第24話「……心配なんだよ」

 申助と戌二は一度神社に戻る事にした。発情期を過ごした時に持ってきた荷物が置いてあるから取りに行かなければならないのだ。

 真っ暗闇の中を戌二は昼間と変わらない速度で走っていく。申助は目をぎゅっと閉じて走っていく戌二の背中にしがみついていた。


 やはり半刻ほどかかって神社にたどり着いた。戌二はかまどの方を片付けるようだったので申助は布団を畳み、隅の方に寄せると小堂の床を乾拭きする。


「なぁ、どう思う?」


 手を動かしながらも戌二に尋ねる。


「やっぱ、稲荷が怪しいと思うか?」


 戌二はかまどの方を片付けていた手を止め、申助に向き直った。


「行く先々に稲荷を象徴したものがある。でも、だからといって稲荷が関わっているというよりは、何者かが稲荷の名前を使っているように思える。……多分、御霊之神とやらが」


 やはり、戌二もそう思っていたのか。申助は頷く。


「だよなぁ。稲荷が関わっているんだったら、せめて分詞の手続きはちゃんとするよな。……稲荷にも話を聞きに行った方がいいのかな」


 伝手はないので一度国主に話を通さなければならないだろう。戌二は再びかまどに視線を戻す。


「だとしても、とりあえず帰ろう。走り回って疲れたし、休みは今日までだ」


 現実的な戌二の言葉に申助は我に返った。すっかり治郎兵衛の事件解決に専念する気でいたのだが、戌二には仕事がある。ここからの捜索は自分だけかと思ったが、一応囚われの身でもあるので自由には動けない。せいぜい国主からの返事を待つくらいだ。


「……あぁ」


 つまらなく思いながらも首を縦に振る。かまど周りを片付け終わった戌二は戻ってきて申助を正面から見た。


「仕事が終わったら俺が付き合ってやるから、一人で勝手なことはするなよ」


 見抜かれている。申助は唇を尖らせて頷いた。

 荷物をまとめ、小堂から出る。戌二は今後何かあった時のためと言って服やら手ぬぐいやらを布団の上に置いてから外に出てきた。

 再び彼らは転変し、申助は戌二の背中に乗って戻ったのだった。







 犬神族の屋敷の門をくぐると、いつもより多くの松明が焚かれていた。客が来ているのだろうか。本殿のほうが騒がしい。

 戌二と申助の部屋としてあてがわれていた居室に戻ると、戌二達が帰ったと聞きつけた使いの者が部屋に入ってきた。


「お疲れ様です、戌二様。よくお戻りになられました。帰って早々申し訳ありませんが、現在稲荷の使いが来ておりまして、会議の最中となっております。戌太郎様より、戌二様も参加するようにとのお達しです」


 化け蛙が頭を下げている。戌二は目を丸くした。


「稲荷?」


「はい。今日の昼にやってきて、分祀した神社に末社を出さないか、との話です」


 末社とは本殿の周囲に建てられる小さな神社で、人間からすると一度に複数の神社にお参りをすることが出来るので便利だという仕組みのものだった。神からしても、氏子の実質的な増加には繋がらないが、信仰心のおこぼれに預かれるので悪い話ではない。本殿で祀っている主祭神と関係が深い神を祀る摂社と、あまり関係のない神を祀る末社とで分けている。犬神族と稲荷はほぼ親交がないので末社という扱いなのだろう。


「戌太郎様がとりあえず話を聞こうと穏健に取り組んでいらっしゃるのに対し、お父上と戌次郎様が追い返してしまえと主張しており、意見を戦わせておられます」



「……そうか」


 一日中走り回っていた戌二としては休ませて欲しいだろうが、親や長男の言葉には逆らえないようでフラフラと外へ出ていった。

 せめてゆっくり休めるように、と申助は寒くなってきた部屋に火鉢を借りてきて火をおこし、部屋を温めておいたのだった。







 それからすっかり夜も更け、戌二は疲労を色濃く顔に出して戻ってきた。温かい室内に目を細め、着物を脱ぐ。


「湯、沸かしておいた。使うか?」


 申助は水を入れた桶に火鉢で温めておいた鉄瓶から湯を入れ、ちょうどいい温度にして手ぬぐいを浸して渡した。もう夜も遅いので風呂は沸いていない。申助はぎりぎりで入れたものの湯は冷たくなっていて凍えてしまいそうだった。

 戌二は受け取り、上半身の着物を脱ぐと体を拭う。今日は月明かりも薄く、部屋の中は行灯の弱い明かりと火鉢の火でぼんやりと輪郭がつかめる程度だった。

 温かい手ぬぐいが気持ちよかったのか、戌二の尻尾が横に揺れている。


「明日、出かけることになった」


 火鉢の方をぼんやりと眺めていたら戌二が語りかけた。


「明日? どこに?」


「稲荷の奴らにまずは一度こちらの村に来てみないかと言われたから、戌太郎兄上と俺で行くことになった」


「戌太郎とお前? なんで?」


 申助は首を傾げる。戌太郎は長男であるし、先程の話を聞いて穏健派だというから理解はできる。しかし、十二番目の子供である戌二が行く理由はわからなかった。


「末社だし、怪しいから父は連れていけない。でも、誠意は示したいのでまずは戌太郎兄上。あと一柱というところで、稲荷の使いとやらの匂いが富士楽の匂いだったから志願した」


「は?」


 申助は目を丸くして戌二に近寄る。


「それって、あの甘ったるい匂いか? ってことは、五郎か御霊之神か兵衛か?」


「多分、そう。いたのは一人だけだったけど」


 だとしたら、一番口の回る五郎だろうか。申助は五郎の蛇のような瞳を思い出す。


「……情報は引き出せるだろうけど」


 唇に人差し指の甲を当てて考える。戌太郎がいるとはいえ、戌二を行かせるのは不安だった。


「わかった。俺もついていく」


「ダメだ」


 即答である。あまりにもの速さに申助は目を丸くして戌二を見た。


「は? なんで? 俺も行く」


「ダメだ。お前が来ると逆に心配だ」


「はぁ?」


「お前は顔を見られているし、何より危ない」


「危ないのはお前も一緒だろ!?」


「賓客なんだから無下には扱えない。お前はあっちに行ったら何をするかわからないから、危ない」


 ぐ、と申助は押し黙る。信頼されていないようだ、と思うと胃の底が熱くなった。


「……心配なんだよ」


 奥歯を噛み締め言うが、戌二は考えを変える気はなかったようで「ダメなものはダメだから」と返すだけだった。

 あまりにも拒絶するものだから腹が立ってくる。

 殊勝に心配とまで言ってやったのに、と悔しく思うが、戌二は申助の方を見ようともせずに行灯の明かりを消すと、さっさと横になったのだった。


 








 翌日、戌二は正装をして稲荷の使いとして来た五郎と戌太郎とともに出て行ってしまった。申助を起こそうともしなかった。いってきますの言葉もない。

 申助はむくれたまま、一人黙々と朝食を食べる。

 戌二の顔を見たくなくて、朝は彼が支度している間ずっと寝たふりをして過ごしたのだった。


「戌二様は申代様に気を使って起こさないようにとしてくださったんです。優しい事じゃないですか」


 事情を知らないキヌが一生懸命に戌二の弁護をする。申助はキヌのことが好きで、いつもは言うことを聞こうと思うのだったが、この時だけは苛立ってしまう。結局彼女は戌二の味方なのだ。

 いたたまれず申助は食事を食べ終わると庭のほうを散歩する、と告げてそそくさと出ていったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る