第17話 地下の歴史
「さて、いったいこの先には何があるのか。焔は知っているのか?」
「――古い時代の霊廟だ」
あっさり答えが得られて、鈴花は目を瞬かせる。
どうしてそんなことを知っているのか。皇族か一部の重鎮ぐらいしか知らないようなことを。
まさか、焔は皇族なのだろうか。
(いや、まさか)
皇族は五年前の病でほぼ亡くなった。
男で生き残ったのはいまの皇帝だけだ。
(よほど高位の貴族の子息か)
ならばいままでの無礼な態度も納得できるが。
――そうなると、宦官ではない、ということになってしまう。
そして鈴花は焔の正体について考えるのを止めた。
「あまりにも古いため、いまは誰も開けられない。幽霊の死体探しはここまでだ」
焔はここで引き返すつもりだ。
「焔、私たちは幽霊騒動の解決という勅命を受けている」
「それはそうだが……」
「ならば、開ける以外の道はない」
鈴花は古い扉の表面に手を触れた。
扉に刻まれた四神と古代文字の凹凸に、歴史と神秘を感じる。
青龍、白虎、朱雀、玄武。それぞれが美しく、厳かにその存在を主張している。
――鈴を鳴らす。
身の内に宿る神鈴を。誰にも聞こえない音は、扉をわずかに振動させた。
だがやはり、開きそうにはない。
力で開けようとしてみるが、扉はびくとも動かない。長い年月の積み重なりによって癒着しているのか、何か術が施されているのか、しっかりと封印されている。
(何か変化があったように感じたのだが――……まだ足りないのか?)
自分ではこれ以上どうしようもなさそうだ。
鈴花は焔を振り返る。
「焔、この封印を解く方法、何かわかるか?」
問いかけると、焔は一瞬沈黙した。
迷いながらも何かを決意したかのように、提油灯を床に置いて、ずっと携えていた剣を抜く。
「離れてくれ」
言われて、場所を明け渡す。
焔は剣の刃で、四神が刻まれた部分に軽く触れる。
剣と扉が触れ合った瞬間、青龍と白虎、朱雀と玄武がほんのりと光を放った。
そして――
「くっ」
焔が声を漏らす。まるで剣が突然重くなったかのように、手に力が籠っている。
その瞬間、四神の中央に、黄金色の龍――黄龍が浮かび上がる。
雷が弾けるような音が響いた刹那、扉がゆっくりと奥に向けて開き始める。重い扉が動く音は、まるで古木が悲鳴を上げているかのようだった。
(本当に開いた……)
そう思うと同時。
「……本当に開いた……」
鈴花の考えていることとまったく同じことを呟き、焔は剣を鞘に納める。
扉に浮かんでいた黄龍は既に姿を消していた。
(黄龍は……四神の長であり、黄家の神獣……その黄龍を出現させた剣……)
――その剣が何なのか、鈴花は聞くつもりはなかった。
焔も話すつもりはないようだ。何も言わずに提油灯を手に取り、扉の奥を照らす。
暗い空間に光が差し込む。
「……これはとても、皇帝たちの霊廟とは思えないな」
鈴花の言葉に、焔も顔を顰める。
扉の奥に先にあったものは、無数の白骨死体だった。
「なんだここは……ここでいったい何が行なわれていたんだ」
無造作に散らばる人骨を照らしながら、焔は愕然としたように呻く。彼も知らないことだったらしい。提油灯の灯りがわずかに震えていた。
白骨死体の周りには、何かの祭事か儀式が行われたような痕跡が残っている。
何かが詰められていたらしき瓶、古い巻物に符、人の髪と思われる束、亀の甲羅、動物の骨。
――それらが、おぞましくもどこか神聖ささえ感じるのは、長い年月を経てきたからだろうか。
鈴花は光の届かない高い天井と、部屋の奥の闇を見据えながら、考えた。
そして、ひとつの仮説が思い浮かんだ。
「――焔、龍脈と龍穴の話を知っているか?」
「……だいたいは」
「龍脈は、大地の力だ。龍骨山の頂から続く龍脈は、いくつもの霊山の尾根を伝って下界まで流れてくる。その龍脈の力が溢れる場所を、龍穴と呼ぶ。都は通常、龍穴の上につくられる。もちろん、この都もそうだ」
――鈴花は古き神の末裔である白家の娘だ。
このような話は昔から普通に聞いてきた。
「残念ながら、龍穴の力は時を経るごとに弱まる。そうなれば別の龍穴の場所へ遷都するものだが、ここの都は長らくここにある。長い時間であまりに立派な都に育ち、地形的にもこれ以上の場所はない。だから、動かし難かったのだろう」
