第23話「神だから何でも知ってるんだよ」

 外に出ると獣の姿に転変し、申助はすっかり定位置となりつつある戌二の背中の上に飛び乗った。彼の方も心得たもので申助が体に捕まった事を確認すると全速力で駆け出していく。

 まずは神社に戻る。治郎兵衛は今日も来ていたようで、彼の匂いが残っていた。その匂いを辿って治郎兵衛の住む村まで行く。


 戌二が指摘した通り、彼は神社から一番近い村に住んでいた。


 一番近い、とはいっても戌二の足でゆうに半刻は走った。人間の足であれば一刻はかかるだろう。到着した時にはすっかり日が落ち、周囲は薄暗くなっていた。

 村はよくある農村で、近くを川が流れ、水田に取り囲まれていた。その中を大小様々な家が点在している。


 まだ日が落ちきっていないからだろうか、畑作業をしている農夫を数人見つけた。


 つい女性の姿を見てしまう。子供を背に抱えた娘は俯いて何処かへ向かって歩いていた。

 昨日見た集落の女性達は薬で洗脳されていたとはいえ、楽しそうだった。比べる訳では無いが、彼女は覇気がないと感じてしまった。






 治郎兵衛の家は村の中ほどにある茅葺屋根の家だった。あまり大きくはないが牛小屋がついている。

 申助は戌二の背に乗ったまま、窓から中の様子を確認した。


 薄暗い蝋燭の明かりでははっきりとは見えないが、中には治郎兵衛の両親らしき人と祖母、治郎兵衛が座り食事を取っている。治郎兵衛の祖母はもういい年のようで、布団に座ったままもぐもぐと口を動かしていた。普段は寝たきりなのだろう。


「治郎兵衛、あんた次の嫁さんは貰わないのかい?」


 母親らしき女性が治郎兵衛に話しかける。治郎兵衛は困ったように頭を振った。


「もしかしたら明日にでもトメが帰ってくるかもしんねぇし……」


「神隠しにあったんだ。もう帰ってこねぇよ」


 年配の男性も加わる。こちらは父親だろう。


「でも、俺は確かに聞いたんだ。神様の声ってやつを」


「それだって幻聴かもしんね。第一、お前が行ったのは犬神様の神社だろう? あの寂れた神社に神様なんているのかね」


 申助の下で戌二が身じろぎをする。申助はかがんで頭を撫でてやった。


「今の流行りは稲荷様だろう。あっちの稲荷様の方にもお参りに行っとけよ」


 父、母と続ける。治郎兵衛はますますふくれっ面になった。


「俺は稲荷はどうも好きになれねぇ」


「ハイハイ。そうは言っても、お前が神社に行ってもう二日も経つのにトメは一向に帰ってこねぇじゃねぇか。春になったら田植えも始まるんだから、さっさと新しい嫁さんもらって助けて貰わねぇと、食っていけねぇ」


「……それはそうだけんども」


 治郎兵衛は項垂れる。父も母も目を見交わし、ため息をついた。








 無言が続くものだから、戌二と申助は一度家を離れて稲荷の方へと向かってみる。

 小さな鳥居が三本ほど並べられた神社があった。


「もしもーし」


 一応、と思い小堂へ向かい話しかけてみる。

 中からは何の反応もなかった。神は宿っていないようである。神社を建立する際の分祀の手続きを行っていないのだろう。

 分祀とは元々の神社から分けて祀られる事で、わざわざ遠くの神社仏閣まで行かずともご利益を受けられる制度である。神からしても、日本全国から力を集められる便利な方法だった。

 それがなされていないということは、相手側の神社、この場合は稲荷神社に無許可で作られているということだ。つまり、この村の人間はただの木の箱を崇め、拝んでいるのだ。

 申助は人間の姿に戻る。


「よし、治郎兵衛に話を聞いてみるか」


 周囲はもうとっくに真っ暗闇である。家から漏れる明かりと月の光以外に照明はなく、それがかえって好都合だった。







 厠は外にあるようで、用を足すためには外に出ないといけない。

 申助と戌二は治郎兵衛が外に出た事を確認すると、彼の後ろをついていった。

 厠は近所の村民と共同で使っているもののようで畑の近くに小さな小屋が建てられていた。扉は上部と下部が大きく開いている形式なので申助達は裏に周り、治郎兵衛に話しかけることにした。


「おい、治郎兵衛」


 彼が中に入ったところで話しかける。

 中から驚いたような、ガタっという音が聞こえてきた。


「その声は神様ですか?」


 彼の声が震えている。まさか厠で神に会うとは思わなかったのだろう。


「そうだ。なぁ、お前、何で稲荷が嫌いなんだ?」


 単刀直入に尋ねる。隣で何かを言いたそうに戌二が申助を見ていたが、あえて無視を決め込んだ。


「何故それをご存知なのですか?」


「神だから何でも知ってるんだよ」


 治郎兵衛の不思議そうな声に適当に返す。納得したのか、治郎兵衛は低い声を出した。


「あの稲荷神社が建てられた日に、祝いのために旅芸人が来ました。そこで琵琶を弾きながら物語が語られたのです。その物語は、女性が真実の愛とやらに目覚め、家同士で結婚をした相手を捨てて別の相手の所に嫁ぐ話です」


 それは、申助が戌二との結婚式でも聞いた物語だった。申助自身は面白く聞けたが、結婚の場で、それも政略結婚の場で語る物語ではないだろうと思ったのを覚えているし、終わった際の雰囲気が重かった事も忘れられない。戌太郎が恵比寿顔で「これが京都で流行りの夢物語ですか。随分と軽挙妄動な事ですな」と流し、余韻も残さないまま次の演目へと移させていた。幻術をかけて来てもらったというのに随分な言いようである。


「私は、その話を聞いた時に嫌悪感を覚えました。勝手な話だと思いました。だってそうでしょう? 嫁入りをしてこちらの家に入ったのに、旦那も家族も捨てて京のほうに逃げるだなんて! けれどトメは違ったようで、また見たいとしきりに言うようになりました。その二日後にトメは神隠しにあってしまったのです」


「……なるほど」


 確かに、女にとっては素敵な話でも、男が見たら拒否反応がおこる話はある。昔流行ったという枕草子という随筆なんかはこの江戸の時代においては反感を覚える男もいるとか。申助は冒頭だけ読んだことがあるが、そもそも内容が理解できなかった。


「なので、私が稲荷を嫌いなのはほぼ私怨のようなものです。あの神社が出来たから祭りの旅芸人が来て、あの物語を弾き語った。それで喧嘩したんですから」


 だんだん治郎兵衛の声に水が混じってくる。


「……本当は、わかっているんです。私も物語の男のように捨てられたのかもしれないということは。今頃彼女は京や江戸の方にいて新しい男と楽しく日々を過ごしているのかもしれないって」


「……そうか。他の、三吉だっけ? とかの嫁も神社ができてからいなくなったのか?」


「はい。考えてみたらあの稲荷神社が来た前後くらいから神隠しが起こるようになっていったような気がします」


 申助は稲荷の祠があった方へと視線を向ける。あれ自体はただの箱なのでそんな力はない。

 聞きたい事は聞き終えた。戌二の方を見ると、彼は頷く。もういい、ということなのだろう。


「わかった。俺達も出来る限りの事はする」


 申助は転変し猿の姿に戻ると戌二の背中に乗って村から出る。背後で扉が開き、治郎兵衛が周囲を探す気配がした。

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