第37話「……下駄を履かされる方も大変ですからねぇ」

 申助が木から降りた頃、太陽は山の稜線に接触し、姿を隠そうとしていた。

 気まずい、と思いながら屋敷の方へと向かう。戌二と一緒にあてがわれている部屋に戻ったが誰もいなかった。きょろきょろと周囲を探しながら国主の部屋に進む。障子を開けると、国主が真面目な顔でなにかの呪符を見つめていた。隣で狐次郎も一緒に顎に手を当てて考え込んでいる。


「国主様、戌二はどこに行ったんですか?」


 尋ねると、国主は申助の方を向く。


「ああ、先程トメが少し散歩をしたいと言ったから戌二と須久那が付き添っている。狐次郎も行こうとしたんだけど、トメに嫌がられてな」


 国主は視線で狐次郎を見る。先程の事が思い出されて身構えたが、彼は軽い調子で返した。


「そうなんですよ〜。俺のことが気に入らないのか、ついてくるなって頑なに主張して……」


 昨日の事を思い出す。確かにあれだけ冷たい対応をしていたらトメは狐次郎の事を苦手だと感じるだろう。


「仕方ないから早めに帰ってくるように言って待っています」


 何事もなかったかのような彼に胸を撫で下ろす。申助は後ろを振り返り、外の景色を見た。地平線のあたりは橙色に輝いているものの、天空はすっかり夜の気配を纏っている。


「そうなんですね。もうすぐ日も沈もうとしていますし、心配ですね」


「そういえばそうだな。須久那もこの付近の夜が危ないことくらいわかっているはずなのになぁ」


 首を傾げて国主も立ち上がり、外へ出る。


「おい、鬼火達! 集まれ」


 パンパン、と二度ほど手を叩くと朱色の炎が集まってくる。全部で十近くある個体は一つ一つが意志を持ち、宙空を飛んで移動する妖怪だった。


「悪いが、須久那達を探してきてくれないか」


 日が沈んだ夕闇の中での鬼火の明かりは美しかった。彼らはくるりと一回転すると、思い思いの方向へと散っていく。


「戌二もいるんだし、そうそう危ないことにはならないだろうが、念のためな」


 告げると国主は再び机に戻り、呪符に目を通す。申助もついていき、机の近くに座った。


「それは?」


 周囲は複雑な模様で縁取られ、中央に読み辛い漢字が隙間なく書かれている。


「富士楽で戌二や戌太郎が運ばれた小屋の隅に貼ってあった呪符だ。一枚くすねてきたんだよ」


 国主はネズミになり小屋を見て回っていた。その際に取ってきたのだろう。


「へぇ。何かわかりましたか?」


「あー……、複雑な呪文だが、まぁ……」


 国主はどこかきまり悪そうに返す。狐次郎は首を傾げた。


「何かあるんですか?」


「……信じがたいんだが、神堕としの呪符みたいだ」


「神堕とし?」


 小首をかしげて呪符を覗き込む。


「この呪符を四隅に貼ると結界が出来る。その中で一時的に神を妖怪に堕として人間に姿を見せる。その状態で人間とまぐわわせることで気を交流させる。妖怪と人間がまぐわったら人間に気を吸い取られ力が半分になり、抵抗力が弱まる。そこで半永久的に妖怪にする術をかけて神を妖怪にしてしまう。強力な呪いだから、呪符そのものは十二時間前後しか使えないがな」


 以前申助が捕まった時にはこの呪符は用意されていなかったのだろう。だから呪符を外せば御霊之神達は申助の姿を見失った。けれど今回は犬神族を狙っていたので事前に呪符の準備が出来ていた。


 国主が文字の羅列を指差しながらどの呪文がどの効果に対応しているかを教えてくれるが、複雑でわかりにくい文様なので理解できなかった。申助の表情から悟ったのか、国主は簡単に言い換えてくれた。


「つまり、夜伽に乗っていたら今頃戌太郎も戌二も妖怪にされていたんだ」


 神と妖怪の一番の違いは氏子から力をもらえるかどうかである。妖怪に落とされ力をもらえなくなった神は十年前後でこの世から消える。

 ぞくり、と背中が粟立った。


「は……? 何故?」


「わからん。しかし、製作者は神に対していい感情は持っていないようだな」


 申助は三人の男を思い出す。嫌な予感がした。


「……戌二達、遅くないですか」


 申助は振り返る。鬼火は戻ってきていない。十匹以上は居たはずなので、そろそろ一匹くらいは見つけたと報告をするために戻ってきていてもおかしくないのだが。

 国主も表情を硬くした。


「確かに遅いな」


「俺、探してきます!」


 申助は外へ飛び出す。待て、と国主の怒号が飛ぶ。


「単独行動はするな! 狐次郎! 一緒に行ってやれ!」


「はいっ」


 狐次郎も真剣な顔になって外へ出る。人間の体は何かと邪魔である。申助は転変し、猿の姿になった。服が脱げたがそのままにしておく。狐次郎も同様に狐の姿になると走り出す。国主は自分の付き添いに一反木綿を呼ぶと申助達とは別の方向へと探しに向かった。

 





 

「戌二〜! トメ! 須久那様!」


「どこですか!?」


 声を張り上げながら森を抜ける。狐次郎は地面付近を、申助は木の上を飛び移りながら周囲を探した。叫べども叫べども返事はない。鬼火が行き交う中、彼らの匂いを探すが微弱なものだった。少しでも戌二の匂いがする方へと手足を動かす。