いまのこの都は理想的な位置にある。
大河に近く、海からはやや距離がある。平野は広く農耕に向き、立派な街道も何本も通っている。背後に自然の要害である山岳がそびえている。
この国の要として相応しい場所であり、外敵が来ても守るに容易い場所だ。
この場所以上の、遷都に相応しい土地はなかなか見つからないだろう。
「しかし、龍脈の力は弱まっていく。そこで――……龍脈の力を補うために、生贄を捧げることを考えたのかもしれない。だとすれば、この光景も説明がつく」
「――そんなことが可能なのか? 生贄で、龍脈を復活させるなど――」
「追い詰められた人間は、何にでも縋るものだ。ただ……長らく新しい生贄が増えていなさそうだということは、そういうことなのだろう」
すべては無意味だった。
「…………」
焔は押し黙る。怒りと無力さに押し潰されそうになっているかのような雰囲気だった。
鈴花は、他に何か手がかりはないかと、石室の中を歩く。
鈴花の足元で灯火が揺らめく。
そして、一組の白骨に視線が固定された。
「――このあたりは、そう古くないな。とはいえ二十年ぐらいは経っているか……大飢饉に見舞われた頃のものだろうか……」
女性の衣は色褪せていたが、かつては美麗だったのだろう。豪華な刺繍はないが、時を経てもなお優雅さを保っている。下級妃のものかもしれない。
「その頃と言えば、黒天狼の金喰みか……? それも、二十年ほど前だったか……? 十七か、十八だったか……」
「――黒天狼の金喰みなら、十八年前だ。俺の生まれた年と同じと聞いたから、よく覚えている」
「そうか。焔は十八なのか。私と三つ違いだな」
言うと、焔は微かに笑う。
「ならこれも知っていると思うが、その年は何十年かに一度の凶兆がまとめてやってきた」
「…………」
「昼間なのに太陽が隠れて暗闇となり、夜空に巨大な箒星が現れたり、大きな地震があったそうだ。そして、長命をもたらす龍泉水すら枯れた。時の皇帝はそれを、龍脈の力が弱まったせいと考えたかもしれない」
「そのために……生贄にされたと言うのか」
「状況だけ見れば、そんな結論になる」
優雅な衣を纏う女性の白骨の隣には、男性の白骨が寄り添うように存在していた。彼の服装は、どこか威厳を感じさせるようなものがあった。かなり高位の人物かもしれない。
二人の手首の間には、緋色の紐の輪が落ちていた。
かつて二人を結んでいただろう緋色。
それが滑り落ちてしまっても、二人は骨となっても寄り添い、その手は力強くお互いを結んでいる。何があろうと手を離さなかったのだ。
「…………」
そこから鈴花が見えたのは――
下級妃が、皇帝以外の恋人と逢瀬を重ね、それが見つかり、共に罪人として生贄にされた――という悲劇だった。
「……焔?」
焔がその二人を見る目は、怖いくらいに真剣だった。
「……この衣、俺が、夢で何度も見たものだ」
「…………」
「……ここに、いたのか……ずっと……」
重い声で呟く。
鈴花は静かにその横に立ち、彼の気持ちが収まるのをずっと待った。
焔の、詰まっていた呼吸が、静かに、少しずつ、整っていく。
鈴花は瞼を下ろし、腰に巻いている鈴を手に取った。
――鈴を鳴らす。
死者を慰める神の鈴を。彼らに敬意を示すように。
音のない鈴は、鈴花と死者以外の誰にも聞こえない。
だが、重く淀んでいた空気がわずかに軽くなる。
忘れ去られた地下で、積もり積もった恨みや嘆きが、ほんの少しだけ清らかになる。
――閉ざされた鈴花の目に、あの幽霊の姿が映る。
美しい衣を着た彼女は、美しい顔で、静かに鈴花と焔に頭を下げて。
そのまま、消えていった。
「……白妃は、この場所をどうするべきだと思う」
焔の声が、鈴花を現実に引き戻す。
鈴花は一度深く息を吐き、少しだけ考える。
「そうだな……私なら、地上で弔われたいかな。死体は土に還るものだが……魂は自由でありたいからな」
焔はそれを聞いてゆっくりと頷き、提油灯を掲げた。
「俺も、そう弔いたいと思う」
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