んだ。




◆◆◆




 買い物を済ませ、馬車に戻る。

 車輪が軋む音が響き、馬車は静かに動き出す。


「よく偽物とわかったな。知っている職人だったのか?」


 焔に問われ、鈴花は首を横に振る。


「いや。知らないし、詳しくない。だが、なんとなく」


 鈴花は骨董に詳しいわけでも、鑑定眼があるわけでもない。

 だから、こっそり焔に伝えてみたのに、あんなにはっきり店主に聞くとは思わなかった。

 本当に偽物だからよかったものの、本物だったら大変なことになるところだった。


 それでも、鈴花には確信があった。


「名工の名品には、何らかの魂が籠っている。自信だったり、怒りだったり、愛情だったり。でもあれには、何というのか……空虚さがあった。それはそれで面白いから欲しかったのだが」

「…………」


 焔は一瞬、何も言わずに鈴花を見つめる。


「……あなたには、俺はどう見える?」

「いきなりなんだ」


 鈴花は焔の眼差しに戸惑いつつも、その真剣さに影響されて、真面目に考えた。


(……どう、と言われても)


 真剣に考えるが、考えれば考えるほどわからなくなってくる。

 鈴花はこの感情の名前を知らない。あたたかくて、安心して、時々腹立たしくて、時折切なくなるこの気持ちを、一体何と呼べばいいのか。


 詩の一つさえろくに詠めない。

 だから、素直な言葉で答える。


「焔は焔だろう。正直、まだよくわからないが、嫌いではないよ……お前がいてくれてよかったと思う」


 その言葉に、焔の目が一瞬だけ柔らかくなる。


「ところで焔。この櫛、とてもいいものだと思わないか?」


 購入した櫛を取り出して見せる。


「とてもよくお似合いです」

「いきなり従者の態度に戻るな。あと、これは私が使うのではない。私の可愛い女官への土産だ」


 いままで主人らしいことができていないので、ぜひ何か土産に持って帰りたかった。


 普通、主人は自分の使っている小物を侍女や女官に与えるらしいが、鈴花は与えられるほど多く持っていない。


 買ったのは自分の金ではないが、自分の外出のために用意された軍資金から出されたのだから、自分の金と言ってもいいだろう。


 琳琳はこの櫛を喜んでくれるだろうか。趣味に合わないかもしれない。少し不安だが、鈴花は琳琳にこれが似合うと思った。


「きっと喜ぶ」

「だといいな。焔がそう言ってくれるなら、間違いないな」


 安心して櫛を包みに戻し、背もたれに体重を預ける。


「……では、これは俺からあなたへ」


 焔は小さな袋を取り出し、そっと鈴花の手に置く。袋の織物は柔らかく、指に吸い付くような質感があった。

 袋を開いて中身を見ると、赤い宝石と透明な宝石が繊細な銀細工で結びつけられた美しい髪飾りが現れた。


 赤は鈴花の瞳の色だ。

 透明な宝石と銀細工と共に、鈴花の瞳と、本来の白い髪とよく似合うだろう。

 まるで誂えたかのように。


「これは……いつの間にこんなものを?」

「あの店で前もって誂えて、今日引き取ってきた。仕上がりが間に合ってよかった」


 焔の言葉に、大きく胸が高鳴る。心の中で「嬉しい、嬉しい」と小さな声が響く。ほんのりと湧き上がる温かな感情が、全身を満たしていく。


 ――だが。


「……貰う理由がない」

「今日の土産にしてほしい。受け取ってもらえないと、こいつも行き場がない」


 焔は少し困ったような顔をする。

 その表情が、鈴花の心に揺れをもたらす。嬉しいと素直に言いたいのに、喜びを伝えたいのに、湧き上がる様々な感情や、後宮妃という立場がそれを許さない。


 焦げ付きそうなほどに熱い胸と指先と、頭の中の冷静な部分が、静かに、そして激しくせめぎ合っている。


 ――それでも。

 鈴花は震える手で、髪飾りを握りしめた。


「……ありがとう。大切にする」


 焔に感謝の笑顔を向ける。それが精いっぱいだった。

 この髪飾りを見るたびに、今日のことを思い出すだろう。



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