第28話「やっぱりちゃんとした女の方がいいってことかよ!?」

 五郎に連れてこられた小屋は戌二の居室と同じくらいの大きさの部屋だった。

 中央に真っ赤な布団が敷かれ、枕元に台がある。台の上には香油や懐紙、手ぬぐいに通和散が用意されていた。部屋の四隅に燭台が置かれ、明かりも灯されているのでお互いの姿はしっかり見える。


「へぇ、これは準備万端という感じだね」


 隣で戌太郎は笑って周囲を見回している。足元をしっかり国主もついてきてくれていた。心の中で戌二と申助を天秤にかけ、より申助のほうが心配だったらしい。


「では、あとはごゆっくり」


 五郎が頭を垂れて外へ出る。閂のかかる音がした。申助は草鞋を脱いで板間に上がり、布団の横に座る。戌太郎も申助の隣に腰をおろした。


「まぁ、使いませんけど……。それにしても助かりました。俺を指名してくれて」


 苦笑して戌太郎に返す。

 戌太郎はきょとんと申助を見た。


「え? 使わないのかい? もしかして床でやる方が好み?」


「……は?」


「ていうか、俺っ子なんだ。大人しそうな見た目なのに、ギャップがあっていいね。俺、そういうの好きだよ」


 戌太郎は申助の手を引っ張っていき布団に転がす。遠くでさわさわと落ち着かない様子でネズミが動き回る音がした。

 くん、と匂いを嗅ぐ。流石にここまで近いと体臭がわかる。


「……お前、戌太郎じゃないだろ」


 低い声を出す。戌太郎は楽しそうに口角をあげた。


「じゃあ、誰だと思うんだい?」


「知らねぇよ。匂いが戌太郎じゃねぇ」


「戌太郎だったら? だとしたら君はとんだ失態になるよ? 俺の夜伽を命じられているんだろう?」


 戌太郎の手が首筋を撫でる。咄嗟に手が出ていた。


「やめろ!」


 ばき、と頬を殴る。ちゅ、とネズミの鳴き声がした。戌二であればどれほど触られても何ともないのに、申助の肌には鳥肌が浮かんでしまっていた。

 戌太郎の頬が赤くなっている。彼の目が酷薄に細められた。


「そこまでにしろ、申助、狐次郎こじろう!」


 国主が元の姿に戻り、申助達の間に割って入る。同時に申助の変装も元に戻した。

 申助は目を丸くして国主に視線を移す。


「……狐次郎?」


「あれ? 国主様ですよね? どうしてここに?」


 狐次郎と呼ばれた男はネズミの方を振り向く。


「前に言っていただろう? きな臭い村があると。それがここだから、調査を兼ねて来てみたんだ」


「へぇ、あなたもですか。それで、この猿神と知り合いだったんですか?」


 国主は頷いた。


「ああ。こいつは申助。さっきいた戌二の嫁……、夫……? 伴侶だ!」


 申助と戌二の関係をなんと定義していいかわからなかった国主は数度言い直した挙げ句に遠いものを答える。未だ申助は国主にいつか別れる事を前提に婚姻の真似事をしているとは告げていない。申助は兄貴分を幻滅させたくなかったので、あえて訂正をしなかった。

 狐次郎は眉間にシワを寄せて申助を見る。


「嫁はわかるとして、夫って何ですか? どう見ても女に見えるんですけど」


「俺は本当は男だ。今は呪符の力で女に見えてんだよ」


 申助は首にかけたお守りを引っ張り出す。その際に体から離れたので男の姿に見えたのだろう。狐次郎は片眉をあげた。


「へぇ? おもしろい呪符ですね」


「で、申助、こいつが狐次郎だ。こいつは……」


 国主が続けようとしたところで狐次郎はば、と手を出し彼の言葉を中断する。


「ここから先は俺が自己紹介しますよ」


 どこからともなく紙吹雪が舞い、白い煙とともに彼の本来の姿に戻った。

 金の髪に金の瞳、目の周囲を歌舞伎の隈取のように朱をさしていた。頭からは狐の耳が、尾てい骨のあたりから狐のしっぽが生えている。戌二とは方向性が違うものの、彼もまた美しい容貌をしていた。戌二が美丈夫なら、こちらは美形だろうか。

