第25話「うわぁ! すげぇ! 俺、空飛ぶの初めてだ!」

 ああ、居心地が悪い。

 

 思いながら申助はダンダンと強めに足を運びながら庭へ向かう。犬神族の庭は広い。一人になりたい時には木々に囲まれた外に出てしまうのが一番だった。

 

 杉の巨木を見つけたので申助は登り、てっぺんの枝に腰掛ける。

 

 遥か下に地面があり、犬神族の屋敷の屋根が見えた。視線を移動させると門があり、更に遠くの道に戌二達一行がいる。戌二と戌太郎の乗った籠が二つと、五郎の乗る馬。それから徒歩の妖怪と女性の姿。


「……なんだよ」


 自分はそんなに頼りにならないのかと申助は頬を膨らませる。中に入って様子を見てきたのも、薬を取ってきたのも自分じゃないか。

 

 ここの所の、自分が役に立った事例を一つひとつ指を折って数える。その上で連れて行きたくないと思われた事に傷ついていた。輿入れ前と違い、申助は戌二のことを嫌いだとは思っていなかった。ぶっきらぼうだが、喋っていると楽しいし、近くに寄れば嬉しい。相棒だと思っていた。なのに、戌二からするとそうではないらしい。それが腹立たしかった。

 

 自分が女性であればこういう不満は抱かないのだろうか。猿神族の女性も体術は学ぶが教養程度で、多くの時間は政治を勉強する。その分男性が女性を守り、身の回りの世話をすることで生活していくものだと教えられる。だから申助は子供の頃から体に痣を作りながらも体を鍛え、しもやけに悩まされながらも掃除洗濯炊事を叩き込まれた。


 申助にとって鍛えた体で相手の役に立つことは誇りだった。子宮がなく、子供を産めない体だから、子供が産める女性を守り世話するのだ、と。

 

 けれど、今回戌二に拒絶されたことで申助は自分の誇りすらも傷つけられたような気がしていた。

 そこで、女性ならば、と考えたのだ。男性と女性では求められる事が違う。屈強さに価値を求められて来たこれまでの生き方があったから、余計傷つくのだろう、と。

 

 いっそ自分も気にせずにいられればいいのに、戌二が無事に帰ってくるだろうかと心配してしまう。彼が出て行ってからというものずっと彼のことばかりを考えてしまっていた。

 

 確かに戌二は自分の体は自分で守れる。であれば、申助は必要ではないのだろうか。女性であれば柔らかい肉体もあるし、受け入れる為の器官も存在する。お守りをつけなくても堂々と戌二の隣にいられる。

 

 これまで男に教養は必要ないとあまり勉強はさせてもらえなかったが、女性なら教養があるから戌二も話していて楽しいだろうし、花札や碁といった遊びもいい勝負になるだろう。


 そこまで考えてふと、申助は思い至る。戌二の立場に立って考えた際、自分は必要とされていないどころか迷惑なのではないか、と。

 

 女性が来ると思って結婚したら来たのは申助で、おかげで今後一生女性とまぐわうことは出来ない。彼自身どうでもいいとか言っていたが、やはり発情期になると違和感があったのではないだろうか。男性の体でも抱けていたようだが、女性相手の方が良かった、と思っているのではないだろうか。

