第7話 「大変申し訳ありませんでした!」
申助が目を覚ますと、横に戌二はいなかった。のそのそと起き上がり周囲を見回す。昨日の出来事が思い出され、頬が熱くなった。
少ししてキヌが障子を開けて室内に入ってくる。
「おはようございます。お体の方はいかがですか?」
気遣う口調の彼女はどこまで知っているのだろう。申助は視線をそらした。
「戌二は……?」
「戌二様はもう朝食を食べられて、執務をなさっておいでです。申代様が疲れただろうから起こさないようにと、そっと身支度をなさっておいででしたよ」
今の時刻を聞くと、夕方近くと教えられた。我ながらよく寝たものだ、と頭をかく。旅と婚礼の気疲れが出たのだろう。申助は襦袢の上に単衣を纏い、キヌに続いて食事を摂るために廊下へ出た。
食堂として使っているであろう板間には申助とキヌ以外はおらず、隅の方で背中を丸めて食べた。故郷では広い部屋で皆一緒に食べるので一人きりで取る食事は味気ない。
元気のない申助をちらちら見ながら、キヌは米を多めによそい、申助の前に置く。
「こんなことで落ち込んじゃいけません! よくある事です。初めてなんてそんなものですよ! これから上手くなればいいんです!」
どうやらキヌは布団に血が落ちているという状況証拠から、一線は越えたがどちらもうまく感じられず気まずいまま終わったと思いこんでいるようだった。もしかしたら先に起きた戌二がそう説明したのかもしれない。
「……はは」
申助は曖昧な笑みを浮かべる。そんな彼の気を紛らわせようとキヌが犬神族の風習について話をしてくれた。
犬神族は基本的に政は長男、長女、次男、次女などの先に生まれた者が行い、後に生まれるほど補助的な役割しかできなくなる。成長する過程で亡くなった者を除いても戌二の上には九柱いるため、戌二は雑務しか回ってこないのだとキヌが悲しそうに語った。猿神族は政には女性しか参加できないので申助には犬神族の仕組みは新鮮に映っていた。
同時に、戌二のこれまでの人生が思い浮かべられ、少しの親近感が湧く。申助は性別で、戌二は生まれた順番により抑圧されて育ったのだ。戌二のあの何事に対しても無関心で無感情な態度はこうして形成されたのだろう。
「とはいっても、戌二様は頭のいいお方ですから。きっといつか日の目を見ると私は信じております!」
こうしてキヌは話を締めくくる。贔屓が含まれているが、会えば大体やり込められてきた申助としては反論できないものがあった。
「……そうですね」
なおも元気のない申助を見て、キヌは頬に手を当てて心配そうな顔をした。初体験が上手く行かなかったことを申助がよほど気にしていると思っているのだろう。彼女は両手で拳を作った。
「次はきっとうまくいきますよ。なんたってあの戌二様ですから! 学習能力が高いんです」
うんうんとキヌは頷く。
「……ええ」
申助としては二度としたくない。どうしても視線をあわせられなかった。幼い頃から戌二の成長を見守ってきた世話係は鼻息荒く続ける。
「そうに決まっています! こういうのはですね、男のほうが暴走して女は一生ものの恐怖を植え付けられることだってあるんですから、それに比べたら上出来です」
曖昧に笑い、落ち込みつつも申助は食事を咀嚼していく。
言われれば言われるほどいたたまれなくなってきて口数も少なくなっていった。そんな申助を見たキヌは口をつぐみ、黙って給仕に専念する事にしたようだった。
申助が食べ終わったのを確認し、一度キヌは席を立つとすぐに戻ってきた。
「ささ、風呂の準備が整いました。ひと風呂あびて今日はゆっくりお休みください」
頭を下げ、彼女は後片付けをするから、と申助を立たせる。
申助は力ない足取りで風呂場へと向かったのだった。
多くの猿神族と同様に、申助も風呂は大好きだった。やっとゆっくり出来ると心が晴れていく。
閂をして誰も入ってこない事を確かめてから申助は服を脱いでいった。濡れないようにとお守り袋も外してしまい、風呂場の扉を引く。
中はヒノキ風呂になっており、内風呂と外風呂のある豪華な作りになっていた。さっそく露天風呂に、と歩を進めたところで、湯気にまぎれて人影があるのに気が付いた。
ぴょん、と頭から生えている狼の耳を見て思わず声をあげる。
「あっ!」
戌二が湯船に浸かっていた。
「は!? なんでお前……、もしかしてキヌさん!?」
はかられたのだろうか。振り返るが誰もいない。
脱衣所には衣服が置かれていなかったのでてっきり申助は一人だと思っていたのだ。戌二がいると一緒に入りたがらないからとキヌが予め服を隠しておいたのだろう。
はぁ、と戌二はため息をついた。
「うるせぇ……」
「うるせぇ、じゃねぇよ! なんでここにお前がいるんだ」
「それを言うべきはこっちだろう? ここは犬神族の神域だ」
それもそうだ。
ぐ、と言葉に詰まる。戌二はため息をついて湯船にもたれかかった。
「やっぱり、申代さんはお前だったのか?」
ぶわり。
申助は全身に汗をかいて思わず一歩後ずさり、木の扉に背中がついた。
「……やっぱりって」
「匂いがお前だった。何度も嗅いでるから間違えようがない。でも、お前は女じゃない。だから最初は混乱した。結婚式の間もしおらしいし、別人かもって」
汗が止まらない。きっと顔も赤くなっているだろう。
「……どうやって女の姿になった?」
戌二が声を低くする。
「……俺がたまたま忍び込んでいるだけだとは思わないのかよ」
「普通忍び込んだ奴がのんきに風呂に入りには来ない」
「……そうだな」
言いあぐねて視線を泳がせる。
そして、申助はその場に土下座をした。
「大変申し訳ありませんでした!」
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