第8話「……それ、詫びになってんのか?」
事情を聞き終えた戌二は盛大なため息をついた。ビクリ、と申助は肩を震わせる。
「よくそんなんやる気になったな」
「仕方ねぇだろ!? 申代姉ちゃんを守るためなんだから!」
「それで自分がヤられそうになってたら意味ねぇだろ」
戌二はまず、土下座で謝る申助に止めるように言い、湯船に浸からせた。そうして申助は肩まで湯に浸かり、悪気がなかったこと、お前なら何だかんだ言って協力してくれると思ったと語った。
「で、今後どうするんだ?」
「……最初は、お前に側室を迎えてもらって、適当な時期が来たら死んだことにして故郷に帰ろうと計画していた」
戌二は呆れたような目を寄越し、湯船の縁に持たれかかった。
「……猿の浅知恵」
「あぁ!?」
いつものバカにした物言いに申助は目を細める。
「昨日も言っただろ? 犬神族に側室なんて概念は存在しない。適当な時期にお前が死ねば別の女を寄越せと言われ、また別の犬神族の誰かと番わされるだけだ」
「…………」
申助は唇を噛む。では、自分は一生ここから出られない。
「でも、母上に言ったら悪くない考えだって……」
花嫁修行の際に今後について申江に話した所、彼女もそれでいいと笑っていた。戌二は顔を顰める。
「合祀の場合、定期的に気を交わらせないと氏神として力が機能しないはず……。それを申江様が知らないはずがない」
「……え」
ぐわんぐわんと頭が揺れたような気がした。絶望と同時に嫌な考えが申助の中に広がっていく。
もしかすると、母は全てわかった上で、申助を身代わりに立てようとしたのではないのだろうか。そうして、女性である申代を猿神族の家に残しておきたかったのでは、と。
女性は子供を産める。だから、今後一生子供を産めない環境となってしまう土地にやるくらいなら、子供の産めない申助を送り、娘を手元に残し跡継ぎを産んで欲しいと思ったのではないだろうか。だから、あり得ない提案にその場限りの称賛を送った。
「謀られたのか?」
申助の顔を見て悟った戌二が尋ねてくる。申助は唇を引き結んだ。
「違う!」
違うと信じていたかった。
「俺は強い男なんだ! だから、姉や母を守らなくちゃいけないんだ。その為にあえて来たんだ」
胸を張って主張した言葉を戌二は信じていないようで、フゥン、と半眼になって返した。申助は地を這う声で続ける。
「……お前は嫌なんだろ? この先ずっと俺につきまとわれて嫁ももらえないなんて」
「別に、どうでもいい」
返された言葉に申助は苦虫を噛み潰したような心地になった。どこまでも無関心な男である。
じ、と唇を尖らせて戌二を見る。
「……だったら、あの日適当に負けてくれればよかったじゃねーか」
「まさか勝ったらお前が来るなんて思わないだろ。……それに、お前には負けたくなかった」
戌二も申助を見返した。真剣な顔に居心地が悪くなる。自分を好敵手として認めてくれていたということだろうか。
「お前、負けたら何十年でも自慢してくるだろ。そんな状態で猿神族に婿入りして一生過ごすなんて嫌だった」
「……ぐっ」
確かにそうするな、と申助は考える。長年の付き合いで行動を見抜いているようだった。
「じゃあ、今後どうすんだよ」
「どうもこうも……、まだ番ってないからお前を送り返すこと自体はできるけど」
けれどその場合申代が呼ばれてしまう。その上、バレてしまったとなっては申江に何を言われるかわかったものではない。その線はやめておきたいな、と思い、ふと気がついて戌二に視線を戻した。
「俺達、番ってないのか?」
てっきり婚姻したことで番になったと思っていた。戌二は頷く。
「ああ。犬神族が言う番うってのは、孕ませるってことだ。だから、俺とお前は一生番わない。生き物としては」
「でもお前、昨日一生俺だけだって……」
「家としては猿神族の誰かを娶らなければいけないなら、じゃあもう申代さんでいいかと思ったんだ」
「………………お前」
申助は戌二を目を細めて睨みつける。どうして自分の伴侶に対してこんなに興味がないのだ。戌二は肩をすくめた。
「どうせ犬神族で十二番目の子供に生まれた時点で未来なんてないも同じなんだ」
昔から戌二は何に対しても執着せず、冷淡だった。特に大人に対しては、すべてを諦めたような顔をして聞き分けよく接していた。だから、今回の婚姻も猿神族に婿入りするのでなければどうでもいいと流してしまっているのだろう。
けれどそれは、彼の境遇を聞けばわからなくもない。申助はキヌに聞いた戌二の生い立ちを思い出す。
「……好きなやつとかいねーの?」
尋ねると、戌二は面倒くさそうに前髪をかきあげた。額があらわになる。
「いない」
「やりたい事とか、好きな事は?」
「考えた事もない」
ふぅん、と申助は浴槽の縁に腕をかけた。戌二の無関心は全く理解できなかった。
申助の目から見た世界は輝きに満ちていた。新しい遊戯や芸能は京や江戸から入ってくるし、動物はかわいいし、人間の営みを見るのも好きだ。最近では海の外から青い瞳や黒い肌を持った人間も入ってきて、もっとそういうのを見たいと願っている。
もったいないな、と思った。
「じゃあさ」
戌二の前で人差し指を立てた。
「付き合ってやるから、お前が興味を持てるものを探そうぜ。巻き込んだ詫びに、俺が付き合ってやる」
言って、にぃ、と口角をあげる。
どうせ望んでいなくても時間は大量にあり、申助は戌二の嫁という立場から逃げられないのだ。彼の瞳に輝きが灯るのを見るのも楽しいかも知れないと思った。
戌二は目を瞬かせ、すぐに胡散臭そうな半眼になる。
「……それ、詫びになってんのか?」
「いいだろ、別に。どうせしばらくは俺達は身動きがとれねぇみてーだし。もしかしたら十年後には稲荷が廃れて、また俺ら猿神族と犬神族が力を取り戻して神社を別々にするかもしれねぇし? そうなったら婚姻も終わってよくなるんじゃねーの」
この婚姻の元々のきっかけは稲荷の流行により犬神族と猿神族の氏子が減ったことである。流行りがあれば廃りもある。人間が稲荷に飽きれば犬神族と猿神族に氏子が戻り、人間たちも合祀を取りやめ、元のように犬神族と猿神族で分けて神社に祀るようになるかもしれない。
実際、流行り神が廃れ見向きもされなくなったことは過去に何度も起こっている。人間たちは気まぐれなのだ。
「お前、前向きだな」
戌二はどこか感心したようでもあった。得意そうな顔をする申助から、戌二は視線をそらす。
「まぁ、いいけど」
いいけど、の上にどうでも、とついているのだろうな。思いながらも申助は戌二に手を伸ばし、濡れた髪をわしゃわしゃとかき混ぜた。
「よし! じゃあさっそく今晩から始めようぜ!」
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