第弐話 幽霊騒動

第10話 幽霊騒動


 ――紅珠蘭の事件の騒ぎも収束しかけた頃、鈴花は再び皇帝に呼び出された。

 天寧宮の一室で、緞帳の向こう側から皇帝は言う。


「ここ最近、後宮内で幽霊騒動が起きている」

「……もしかして、それを調べろと? それは私の仕事ではないと思うのですが」

「どうせ暇を持て余しているのだろう」


 たとえそれが事実としても、そう思われているのは不愉快だった。

 そして事実、鈴花にはすることがない。琴の練習や踊りの練習ぐらいだ。あとは自分の身の回りの世話。


 そもそも後宮は暇なものだ。

 女たちは普段の生活と、教養を高めるのと、自分を磨くぐらいしかすることがない。皇帝の寵愛を受けておらず、受けるつもりもない鈴花は特にすることがない。


「人手を貸す。早急に調べてこい」

「――わかりました。確かにこれは、私の得意分野です」


 天寧宮を出た鈴花は、庭園を眺めながら西宮へ向かう。

 庭園は紅葉の赤や黄色で染まり、それが夕陽で照らされて絵のような美しさを放っていた。


 涼しい風が吹き、赤く染まった落ち葉が足元にひらりと舞い落ちる。なんとも切ない光景だった。


(幽霊騒動か……ここ最近で、後宮で人が死んだ気配はないのだが)


 たかが幽霊の話で大騒ぎしなくても、と思う。


 幽霊が人を殺したのでもなければ、気にしない方がいい。死も未練も幽霊も、この世には溢れかえっているのだから、いちいち気にしていたら身が持たない。


 だが、馬鹿馬鹿しく思えても、勅命だ。皇帝の満足いくような結果を見つけてこなければならない。


 それに、退屈が少しは紛れるかと思うと、ほんの少しだけわくわくした。





 次の日、鈴花の住む西宮に、焔が数本の竹簡を携えてやってくる。


「お前もご苦労なことだな」


 入口のところで焔をねぎらうと、彼は苦笑するような、困ったような、曖昧な表情をする。

 彼にも仕事があるだろうに、こうも何度も鈴花のお目付け役をさせられるとは、少々気の毒にだ。彼のためにも、早いうちに騒動を解決しないといけない。


「焔は、幽霊騒動とは具体的にどんなものなのか、知っているのか?」


 皇帝からはほとんど情報が与えられていない。

 問うと、焔は持っていた竹簡の紐をほどいた。乾いた音を立てて乾燥した薄い竹が広がり、そこに墨で書かれた内容を読んでいく。


「この目撃者は、深夜の庭で霧に包まれた女性の姿を見たと証言している。霧の中には花の香りが漂っていて、ぼうっとしている内に目の前で突然消えてしまったという」


 鈴花の顔には少しの驚きが浮かび上がる。


(まずいな……それは私かもしれない)


 ほんの時々、夜中に庭を散策することがある。

 白い髪に白い衣の鈴花は、月明かりの下、遠目から見れば、幽霊に見えるかもしれない。


「他は、御膳所から食べ物が消えている。誰もいないはずの場所で、物が動く音や、人の気配がする……物の配置が変わっている――そんなところだ」


 その辺りは自分ではないだろう。

 今後は夜中の散歩は少々控えようと思いながら、渡される竹簡を受け取る。ひんやりとした滑らかな感触が心地よかった。


 読んでいくと、幽霊騒動が発生した日時と場所、どんな現象か、報告したものの身分と名前が書かれていた。


 幽霊にしては、いかんせん生命力を感じる現象ばかりだ。


「……やはり、猿でも紛れ込んでいるのでは? この前は狸が入り込んでいたぞ」

「それは何かの比喩か?」

「まさか。本物だ。よく太った狸がいてな。森で暮らしているだけではああはなるまい。残飯を漁っているのか、餌をやっているものがいるのか、薬園の野菜や果実を食べているのか」


 丸い姿を思い出しながら話していると、焔がため息をつく。


「内壁の穴は塞いだから、逃げ遅れた狸や猿でもいるのかもしれない」

「塞いだのか?」

「当然だ」


 ――もったいない。

 口から零れそうになった言葉を飲み込む。


「もしそうなのだとしたら、捕まえるか追い払うかするまでが仕事だ」

「狸狩りか……少し、わくわくする」


 笑みが零れる。

 焔は一瞬顔を強張らせ、さっと視線を逸らした。


「……寝ている間に、女の幽霊に命を狙われたという話もある」

「それは本当に幽霊なのか?」


 幽霊が積極的に命を狙ってくるだろうか。

 それほど怖かった、ということかもしれないが。


「声を上げたらすぐに消えたらしい」

「ふむ……幽霊かもな」

「――他に気になることと言えば、紅妃の女官が一人、行方不明になっているらしい」


 その言葉に、鈴花は目を細めた。


「紅妃の従者たちは外に戻ったのではないのか?」


 主が死んでしまえば、当然従者たちも後宮から退去させられる。世話をする相手がいないのに、いつまでもいさせるわけにはいかない。


「そのはずだったが、途中で姿を消したらしい」

「まさか、その女官がどこかで命を絶って、その幽霊が後宮をうろついているとでも?」


 言いながら、ありえなくもないかも、と思った。


(……紅妃を探して……というのはありえなくもないか。死んだ人間の思いは、時折動く)


 大抵はその場にいるままだが。

 強い未練がある場合、それに引かれて動くこともある。


「その女官の名前は?」

琳琳リンリンだ」

「ふむ……」


 ――幽霊騒動。


 本当に幽霊かはさておき、何かが蠢いているのは間違いない。


 鈴花はにこりと笑い、踵を返して部屋へ向かう。途中で一度振り返り。


「そこで待っておけ。動きやすい服に着替えてくる」


 幽霊探し。あるいは狸狩り。

 どちらにせよ、とてもわくわくする。


(しばらくは退屈しないで済みそうだ)



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