 

 彼は申助に向かって片目をつぶる。


「我こそは伏見の稲荷にこの神ありと言われた狐神族の狐次郎! 特技は唄。お年頃な十八歳! 宇迦之御魂神様に一番近い側近候補の狐次郎とは俺の事! よろしくお願いします!」


 格好をつけ、自分が美しいと思っているであろう角度を決めて喋る彼は正直鬱陶しい。

 国主も頬を引きつらせて様子を見ていた。申助は国主に耳打ちをする。


「……こいつ、いつもこうなのか?」


「ちょっと! いきなりこいつ呼ばわりはないんじゃないんですか!?」


 国主の方を向くと狐次郎は両手を握って抗議した。いちいちリアクションが大きい男だ。

 国主は頷く。


「初めて会った時は六歳くらいだったが、その頃にはもうこんな感じだった。で、何でお前がわざわざ伏見からこんな所にまで来ているんだ? それも戌太郎になりすまして」


「あ、そうだ! 戌太郎はどこにいるんだよ!」


 ここに戌太郎になった狐次郎がいるということは本物はどこかにいるはずである。

 狐次郎は何でもないように答えた。


「多分今頃獣の姿でこの周辺を調べているはずです。ちゃんと話して協力してもらったんですよ?」


「協力?」


 国主が首を傾げる。

 狐次郎は大仰に頷いた。


「そうです! 今ノリに乗ってる流行り神の宇迦之御魂神様の勢力は日々増え続けています! でも、中には稲荷の名前を使って活動をする姑息な勢力もあるんです! で、今回国主様から話を聞いて稲荷は関係ないのに名前を使って悪さをする不届き者を調べに来たんです!」


 宇迦之御魂神は稲荷神のことであり、狐神族は彼に仕えているという扱いだった。


「とはいえ、門番は立っているし、周りは塀に囲まれているしで、どうやって入ろうかと思っていたら丁度犬神族の行列と行き当たったんで、休憩の間に籠の中に忍び込んで戌太郎に協力をお願いしたんです。外に五郎がいたから戌二には話せなかったんですけど……」


 なるほど、と申助は思う。

 いきなり自分の兄から別物の香りがしたら警戒するだろう。その偽物が申助を指名したのだからあんな反応になったのだ。


「じゃあ、俺を指名したのって……」


「女の中で一人だけ猿の妖怪の匂いがしましたから、奴らの手の内のものかと思いました」


 狐次郎は申助の方を向いて返す。自分まで御霊之神達の仲間と思われていたらしい。匂いまで妖怪になっているのかと申助はお守りを見た。


「……やはり、この施設に稲荷は関係ないか?」


 国主が話を戻す。


「そうですね! 御霊之神だなんて近くて違う名前まで名乗りやがって! しかも稲荷の色である朱色までふんだんに使うんですから。あんなんじゃ誤解する奴も現れるに決まってます!」


 狐次郎は腕を組んで怒っている。言葉遣いのせいだろうか、口調のせいだろうか、怒っていてもあまり怖くない。


「それで、お前が見た感じ、どうなんだ?」


 脱線しそうな狐次郎の話を国主が返す。


「クロっすね。流石に偽物としても度が過ぎています。戌太郎にもそう伝えて犬神族と狐神族で潰そうと思っています」


「……なるほど」


 国主が腕を組む。

 その時だった。


「いやー!」


 女の叫び声がする。


「やめて! 来ないで! いや!」


 半狂乱の声だった。

 場にいた三人は声のした方角を見る。


「……あっちの方向って、戌二が入った小屋があったよな」


 信じられない気持ちで申助が呟く。まさか、彼に限って女性に無体を働いているなんて思いたくない。けれど、誰かが助ける様子がないということは、襲っている相手は手を出せない相手、つまり賓客である戌二ということになる。

