第35話「戌二は申助にも執着していないのだから」
昼食の時間になった。戌二はまだトメと一緒にいるらしく、食堂に来なかった。モヤモヤとしたものが相変わらず胸に広がっている。食べ終えた申助はトメの部屋に行ってみる事にした。
トメの部屋は南側の一番端の部屋をあてがわれていた。障子が開いているので外から姿が見える。申助は一度草履を履いて外に出て、庭から中の様子を観察していた。
部屋の端にぬりかべが座り、彼女が外に出ないように見張っている。縁側から続く石畳に家鳴りも集まり中の様子を見聞していた。こいつらはただの野次馬だろう。
更に視線を室内に向ける。まるで愛し合う恋人同士のように部屋の隅でトメと戌二は座っていた。手は繋がれているようで、トメの顔は穏やかなものだった。戌二は、というといつもの無表情である。
「………………」
二人の姿に胸が痛む。あるべき夫婦の姿と思ってしまい、奥歯を噛み締めた。
「本当に国主様も残酷なことしますよねぇ。旦那を別の女に差し出せって」
ふいに後ろから肩に腕をまわされた。耳元で狐次郎の声がする。慌てて振り払い、狐次郎の方を向くと、彼はにぃ、と美しい顔で綺麗に笑ってみせた。申助は心を見抜かれたような気がして視線をそらす。
「……別に、国主様は差し出せなんて言っていない。助けてやれって言ったんだ」
狐次郎は戌二の方を見た。
「その結果がアレじゃないですか。普通に嫌じゃないですか? 自分の旦那が他の女とあんなことしてんの」
ぎゅ、と申助は拳を握る。
「……別に、旦那だけど好きあってるとかじゃないし」
つい、秘密が口から飛び出した。慌てて手で口を押さえる。狐次郎は目を丸くして申助の顔を覗き込んだ。
「好きあってるわけじゃないんですか?」
しくじった、と申助は狐次郎を睨みあげる。狐次郎は相変わらず美しい笑みを浮かべていた。けれど手はきっちりと申助の肩に回されている。事情を聞かないと離す気はないと言わんばかりだった。
国主様と須久那様には内緒にしていてくれ、と前置きをして申助は話し始めた。
「……契約結婚だからな。お前だって昨日聞いていただろう。……で、発情期とか、薬でそういう気分になった時に体は繋げてんだよ。でも別に、戌二は俺のこと好きじゃねーし……。誰でもいいとか言っているし。犬神族にとって番うってのが子供を作るってことなら俺達は一生番うことねーし……」
言いながらどんどん胸が重たくなっていっている。狐次郎の美しい黄金色の瞳が申助を観察している。甘い匂いも相まって金木犀のような男だと思った。
狐次郎は申助の耳に鼻を近づけ、匂いを嗅ぐ。
「こんだけ匂いがべったりついてんのにねぇ……」
どこか疑っているような様子に、申助は返す。
「朝から一緒に行動していたからだろ」
「ふーん……」
狐次郎は手を離すと正面に回り、両頬を優しく包み込んだ。
「だったら、俺なんてどうですか?」
「……は?」
意味がわからなくて申助はぽかん、と口を開ける。狐次郎はニコニコと笑って続けた。
「俺、アンタのこと好きになっちゃったみたいです。だから、俺と付き合おうよ」
早くないだろうか。申助は半眼で狐次郎を見つめる。
「大体、猿神族と犬神族とか相性最悪じゃないですか? 犬神族は一生同じ相手としか番わないんですよ? 対して猿神族は発情期に何柱とするかわからない。犬神族だけじゃ物足りないでしょう?」
「……別に」
そんな風に思ったことはない。途中で今誰としているかもわからなくなる猿神族との発情期と違い、戌二と迎えた発情期はねちっこかったがずっと気持ちよかった。
「その点、狐神族は子育てが終わったらまた別の神と番う事もあります。気軽で楽しいお付き合いで、猿神族にもあっているんじゃないんですか?」
