第36話「須久那様が見ている」
てっぺんの方の枝まで来ると、戌二も狐次郎も追ってこられない。ここでなら思う存分泣くことが出来る。
申助は一生懸命歯を食いしばるが、涙は次から次へと溢れてきた。
ああ、気持ち悪い。何て男に恋をしてしまったんだ。あんな冷血狼、好きになるんじゃなかった。
今からでも嫌いになりたいのに、心はそんなに器用に出来ていない。こんなに辛くてしんどい恋は生まれて初めてだった。
「あー……」
泣き終わり、冷静になった申助は頭を抱える。咄嗟に逃げてしまい、戻った時に何と言えばいいのかわからなかった。戌二にどう思われただろう。いきなり拗ねて走り出したから怪訝に思われているに違いない。
狐次郎には恋心が確実にバレたと思う。なんでもっと上手く振る舞えないのだ、と自分を責める。直情的な性格は故郷でも母に直せと何度も言われていた。
気がつけば太陽はすっかり西に傾いている。体が冷えてきた。戻りたくない。そんな事を考えていると、ふいに目の前に白い布がひるがえった。
「探しましたよ。こんなところにいたんですね」
甲高い声に頭をあげると、一反木綿が竹筒を持って漂っていた。
「何だよ……」
気まずくて視線をそらす。一反木綿は竹筒を申助に押し付けてきた。小さな手で一生懸命渡そうとするものだからとりあえず受け取る。温かい。上部に油紙が紐でくくりつけられており、紐を外すと甘い香りがした。
「甘酒です。戌二様が申助様にって。寒がっていたらいけないから」
甲高い声に唇を引き結んだ。今はその名前を聞きたくない。
「別に……」
ぐう。けれど体は甘酒の匂いに反応し、腹を鳴らしてきた。一反木綿はくるりと宙で回転し、距離を取る。
「よかったです。下で戌二様が心配しておられましたよ。早く戻ってあげてくださいね」
告げると一反木綿は申助の返事を待たずに地上へと戻っていった。
「待っ……」
あっという間に一反木綿の姿が見えなくなる。申助は諦めて竹筒を両手で持った。寒くなってきたので甘酒の暖かさがありがたい。ごくり、と一口飲むと、優しい甘さが口いっぱいに広がった。生姜の入っていない甘酒は申助が好きな味だった。
昔、戌二と喧嘩をして国主に怒られて座禅を組まされた後、一緒に飲んでいたものだった。
「……くそ」
優しくされると返って辛い。ちょびちょびと飲み進め、底が見えた頃にはすっかり冷めきっていた。今後のことについてうだうだと考えていたが、結局戌二の所に戻るのだから、と申助は木から降りる覚悟を決めた。
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