 気がつくと、申助と戌二が発情期を過ごした神社に辿り着いていた。

 まさか、と思いながらも一応鳥居をくぐり境内を確認する。人間の泣き声が聞こえてきた。


「……?」


 賽銭箱の前で男が蹲り泣いている。治郎兵衛だ。申助は狐次郎と目を見交わす。狐次郎が顎で近づくようにと示したのでそっと後ろから近寄った。


「おい、どうしたんだ?」


 今も首からお守り袋を下げている。声は聞こえているはずだ。

 ひ、と治郎兵衛が振り返る。猿の姿を見て、彼は這いずって後ろへと向かった。


「さ、猿……?」


「お前、治郎兵衛だよな? なんでここにいるんだ?」


 構わず続ける。治郎兵衛は恐る恐る猿を指さした。


「その声……、もしかして神様ですか?」


「そうだ。おい、質問に答えろ」


 申助は頷く。もうとっくに太陽は沈み、獣や妖怪が徘徊する時間だ。治郎兵衛は目に涙を溜め、頭を深く下げた。


「神様! 神様! 本当に申し訳ありません! 朝はあんなことを言って! 俺、やっぱりトメの事が忘れられません! どうかトメを返してください!」


「はぁ!?」


 申助は声を張り上げる。今更何を、と咄嗟に考え、頭を振った。


「……トメに帰ってきてほしいのか?」


「はい! どんな状態になっていてもいい。俺は彼女の事が好きなんです! 喧嘩をした時も、今思えば彼女が怒るには理由があったんです! 俺は理解もしようとせずに一方的に彼女を黙らせていた。何とかもう一度彼女と話し合いたいんです!」


「…………」


 号泣する治郎兵衛を申助はじ、と見つめる。本当に彼にそんな事が出来るのか疑わしかった。


「……夜這いしていたくせに?」


「あれは!」


 がばり、と治郎兵衛は申助を見つめた。


「親にどうしてもと言われて……。俺は一人息子なので親にお願いされたら逆らえないんです! ……でも、トメの事が忘れられなくて、指一本触れておりません!」


 そういえば精液の香りはしなかったと思い出す。渋面を作って尋ねた。


「……本当に、本当に、大丈夫なんだな? トメを受け入れられる度量が、お前にあるんだな?」


 ぶんぶんと治郎兵衛は首を縦に振った。


「がんばります! 努力します! ですので、どうか、ぜひ!」


「……わかった。じゃあ、トメともう一度話ができるように取り計らってやるよ。それで駄目なら諦めろよ」


「はい! どうぞよろしくお願いします!」


 治郎兵衛は深く頭を下げた。その隙に申助は木に飛び乗り彼の前から姿を消す。しばらく走ると、下から狐の鳴き声がした。申助は足を止め、狐の方に近寄る。


「信じるんですか? なんかまたすぐに親に言われたから、で破局しそうな雰囲気があるんですけど」


 狐次郎だった。


「……わかんねぇ。でも、俺らはもともとアイツにお願いされて捜索を始めたんだ。氏子に幸せになってもらうのが氏神の務めだ」


「それはそうなんですけどねぇ……」


 狐次郎は納得がいっていないようである。最初にお参りをされた自分すらも治郎兵衛を信じきれていないのだからわからなくはない。


「まぁ、……下駄を履かされる方も大変ですからねぇ」


 狐次郎は顔を伏せ、ボソリと呟く。まさか彼が治郎兵衛に同情するとは思わなかった。どういうことだと申助は、じ、と狐次郎を見る。


「言っていたでしょう? 一人息子なんだから親の言うことには逆らえないって。人間の男、それも一人息子や長男は、嫁を娶って子供を作って育てて親を面倒見る大黒柱であることが当たり前という風潮があるじゃないですか。そうでない男は劣っていると見なされる。だとしたら、今の治郎兵衛の状況ってしんどいものがあるんじゃないのかなぁって思うんですよ。一応トメは失踪したことになってるんだし、嫁に逃げられた上に次の嫁もなかなか貰えないのかって村の連中に噂されているんじゃないですか? だから気が乗らなくても周囲からの圧に耐えきれず夜這いをした」


 狐次郎はどちらかというと治郎兵衛側の立場の人間なのだろう。申助はトメの立場に近かったので彼女の方に肩入れしていたのだと気がつく。立場が変われば見える世界が違うのだな、と狐次郎の物憂げな瞳を見つめた。

 話していると、ふいに鬼火が申助と狐次郎の周囲をぐるぐると回り、最後に狐次郎の鼻先で舞う。狐次郎は数度頷いた。


「須久那様を見つけたらしいですね」


 意思の疎通が出来るのか。申助は驚きつつも鬼火に視線を移した。ついてこい、とでもいうようにせわしなく揺れている。

 鬼火が先に飛び出し、申助と狐次郎は後を追った。進めば進むほど血の匂いが濃くなる。毛が逆立つような錯覚を覚えていたら、鬼火が集まっている場所に到着した。国主も既に到着しており、怒りを湛えた顔で目の前の光景を見つめている。

 須久那が頭から血を流して倒れていた。


「姐さん!?」


 狐次郎が駆け寄る。申助も彼女の顔へと近寄った。顔や体にところどころ文字が書き込まれている。国主が持っていた呪符と同じ文字だった。


「どけろ」


 低い声で国主が呟く。彼はそっと嫁を抱き上げると宙に浮き、そのまま空間に溶けて消えた。きっと屋敷に転移したのだろう。

 いつもの国主なら申助達にあわせて徒歩で移動してくれていただろうが、今は彼にも余裕がないらしい。狐次郎に促され、申助は鬼火たちと共に屋敷へ足を向ける。須久那に万が一の事がないようにと祈りながら全力で駆けていった。

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