ペラペラとまるで物を売りつける商人のように狐次郎が語ってくる。愛を囁かれているというのにびっくりするほど軽薄な言葉だった。
「……お前、別に俺のこと好きじゃないだろ」
「そんな事ありませんよ? 猿神族特有の赤く染まる頬とか大きな琥珀色の瞳、ふわふわの短いしっぽは食べちゃいたいくらい可愛いです」
きっと今、申助の頬は染まっていない。しっぽだって普段かくしているものだから見たことがないだろう。先程から彼の言葉は一般論ばかりなのだ。
では何故狐次郎はこんな事を言うのだろう。すぐに答えは出た。
「お前、富士楽を倒すのに猿神族の力が欲しいんだろ」
狐次郎の顔が真顔になった。手応えを感じて続ける。
「さっき戌太郎に犬神族は戌二以外手を引くって言われていたもんな。対するお前は今のところ単体で動いているようだし、手駒は多い方がいい。俺がお前に惚れて猿神族から援軍を出させるのが目的じゃないのか?」
本来、狐神族から出すべき所なのに、それをしないのは狐神のほうは狐神のほうで事情があるのだろうとアタリをつける。狐次郎は目を見開き、カハ、と笑った。
「ははっ! いいね、アンタ。ますます好きになっちゃった」
「いや、だからお前俺のこと好きじゃねぇだろって……」
「今から好き。本当に好き」
狐次郎は両手を広げ申助に抱きつこうとした、その時だった。くい、と申助の体が後ろに引かれ、視界が白銀におおわれる。戌二の髪だと気がついた。彼が申助を庇うように背中で隠し、狐次郎との間に立ちふさがっているのだ。
「……何やってんだ」
戌二が背を向けているから彼の顔は見えない。けれど声から不機嫌であることが察せられた。
「何って、求愛行動ですけど?」
狐次郎も負けじと言い返す。
「……は? 何言ってんだ」
「さっき申助から聞いたんですよ。あんたら一生番うことはないんでしょ? 契約結婚っていうんなら、恋愛くらいは自由に出来たほうがお互い良くないですか? 俺、申助の事好きになっちゃったし、猿神族なら複数相手がいたほうがむしろ上手く行くんじゃないんですか?」
「う、うるさい!」
申助は戌二の背中から抜け出て狐次郎の肩を叩く。確かに猿神族の貞操観念は無いに等しいが、あえて戌二の前で言わないで欲しかった。
「てか、なんで戌二はここにいるんだよ! トメはどうなったんだ?」
話をそらそうと戌二の方を振り返る。彼は冷たい瞳で申助達を見つめていた。舌打ちをしてそっぽを向く。
「須久那様が見てる。元々俺はそんなに好かれてない。須久那様に来て欲しいってずっと言っていた」
「え……、そうなのか?」
先程の光景を思い出す。とてもそうは思えなかった。
「……まるで夫婦のような雰囲気があったじゃねーか」
納得出来なくて唇を尖らせる。はぁ、と鬱陶しそうに戌二はため息をついた。
「男と女が一緒にいるからって何でもかんでも色眼鏡で見ようとするな。面倒くせぇ」
「あぁ?」
申助は戌二を睨みあげる。戌二も負けじと目を細めた。そう見えたのだから仕方がないだろう。けれど、考え直す。
戌二は執着をしない。自分の結婚相手でもそうだった。相手が申助であっても、どうでもいいと受け入れていた。だからトメが近寄ってきても、どうでもいいと流しているのだろう。申助にどう思われるかなんて考えてもいないに違いない。
何故なら、戌二は申助にも執着していないのだから。
至った考えに、じわりと視界が滲む。目頭が熱い。戌二に今の顔を見られたくなかった。
「……そうかよ」
申助は振り向き、戌二から逃げるように走り出す。戌二が追ってくる足音が聞こえたので木の上に飛び乗り、そのまま枝を伝って登っていった。
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