第9話「もう一回やるか?」

 申助の手に八枚、戌二の手にも八枚、そして場にも八枚の札が置かれている。札には月や花、イノシシなどが描かれていた。


「……なんだ、これ」


「花札。知ってるか?」


「人間がやってるのは見たことある」


 戌二はまじまじと自分の手を見た。初めて触るであろう札が物珍しいようだった。花札は申助が持ってきた遊び道具の一つである。これで移動中に車の中で従者と遊び時間を潰していた。


 結婚をするまでは戌二とは出会ったらすぐに口喧嘩なり殴り合いの喧嘩なりをするだけだったので、こうして膝を突き合わせて遊ぶのは初めてだった。


 あの後、風呂から出て再び女に擬態した申助と戌二はニマニマと笑うキヌに出迎えられた。昨日まであったよそよそしい雰囲気が払拭されたのを見て取った彼女は嬉しそうに目尻にシワを作り、二人でごゆっくりおくつろぎください、と戌二の部屋に案内した。


 ちなみに、戌二の服は彼女によっていつの間にか戻されていたようだった。体を洗っている間に置かれたらしく、申助の謝罪については聞かれていなかったようだ。

 やはりキヌの狙い通りなのだろうが、二人きりで話す機会を得られたので別にいいかと思う。


 明かりのある中で見る戌二の部屋は殺風景で、隅のほうに数冊本が重ねられ、茶箪笥が置かれているだけだった。

 襦袢に単衣を纏っただけの申助は服の袖をまくり、自信満々にこれからやる花札の遊び方を説明する。


 こいこい、という最も一般的で、かつ二柱で出来る勝負だった。

 戌二は物覚えがよく、頭の回転も速い。申助が機嫌よく勝負を出来ていたのは最初の数回までで、それ以降は負けが続いた。


「あー、何でお前、そんな強い手持ってんだよ!」


「運も実力のうちだ」


「てか、何でさっきから俺には弱い手しかこねーんだよ! なんかズルしてんじゃねーのか!?」


「お前が直情的に札を取るから、何を揃えようとしているか検討がつく。だから、予測して役を作らせないようにしている」


「……は? そんな事出来るのか?」


 申助は花札を数年前からやっている。こいこいはほぼ運で決まる遊びだと思い込んでいたのだった。


「お前、周りの奴にいいカモだって思われていたんじゃねぇのか?」


「あ!? なんだとコラ!」


 ふ、と戌二が笑う。彼は挑戦的に告げてきた。


「もう一回やるか?」


「当たり前だ!」


 こうして、負けず嫌いの申助の方から何度も再戦を挑み、しばらくは仕事や接待の合間に二人で花札を楽しんだのだった。

 数日経つとさすがに申助は飽きてきて、今度は別の遊びを提案した。サイコロは持ってきていたので、ちんちろりんをしたり、自分で双六を作ったりと色々な遊びを楽しんだのだった。







 そんな日々が三ヶ月と少し続いた。酷暑が過ぎ去り秋の気配を感じ始める。現在、太陽がてっぺんに登った時間だった。


 戌二は仕事として兄の手伝いの為外出中だった。戌二の世話係はキヌしかいないようで、彼女はそのまま申助の世話も焼いてくれており、戌二がいない間は申助の相手をしてくれている。申助も最初は彼女の手伝いをしようとしていたのだったが、彼女に止められてしまった。


 けれど、実家に居た頃の癖が抜けない彼は動いていないと身が持たないと主張し、庭の掃き掃除という仕事を手に入れたのだった。こうして午前中は庭の掃き掃除をして時間を過ごし、夜は戌二と遊んだり本を読むといった悠々自適の生活を送っていた。

 針仕事をしているキヌが手を止め話しかけてくる。


「申代様がいらっしゃってからというもの、戌二様が毎日楽しそうになされていてキヌはうれしゅうございます」


 申助は碁を打つ手を止め、キヌを見た。あまりにも戌二が強く負け続きだったものだから、京から囲碁の棋譜が載った本を取り寄せてもらい、勉強をしていたのだった。


「そうですか? 昔からあんな感じではありませんか?」


 申助は姉の申代を演じる事に今ではもう戸惑いも恥じらいもなかった。戌二の前以外ではこうして優しく穏やかな姉を演じている。


「昔から?」


 申助の言葉にキヌは首をかしげる。

 申代と戌二は今回の婚姻で初めて会ったという話だったと思い出し、申助は慌てて口を袖で隠して笑顔を作った。


「……弟と遊ぶところを見ておりましたので」


「そうなんですね」


 キヌはふぅ、とため息をついた。


「だとしたら、随分心を許していらっしゃったんだと思いますよ。こちらの家での戌二様は、何をするでもなくぼうっと寝て過ごされる方でしたので」


「そうなんですか?」


 確かに戌二は早い時間に就寝する。付き合って申助も眠ってしまう事が多く、おかげで朝は鳥の鳴き声とともに目を覚ましていた。

 キヌは大げさに頷いた。


「ええ、ええ。ですが、申代様のおかげで最近はご公務の間もイキイキとしていて、いい嫁さんをもらったものだと戌二様の兄弟の間でも噂になっておりますよ」


「……そうなんですね」


 そう言われると言葉に詰まる。初夜に失敗して以来、申助と戌二はお互いの体に触れてはいない。嫁としては落第だ。


「ほら、今人間達の間では神隠しとして女性の失踪事件が流行っているでしょう?」


 キヌは肩をとんとんと叩きながら続ける。

 最近、犬神族や猿神族の近隣の村では神隠し事件がよく起きているという噂だった。ただでさえ氏子の数が減っているというのにいい迷惑である。

 申助は頷き、続きを促した。


「人間ってコロコロと相手を変えて交尾をするでしょう? 亭主よりもいい相手が出来たけど、村のしがらみやら何やらで逃げ出せなかった人達が、それでも逃げ出したくて失踪をするんだと思うんですよね。だから、要は亭主は新しい相手に魅力で負けてしまったって事なんです。それを神によって隠された事にして人間は諦めようとしているに違いない、っていうのが我々犬神族の通説です」


「ああ……、はは」


 申助は苦笑いを返す。

 人間がコロコロと相手を変えるというのであれば猿神族は何も言えない。きっと彼ら以上の貞操観念の低さだろう。


「そうは言っても、夫婦関係ってのはお互いが好意を持っていないと継続するのは厳しいじゃないですか。一生お前だけと番ったのに、冷え切っている犬神族の夫婦なんてごまんといます。戌二様はあまり口がお上手ではないでしょう? だから、猿神族の嫁に戌二様が嫌がられたり飽きられたりしたら、お嫁さんは別の相手のところにあっさり乗り換えてしまうんじゃないかって、私は心配していたんですよ」


 キヌは肩を丸めた。彼女の頭についている犬の耳も垂れ下がっている。確かに相手を季節ごとに変えるのが一般的である猿神族を知っているとキヌがそう思うのも無理はないだろう。

 何と言っていいかわからなくて見つめていると、ぱっとキヌは申助を見た。


「でも、申代様を見ていると、そんな事はきっとないと思えるんです! まるで貝があわさるかのようにぴったりとお似合いのお二人なんですもの」


 彼女は針と布から手を離すと、そそ、と申助のそばに近寄り両手を取った。


「どうか、どうか、戌二様を今後ともよろしくお願いします」


 キヌの真剣な瞳に、申助は何も言い返せず目を伏せた。頷いたと思ったのか、彼女はにっこりと微笑む。彼女の目尻に雫が溜まっていたのを見て、ますます罪悪感に苛まれたのだった。



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