 一度考え出すと止まらない。ぐるぐると申助の脳内が悪い妄想で占領されてしまった。


「何、落ち込んだ顔をしているんだ」


 ふいに羽音と共に話しかけられ、声のした方角を見るとカラスが一匹申助の隣に座っていた。


「国主様?」


 声が彼のものだったので尋ねると、カラスは満足げに頷いた。彼は神格が高いので何にでも化けることが出来る。

 うる、と申助は目を潤ませた。


「聞いてくださいよ!」


 ようやく自分の味方が出来るかと思い、一人で富士楽へと向かっていった戌二について愚痴を零す。国主は全て聞き終わると悩ましげに首を振った。


「まぁ、心配だったんだろうな。一昨日、お前が目覚めるまでずっとあいつはお前のそばを離れなかった。またお前が危険な目に会うのが嫌なんだろう」


 そうなのか。そう聞くと一瞬苛つきが収まったが、すぐに首を横に振る。


「だからといって、一人で行くことはないと思いませんか? 危険なのはあいつも一緒です!」


「そうそう、その件で俺は今回来たんだ」


「え?」


 国主はカラスのつぶらな瞳で申助の方を見た。


「お前の言っていた富士楽に行きたいんだが、場所を教えてくれないか? 考えてみたら聞くのを忘れていた」


「何故ですか?」


 申助が返すと、国主は疲れたようにため息をついた。


「須久那が薬の元になった植物を手に入れてほしいと言うんだよ。あいつ、『いつもありがとう』とさえ言っておけば俺が何でも言うことを聞くとか思っていやがるんだ」


「………………」


 それで実際にカラスの姿になって申助のところに来ているのだから間違っていない。呆れたように羽を振っている国主を両手でワシリと掴まえた。


「おい!?」


 カラスは暴れ逃れようとする。申助は国主に顔を近づけた。


「教えますけど、俺も連れて行ってください! でないと教えません!」


 国主は申助が知っている中で一番力のある神である。彼と一緒ならば比較的安全に富士楽に入って行けるのではないかと思った。

 クエ、とカラスが鳴く。


「お前、俺に交換条件とは強くなったもんじゃねぇか……」


 国主は呆れたように目を細めた。申助は眉尻を下げる。


「だってこうでもしないと連れて行ってくれないじゃないですか……」


 ふわ、と自分の意思に反して手から力が抜ける。国主が何かの力を使ったのだろう。国主は申助の手から逃れ、バサバサとその場で羽ばたいた。申助は肩を落とす。


「……お願いします。じゃないと、俺は自分の存在価値がなくなっちまう」


「存在価値?」


 国主は首を傾げながら申助の膝に乗っかる。


「……国主様も知っているでしょう? 猿神族の男は教養はないけれど、代わりに体を鍛えられる。そして、女を守れって。戌二は女じゃないけど、自分の伴侶を守れないと俺に価値はないんです」


 まるで泣き出す直前の子供のようだ。申助は自分の声をそう思った。国主のつぶらな瞳には苦しそうに歪んだ顔が写っている。


「俺はてっきり、申助は体を動かすのが好きなんだと思っていた」


「……まぁ、嫌いじゃありませんけど」


「体を鍛えて女を守れってのは、誰に言われたんだ?」


「母さんとか……、叔母さんとか、とにかく皆です」


 国主の瞳が細められる。憐れんでいるようだった。


「それが猿神族の慣習だもんな」


「国主様だって、須久那様が危ない目にあわない為に自分がカラスになって富士楽に行くんでしょ? 似たようなものじゃないですか」


 返すと、国主の瞳が意外そうに丸くなった。


「須久那が?」


「違うんですか?」


 申助も首を傾げる。女性である嫁に尽くすのは国主も一緒なのだと思っていた。だから彼女の一言で富士楽に行くのだと。


「違う。須久那は生物や薬草の研究が好きで、時間を忘れて没頭する。これは俺には出来ない。逆に俺は外を飛び回って人間や妖怪、神々の生活を観察したり、話すのが好きだ。須久那と俺じゃ得意な事が違う。でも、今回お前達の力になろうという意見は一致している。だから、須久那が薬を解析している間に俺が植物を取りに行く事に同意した。そこに性別は関係ない」


「……そうなんですか」


 あまりピンと来なかった。行動は同じでも根幹にあるものが違うと言われても、これまで生きてきた慣習に照らし合わせた上で申助は考えてしまうので納得がいかないのだ。

 国主は申助の顔を見て少し首を横に振り、ばさ、と羽を広げ飛び立った。


「とはいえ、自分の恋人が心配という気持ちもわからなくはない」


 うん、うんと国主は頷く。戌二は申助の恋人ではないがあえて何も言わなかった。

 申助は目を輝かせる。


「それじゃあ……」


「いいか、俺の言う事をちゃんと聞いて、絶対に無茶はするんじゃないぞ」


 国主は至近距離で凄む。カラスの姿なのであまり怖くなかったが、申助は調子良く頷いた。


「わかった! いい子にします!」


「……本当なら誓約書を書かせたいくらいだが、まぁ、それならいい。じゃあ、転変しろ」


 言われたとおりに申助は転変する。

 猿の姿になった彼の頭の上に国主は乗っかり、何やらモゴモゴと唱えた。次の瞬間には申助は親指ほどの大きさになり、国主の足によって掴まれていた。

 ばさ、ばさと羽ばたき国主は空へ舞う。


「うわぁ! すげぇ! 俺、空飛ぶの初めてだ!」


「他の奴には内緒な。俺も、私もって来るから」


 国主が面倒を見ている妖怪や神の数は多い。返された言葉がいかにも兄貴分のそれで、申助はおかしくなって笑ったのだった。

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