 外に出ようとして外から閂がかかっていることに気がつく。どん、と体をぶつけると、閂が外され扉が開いた。


「戌太郎……」


 戌二の兄が立っていた。後ろには一緒に来た妖怪たちがいる。


「……何故ここに国主様達がいるんですか?」


 彼は怪訝な顔をして狐次郎の後ろにいる申助達を見つめていた。どうやら彼も国主の知り合いらしい。申助はひぇ、と姿勢を正す。


「あ……、その」


「悪い、俺がつれてきたんだ。あまりにも心配そうにしていたから、見守るだけなら、って」


 国主は泥を被ってくれる事にしてくれたようだ。自分より位の高い神である彼の言う事なので文句をつけることも出来ず戌太郎は唇を尖らせた。


「一応、犬神族の嫁なんです。あまり迂闊な行動はしないでいただけると助かりますね」


 国主は申し訳無さそうに眉尻を下げる。申助は表情で申し訳ないと国主に示した。


「そうだな。すまない。……それで、お前はどうした?」


「大体この近くを見て回りました。末社を作る気はなさそうですね。あまりよくない予感がしますので一刻も早く帰ろうかと狐次郎に告げに来たのです」


 ちら、と戌太郎は弟のいる小屋に視線を移す。


「けれど、まぁ、あまりよろしくない事が起こっているようですね」


 いまだ戌二のいる小屋からは助けて、という叫び声が聞こえていた。戌太郎は申助達を急かして戌二のいる小屋へと走った。

 しばらくすると声が止む。小屋の周囲には誰もおらず、やはり近寄るなと命令されているのだろうと思った。

 門にかかっている閂を開く。中では着物のはだけたトメを押し倒した戌二が彼女の口を押さえていた。


「……戌二?」


 自分の声が思った以上に低いことに申助は気がついていた。戌二は目を丸くし申助を見る。


「……何無理やりトメさん押し倒してんだよ」


 ぎゅ、と拳を握る。戌二に限って無理やり女を手籠めにすることはしないと思っていたかったが、状況証拠が揃ってしまっている。


「やっぱりちゃんとした女の方がいいってことかよ!?」


 奥歯を噛みしめる。ぎょ、としたように戌二が申助の方を向く。胸のむかむかが抑えきれなかった。唇を引き結ぶ。戌二のこんな姿は見たくなかった。


「ち……、ちがう」


 手が緩んだのだろう、女は戌二の下から逃れようとして外へ出た。


「助けて! お願い、助けて! この人、私を連れ出すって……んっ」


 再び戌二の手が彼女の口を塞ぐ。全員の視線が彼女に注がれた。

 国主が尋ねる。


「出たくないのか? この村から」


「何故ですか? 私はこの富士楽での生活に満足しています。ここにいたいんです」


「……なるほど」


 国主が返し、戌太郎と狐次郎が気まずそうな顔をしてお互いを見る。


「でも、治郎兵衛が心配している」


 戌二が唇を尖らせる。


「あの人が心配をしているのは義祖母の世話や畑の手入れを誰がやるのかって事でしょ? もう嫌なの! 嫁に行ったからってあの家族に私の一生を消費されるのは!」


 申助は困惑してトメの涙を見ていた。

 戌二も困りきった顔をしていた。

 

 なるほど、と申助は思う。先程の「いや」とか「やめて」というのはせっかく楽園に逃げた彼女を元の地獄に戻すと言った戌二に対するものだったのだろう。けれど暴れられては困る。だからああやって押し倒して口を押さえていたのだろう。

 

 こんな時なのにホっとしてしまい、申助は慌てて首を振った。

 がさ、と後ろで足音がする。


「誰か来る」


 国主が言うと、ほぼ同時に背後で数人の女性の声がした。さすがに様子がおかしいと見に来たのだろう。

 国主の瞳が光る。次の瞬間、部屋の中にいた全員がネズミの姿になった。


「……え? あれ? 誰もいない!?」


「なんで!? ここにはトメと犬神様がいるはずだよね?」


 二人の女が目を丸くして周囲を見ている。

 一匹のネズミがバタバタと慌てているが、近くにいたもう一匹のネズミが抑え込んでいるようだった。言うまでもなくトメと戌二である。


「とりあえず、御霊之神様に言いにいかないと!」


「そうだね……」


 二人は本殿へと走る。その間に国主は全員を元の姿に戻し、親指大の大きさにして枕元に用意してあった手ぬぐいに包むと梟に変身して飛び立っていった。



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